【エピローグ】ずっとそばにいた
これまでの日々で悩んだことは何度もあった。
彼女たちの言葉を信じるか、疑うか。
その裏には一体どんな想いがあって、俺はどう答えるべきなのか。
悪女だと決めつけて距離をとるか、同居人として距離を詰めるのか。
彼女たちとは、どう接するのが一番正しいのか。
その悩みが解消されたことは、ただの一度もなかった。自分のやり方が正しいのかどうかも分からないまま、結局俺は彼女たちと親交を深める道を選んで今日までの日々を過ごしてきた。
「隠し事は無し、ね。うん、ボクは良いと思うよ。これ以上曖昧な言葉を交わしたところで何も進みやしないっていうのは、大河くんと同意見だ。凪沙もそれでいいかな?」
「は、はいです。私も、気持ちをこれ以上抑えるのは辛いので……」
しかし今、この瞬間。俺たちは本音で語り合う時間を迎えることができている。
「二人ともありがとう。じゃあ、始めようか」
ならば、俺がこれまで歩んできた道のりは、少なくとも間違いではなかったのだろう。
「うーん。とはいえ、ボクが君に隠してたことは、さっきの時間でほとんど伝えちゃったんだよなぁ。えーっと、ボクが知ってて、まだ大河くんが知らないことでしょ……強いて言うなら、あと二つかな?」
右手を顎に添えつつ、まずはシオンが語り始める。
「一つ目は、魔女ハウスに隠しルールがあるってこと。とはいっても、コレは別に君が守るべきルールじゃないし、意図的に隠してたってわけでもないんだけど。伝える必要がなかったから伝えなかっただけ、みたいな」
「は? どういうことだ?」
俺に無関係の隠しルール? 一体なんでそんなもんを……?
「まあ簡単に言うと、隠しルールの対象は“あの子”なのさ。ボクは“あの子”にだけ、『絶対に最後まで正体がバレちゃいけない』っていうルールを課したんだよ」
「え? でも、自分から正体を明かしちゃしいけないってのは、5人に共通のルールじゃないのか?」
「はぁ、大河くんったら分かってないなぁ。魔女がカミングアウトするのと、“あの子”がカミングアウトするのじゃ意味合いが変わってくるでしょ? 魔女ハウスが始まってからすぐに『私が夢の女の子です』とか言いながら昔話してくる女が居たら、一発で“あの子”が誰か分かっちゃうじゃん。そういう状況を防ぐために、“あの子”だけには釘を刺す意味で『絶対に最後まで正体を隠し通せ』って伝えたんだ。ボクが用意したかったのは、あくまで5人が平等でいられる空間だったからね」
「な、なるほど」
たしかに、納得ができる主張ではある。『幸福の選択肢を用意したかった』という言葉にもあったように、シオンの目的は俺と“あの子”が再会することではなく、“あの子”を選択肢の一つとして紛れさせておくことだった。シオン的には、万が一にでも“あの子”が暴走する事態を避けたかったのかもしれない。
だったら、“あの子”だけに魔女よりも厳しい縛りをつける、というのは理に適っている。
「で、二つ目の隠し事とやらは何なんだ?」
「あ、二つ目は別に大したことじゃないよ。ボクがどういう基準で魔女ハウスの参加者を選んだのか、って話さ」
「基準? とりあえず美人集めただけってわけじゃないのか?」
「そりゃあそうだよ。顔が良いだけで中身の無い女なんて君にふさわしくないもん。ただ金目当てだけの女なんて門前払いだよ。『この娘は君と出会えば過去のトラウマを乗り越えて変われそうだな』とか、『この娘は借金問題を通して君に好意を向けるだろうな』とか、『この娘は既に君との思い出があるから良好な関係を築けるだろうな』とか……君と出会うことで何かしらのイベントが起きそうな女の子たちをボクは選んだんだよ」
「? そ、そうなのか?」
なぜだろう。話の内容自体は納得できたのに、何か強烈な違和感があったような──
「──い、岩崎さん!」
と、思考の渦に巻き込まれる寸前。突如ソファから立ち上がった芦屋さんの呼びかけにより、俺は現実に引き戻された。
「は、はい!?」
不意をつかれて多少怯みつつも、なんとか彼女に応答を返す。
「あ、え、えっと、急にすみません……シオンさんは、もう何も言うことはないですか?」
「うん、ボクはもう大丈夫だよ。次は凪沙の番だね」
「は、はい! ありがとうございますです!」
芦屋さんはシオンに向けてペコリと頭を下げると、今度は潤んだ瞳でこちらを見つめてきた。
「え、えっと……私、岩崎さんには言いたいことが沢山あるんです。あなたのおかげで今まで楽しかったとか、あなたのおかげで今の私があるとか、そういうの以外にもたくさん……ありきたりな言葉じゃ言い尽くせないくらい、あなたに伝えたいことがいっぱいあるんです」
「ありがとう。ゆっくりでいいから、少しずつ聞かせてもらってもいいかな?」
堂々と演劇で主役を張っていた時とは違い、彼女は懸命に言葉を探しながら視線を右往左往させている。
少しでも楽に話せるように、俺は膝を折って目線の高さを彼女と合わせた。
「えっと、まず、最近ずっと部屋の中に引きこもっててすみませんでした。本当はもっと早く、こうしてお話したかったんですけど……学祭であんなことをしちゃったので、恥ずかしかったり、どうすればいいか分からなかったりで、気づけばズルズル時間が過ぎちゃって……本当に、すみませんでした」
今にも泣きそうな声を出しながら、芦屋さんが深々と頭を下げる。
「はは、謝らなくても大丈夫だって。誰も怒ったりしてないからさ。周囲と気まずくなる時なんて、誰にでもあるんだから」
シオンと沙耶がコクコクと首を縦に振り、俺の言葉に同意を示す。
芦屋さんは顔を上げて一瞬俺たちの様子を確認すると、少し安心したような表情で再び俺と向き合った。
「あ、ありがとうございますです。その、私……決して軽い気持ちで、あんなことをしたわけじゃないんです。岩崎さんに伝えた言葉は全部、私の本当の気持ちで。あの時だけじゃなくて、今まで一緒に過ごしてきた全部の時間が私にとっては愛おしくて、かけがえのないものなんです」
宝物を見つめるようなまなざしで、彼女は窓辺をチラリと見やる。
何かを懐かしむような視線は、紛れもなく本物であるようにしか見えない。
「一度たりとも、私はニセモノの言葉を伝えたことはありません。いつだって私は本気だったから。ずっとあなたに会いたかったのも本当だから。もう一度あなたに会って一緒に過ごしていくうちに、小さな胸の中でどんどん育っていった、この気持ちは……絶対に、本物だからっ!!」
もう一度真剣な表情で見つめられた、その瞬間。
俺はようやく、一つの終わりを迎えられるような気がした。
「でも、でも……! あなたが大切だからこそ、私は……! やっぱり、ここで全てを終わりにすることはできませんっ!」
──しかし、その感覚は瞬時に泡のごとく消え失せた。
「……え? なに言ってんの、芦屋さん? ここで全てが終わらない? そんなわけ、ないじゃないか」
だって、そうだろう。
あとは芦屋さんの真意を知れば、全てが明らかになる。
だから今ここで、俺たちは恐れながらも本音をぶつけ合ってるんじゃないか。
なのに、全てが終わらないだって?
「私は決して、偽りの想いを口にしたことはありません。でも、あなたに、ずっと言えなかったことがあるんです……!」
──いや、だからさ。
「たしかに私は過去に、あなたと会ったことがあります」
──おかしいって。
「あなたはハッキリ覚えてないかもしれないけど、あなたと出会って私は救われたんです」
ここで終わらないんだとしたら、それは──
「──でも私は、“あの子”じゃないんです……!」
そういうことに、なるじゃないか。
「は? え? いや、え? ちょっと待って? 今何が起きてるのか全っ然分からないんだけど……?」
口ではそう言ったものの、乱れる心とは裏腹になぜか頭は冷静で。
無駄に出来の良い脳味噌は、勝手にグルグルと回り始めていた。
【私は、“あの子”じゃないんです……!】
芦屋さんの言葉が真実なら、単純に考えれば全員が魔女ということになる。
【隠しルールの対象は“あの子”だ】
しかしシオンの発言によれば、5人の中に必ず“あの子”は存在するだろう。
矛盾しているように思えるが、二人がそんな嘘をついても双方にとって全くメリットがない。
──だとすれば、現時点で魔女判定されている三人の中に実は“あの子”が紛れていると考えるのが妥当じゃないか?
じゃあ、仮にそうだったとして、だ。
一体、誰が魔女のフリをして自分の正体を隠しているんだろうか?
【だって、魔女ハウスに残ったら私、魔女のままじゃん? でも私、もう魔女を辞めたいの】
自分は魔女だと言ったまま退去した舞華は、まず“あの子”ではないだろう。
【私は……私はっ! ずっと、あなたをダマしてたんですっ! お金がっ! どうしても、お金が必要で……!】
沙耶には『家庭の借金』という魔女たる理由がある。
この場に居て何も言わない時点で、“あの子”である可能性は限りなく低い。
ならば、最初に『自分は魔女だ』とカミングアウトした彼女の場合はどうだろう。
【初日でワンチャン1000万円いけるかなー、なんて思ってたけど普通に失敗して魔女バレしちった】
他の二人とは違い、アイツだけは自己申告で正体を明かしている状態だ。
【ただ金目当てだけの女なんて門前払いだよ】
しかも、シオンは先ほど『金銭目的の魔女は居ない』と断言している。
【ボクは“あの子”にだけ、『絶対に最後まで正体がバレちゃいけない』っていうルールを課したのさ】
魔女ハウスに『正体を偽ってはいけない』というルールはない。だとすれば、隠しルールを守るために敢えて“魔女のフリ”をすることで本当の正体を隠していたとは考えられないだろうか?
隠しルールを破らないため、初夜に嘘の敗北宣言をして“あの子”は魔女ハウスに居座り続けていた。そう考えれば、彼女の行動にも納得がいく。
「クソっ! 本当にそんなことがあるってのか!?」
確信に近い仮説を導いた俺は、すぐにリビングを飛び出して二階へと駆け出した。
自室のすぐ隣。
相棒が居るはずの、その部屋へと。
「はぁっ! はぁっ……!」
息を切らして階段を駆け上げる。
目的地には、一瞬で辿り着いた。
「はぁっ、一体どうなってんだよ……」
鍵はかかっておらず、部屋の扉は難なく開いた。
しかし、そこで寝ているはずのギャルの姿はどこにも見当たらなかった。
それどころか、私物のひとつさえもなく見渡す限りもぬけの殻。
部屋の中にあるのは、1枚の古びた写真だけだった。
「なんで、こんなことに……」
開け放たれた窓から、昼下がりの風が吹き込む。
床に落ちた古写真が隙間風に揺られ、俺の足元まで流されてくる。
「……そういうこと、かよ」
写真の中に居たのは、海辺で並ぶ少年少女。
少年は岩崎家の御曹司。
少女は小麦色の肌が特徴的な、金髪の女の子。
その光景が目に焼き付いた瞬間、俺は全てを思い出した。
「やっぱり、お前だったのかよ」
“あの子”の正体は東条リサ──ずっとそばにいた、俺の相棒だったのだと。
第六章「ずっとそばにいた」(完)