可能性
◆
俺にとって、秋山シオンはほとんど家族のような存在だった。
“あの子”が突然目の前から消えて、自暴自棄になっていた頃。
シオンは付き人として俺の前に現れ、それから10年以上、俺たちは共に時間を過ごしてきた。
使用人とは思えないほど慣れ慣れしい態度で、時々ムカつくこともある。
けれども俺は、そんなシオンが居てくれたからこそ、過去の傷心から立ち直ることができたのだろう。
家族のような距離感で、友人のように振る舞ってくれる。普段はおちゃらけているが、いざという時は頼りになる。そんなお前がずっとそばで明るく笑ってくれるから、俺は御曹司という特別な立場に居ても腐らずに生きてこれたのかもしれない。
だからこそ、今、この瞬間。
「シオン、お前……どうして、こんなことを……」
俺はただ、『なぜ』と問いかけることしかできなかった。
「ほんっと、大河くんったら頭は良いのにバカだよね。ずっとそばにいたのに、今更ボクが女の子だってことに気づくなんてさ」
ウィッグ、メガネ、カラーコンタクト。それらを一瞬で取り外すと、音崎千春だった人物は秋山シオンへ早変わりした。
「まあ、さすがに君も混乱していることだろう。これまでの経緯を簡単に説明するとしよう」
シオンは人差し指を立てると、リビング内をゆっくりと歩き始めた。
「大河くんの推測通り、ボクは身も心も女の子だ。本当は男装なんてしたくなかったんだよ? でも秋山家の事情とか君の心情とかが諸々絡み合って、ボクは男として君の付き人になるよう命じられたんだから仕方ないよね」
「それは……自暴自棄になってた俺を立ち直らせるためか?」
「ま、そんな感じだね。今となっては男の格好の方が慣れちゃったから、逆に女の子扱いされると困るところはあるけど」
いつもと変わらない様子で、あっけらかんと彼女は語る。
しかし言葉の内容は、おいそれといつも通りに受け取れる重さではなかった。
「なんで、そんなこと簡単に言えるんだよ。俺のせいで、お前の人生が狂ったようなもんじゃないか……!」
ガキの頃の俺が情けなかったせいで。
ただ『傷ついた御曹司を立ち直らせる』という目的だけのために、シオンは岩崎に命じられて女の子としての人生を奪われた。
その事実に気づいた時、強烈な罪悪感が胸の中を支配した。
「はは、そんな顔しないでってば。ボクは大河くんのせいで人生を狂わされたなんて思ってないよ? むしろ君と出会えて、君の近くに居られて幸運だったと思ってるくらいさ。君はもう少し自分の価値を分かった方が良い。御曹司かどうかなんて関係なく、君は一人の人間としてすっごく素敵なんだから」
リビング内を一通り歩き回ると、シオンは再び俺の眼前に戻ってきた。
「だからボクは、そんな君に幸せになってほしかったんだ。いつまでも過ぎた初恋に囚われるなんて可哀想だから、過去にケリをつけて未来に進むきっかけを作りたかったんだ。初恋を成就させるのも良し、新たな恋に目覚めるも良し、あるいは誰も選ばないのもまた良し。どんな形であれ、君には前を向いてほしかった──だからボクは、魔女ハウス計画を実行に移したんだよ」
動揺する俺を気にすることもなく、シオンはこちらを指差して宣言した。
これまでのシェアハウス生活は、すべて俺のために用意されたものだった、と。
俺を試すためではなく、俺が幸せになるためのものだった、と。
「じゃあ……き、昨日のアレは、なんだったんだ……? なんでお前は、屋上で俺にあんなことを……」
魔女ハウスの真相が明かされたからこそ、浮上する新たな疑問。
音崎千春は秋山シオンと同一人物であり、秋山シオンは魔女ハウスの首謀者である。
それが事実だったとして……じゃあ、シオンはどんな気持ちで魔女としての日々を過ごしていたんだ?
俺の幸せを願うだけなら、病院でキスなんてする必要はあったのか?
これじゃあまるで、シオンは俺のことを──
「ふふ、『シオンは俺のことを好きなのか?』なんて言ったら、ぜったい許さないからね?ボクは確かに君が大好きだけど、それは愛だの恋だのなんて陳腐な言葉で片付けられる感情じゃない。君の負担になりたくないし、この気持ちを押し付けて『ボクを愛してくれ』なんていうつもりは毛頭ないよ。ただ君に惚れてるだけの女とボクを一緒にしないでほしいな」
まくしたてるように言いつつ、シオンは更に距離を詰めてくる。
「君は5人の中から1人を選ぶ資格がある。ボクが望んでいるのは、あくまで最後に君自身が納得のいく選択をすることだ。それが達成できれば、ボク自身はどうなろうと構わない。何度も言うように、ボクの目的は君の幸せだからね。君がハッピーなら、ボクもハッピーさ」
そして、吐息が当たるほどに接近した瞬間。
シオンは、昨夜の真意を全てさらけ出した。
「でも、ボクは誰よりも君を幸せにする自信がある。強制はしないけど、ボクを選ぶのが最適解じゃないかな、って思っちゃったんだ。だから、試しに大河くんの唇を奪って確かめてみたんだよ──ボクが君のヒロインになる可能性はまだ残ってるのかな、ってね」