あなたは覚えていなくても
◇
──私が岩崎さんと二人きりになれるのは、多分これで最後なんだと思う。
「さあ、行こうか芦屋さん」
「は、はい」
運転席に乗り込む彼に続き、私は助手席に腰をかける。
ダメ元でお願いしたつもりだったけれど、思っていたよりもあっさりと、岩崎さんは私の言葉を聞き入れてくれた。
最後まで優しくしてくれるのが、嬉しくて。
でも、誰にでも優しいんだろうなって思うと、なんだか切なくて。
複雑な感情になっていると、まもなくエンジン音と共に車は走り始めた。
窓の外は夕暮れ時。
茜色に照らされる中、買い物帰りの主婦や学生たちが並木道を歩いている。
「いやー、最近暗くなるのが早くなってきたね。冬まっしぐらって感じだ」
「そうですね。なんだか今年は、季節の巡りがすごく早かった気がします」
「あー、わかる。とにかく色々ありすぎたからなぁ」
何気ない言葉。取るに足らないやりとり。これまで何度も交わしてきたような会話が、今はどうしようもなく愛おしく感じる。
この時間が永遠に続けば、どれだけ幸せなことだろう。
「ごめんなさい、岩崎さん。多分、私に気を遣って軽い話から始めようとしてくれてますよね? でも……もう、大丈夫ですから」
けれど、それは絶対に叶わないことだから。
“あの子”でもないくせに思わせぶりなことを言って彼を迷わせた私に、そんなことを願う資格はないから。
「私が魔女になった経緯をお話します」
楽しい時間は、もう終わりにしなきゃいけないんだ。
「私は“あの子”じゃないけど、過去に一度だけ岩崎さんと会ったことがあります。岩崎さんは覚えてないかもしれないけど、もしそうだとしても、私はそれを悲しんだりはしていません。むしろ、覚えてないのが当然だと思ってます」
だって昔の私は、今と全く別人みたいだったから──
◇
幼い頃から、私は周りと比べて背が小さい方だった。全校集会の時に背の高い順で並ぶと、いつも一番前にくるくらいには背丈が低かった。
それ自体は、今も昔も変わらないことではある。でも、当時の私は自分が小さいことをとてもコンプレックスに思っていた。物理的に見下ろされてるだけなのに、なんだか精神的にも見下されているような気分になってしまって、周りの人たちのことを必要以上に怖がっていた。ひとことで言えば、幼い私はものすごく引っ込み思案だったのだ。
言いたいことを口に出そうとしても、言葉が喉元で引っかかって上手く言えない。何も言えないまま周囲の会話だけがどんどん先に進んでいって、話についていけない。せっかく話を振ってもらっても、ワンテンポ遅れて微妙な返事しかできない。そうなると次第に話してくれる人が減っていって、周りの友達関係が出来上がる頃にはひとりぼっちになっている──小学校も中学校も高校も、全部そんな感じだった。
頭の中で思い描く理想の自分はいつも明るく笑って、愛想を振りまいている。でも本当の私はどうしようもなく根暗で、友達作りに失敗するたびにどんどんネガティブになっていった。
さみしい。友達がほしい。みんなと仲良くなりたい。心ではそう思ってるはずなのに、人目が怖くて仕方が無い。
だから、昔の私は前髪を伸ばして顔を隠していて。
本だけが友達だったから、近視がひどくてメガネをかけていた。
岩崎さんが会ったのは、そんな教室の隅にいるような私だったから。
最後まで私のことを思い出せなかったのも、当然のことだと思う。