おやすみ
冬は加速し、応じて日没の時刻も速まっていく。
十一月ともなれば、午後七時の空はすっかり闇夜となっていた。
「よし、到着っと」
だからこそ、星が好きな彼女を連れ出すにはちょうど良い季節だと思った。
「え、えっと……たしかここって、大河くんが刺された時に入院してた病院だよね? こんなところが目的地なの……?」
「ああ、そうだよ。実はこの病院の屋上から眺める星が、たまらなく綺麗でさ。ガキの頃にも一回ここに入院したことがあるんだけど、その時に看護師さんから連れ出されて一緒に見た屋上の夜空が忘れられないんだ。だから……君と話すには、一番いい場所なんじゃないかと思った」
適当に買い漁った缶チューハイが入っているビニール袋を片手にぶらさげ、眼前の大病院を指差す。
どうにか本音を引き出せないものかと試行錯誤はしたが、結局俺が思いついたのは『絶景を眺めながら酒を酌み交わす』程度の考えだった。
「岩崎グループが経営してる病院だから、御曹司権限で出入りは自由なんだ。さ、行こうか」
「ふふ、そっか。……君は最後まで、私たちと真摯に向き合ってくれるんだね」
終わりを悟る彼女と共に、秘密の夜景スポットへ繋がる病棟内に足を向ける。
今夜、全てを決断するために。
幼き日々の思い出と、決別するために。
◆
音崎千春の第一印象は、『クール』『控えめ』といったイメージが強かった。これまでの生活を通して多少印象が変わった部分もあるが、基本的には最初に感じた人物像を大きく崩すこともなく今日に至っている。
時におっちょこちょいな面を見せるが、他の四人に比べると感情の起伏が小さい。ゆえに、何を考えているか一番分かりづらい。今の彼女は、そういった印象だ。
「どうかな? 俺的には結構お気に入りの景色なんだけど」
だからこそ、俺は彼女を星空の下へ連れ出した。
普段は落ち着いている彼女でも、星を見ている時だけはいつも少女のように瞳を輝かせていたから。
その瞬間が一番、ありのままに感情をさらけ出しているように思えたから。
「うん……月が、綺麗だね」
しかし意外にも、今日の彼女はあまり天体観測に乗り気でないように見えた。
「あ、あれ? あまりお気に召さなかったかな?」
ベンチに腰を掛けつつ、彼女の顔色をうかがってみる。
「いやっ! ち、ちがうの! すごく好きな景色なんだけど、なんていうか、その……ちょっと、緊張してて」
「そ、そっか。なら良かったけど……」
しかし、言葉の割に千春さんの様子は普段と変わらず落ち着いているように見える。
やはりどうにも、彼女の心情を言動から読み取るのは難しい。
「ま、とりあえず乾杯しようよ。せっかく大河くんがいっぱいお酒買ってきてくれたんだし」
「あー、そ、そっすね……」
言えない。『酔ったら少しは口軽くなるかな』などと邪な期待を抱いているんて、口が裂けても言えない。
「じゃあ、乾杯」
自分が酔っては元も子もないため、度数低めの酒を選び取って開栓。中身が零れない程度にアルミ缶を彼女の方へ傾ける。
「かんぱーい」
一方、彼女は大人しいイメージに似合わず、少しキツめのスト缶を手に取ってカツリと押し当ててきた。
なにかと違和感は耐えないが、ともあれ宴の開幕である。幼い日によく眺めていた空を見上げつつ、俺たちは大人の飲み物を喉元へ流し込んでいく。
「ねぇ大河くん、どうして急に誘ってくれたの? ……なんて聞くのは、少し野暮かな。多分、アレだよね? 凪沙が学祭で告白まがいのことをしたから、私のことも気になってるんだよね? 大河くん視点だと、最後の二択みたいな状況になってるだろうから……」
「はは、流石にお見通しか。ま、そうだよ。俺は“あの子”を見定めるために、君を呼び出した。決断する前に、君とは話をするべきだと思ったからさ」
今更隠し事をしたって仕方が無い。俺は赤裸々に本心を告げる。
「あはは、やっぱそんな感じだよねぇ。でも……それでも、私は嬉しいな。どんな形でも、大河くんとのデートに変わりはないもん」
打算的な面があると伝えても、千春さんの表情は曇らない。むしろ子供のように無邪気な笑みを浮かべ、チラリとこちらを見つめてくる。
アルコールで火照った頬。
汗ばんだ首筋。
その妖艶さに、思わず鼓動が速まる。
「……俺は、さ。正直、千春さんのことがよく分からないんだよ。落ち着いてるなと思う時もあるし、ドジだなと思う時もある。クールに見えるんだけど、割とアワアワしてたりする。全部千春さんの良い所なんだけどさ。時々、思うんだ──どの姿が本物の君なのかな、って」
パチンと頬を叩き、気を取り直して本題を告げる。
「あはは、相変わらず大河くんは直球勝負だねぇ。まあそういう君だから、私たちはこれまで一緒に居られたんだろうけど」
何か雑念を振り払うようにグビグビとアルコールを摂取しつつ、千春さんは言葉を探すように空を見上げる。
「本物の私、かぁ。自分でもよく分かんないなぁ。そもそも本物の自分って、なんなんだろうね? 何かを演じたり、嘘をついたりしてる時の自分は偽物ってことなのかな? でも、例えば大切な誰かのために嘘をついてるんだとしたら、その“誰か”を思う気持ち自体は本物になるよね? あはは、なんか自分でも何言ってるか分かんなくなってきたけど……本物とか偽物とか、私にはよくわかんないかも」
まくしたてるように言うと、彼女は自嘲気味に笑った。
「はは、そっか。なんかごめんね。変な質問しちゃって」
正直、今の彼女の言葉を完全に理解できたわけではない。結果だけ見れば、質問への回答をはぐらかされた形になるのだろう。
だが、その“ごまかし”は、これまで聞いたどんな言葉よりも、彼女の感情が込められているように思えた。
「はは。自分で聞いといてなんだけど、たしかに俺もよく分かんないな。何が本物で、何が偽物か、なんてさ」
“あの子”は本物であり、魔女は偽物である。この奇妙な同居生活が始まった時はどうしたってそういう意識があったし、それが間違いだとも思っていなかった。第一印象で言えば、魔女ハウスの暮らしは“本物を探し当てるゲーム”のように捉えていた部分もあった。
だから、数か月前までの俺であれば、もう少し本物/偽物の線引きをする意識は強かっただろう。
──だが、今の俺は違う。
「まったく困ったもんだ。君たちに出会わなきゃ、こうして難しく考えることもなかった」
偽物だと思っていた彼女たちの心に触れるたびに、いつしか俺の心も変わっていった。切り捨てるつもりだった偽物が、やけに輝いて見えるようになった。
【大河の優しさがあったから、アタシたちは今まで楽しかったんだよ】
──自由気ままに、素直でいられる君が。
【私、今日から君とホンモノの恋を始めるから】
──辛いことがあっても、すぐに前を向ける君が。
【ふふ、これで契約成立ですね?】
──大切な人たちのために、己の信念を貫き通した君が。
自分らしさを曲げなかった魔女たちが、眩しくて仕方がなかった。
目的のために必死で生きる彼女たちは決して、“あの子”の偽物なんかじゃない。
ただ本気で生きているだけの魔女だ。
いつしかそういう意識が芽生えたから、今は本物と偽物の区別がつかない。
あるいは、区別する必要がないと思っているのかもしれない。
「ふふ、困ったって言ってる割には嬉しそうだね?」
「あはは。まあ……困ったけど、それ以上に楽しかったからね」
悲しきかな。その後は結局マトモな本音など聞き出せそうにもなく、二人の夜は更けていった。
泣きそうに輝く星と、頬を冷たく撫ぜる冬風を添えて。
曖昧な意識の中、長い夢に誘われるように。
「うん。がんばって考えてみたけど、やっぱり私には本物の自分なんて分かんないや」
そうしてしばらく静かに時を過ごした後、彼女はおもむろに呟いた。
「嘘をついたことはあるし、何かを演じている時もあった。でも、どこに居る私も、どんな時の私も、私は全部私で、私だった。昔からずっと、たった一つの気持ちを大切にしているだけの私だったから。それはずっと、変わってないから」
酔いが回り、感覚がおぼろげになっていく最中。
彼女はそっと囁くと、両手で俺の頭に触れた。
そして──気づけば、なぜか膝枕の体勢になっていた。
「へ? 千春さん? 急に何を? ていうか、それってどういう……?」
普段であれば取り乱しているだろうが、アルコールと疲弊した頭脳が相まってマトモな反応を返せない。自分でも何を言っているか分からないまま、朱に染まった彼女の顔を酩酊状態で見上げる。
「何を? そんなの、決まってるじゃん」
──瞬間、ソレはあまりに突然訪れた。
「大河くんが幸せになってほしい。ずっとそう思って、私は隣に居たんだよ?」
告げられて交わしたのは、三度目の口づけ。
一度目よりも熱くて濃密な、アルコールと果実の味。
「あ? え……?」
身体に電流が走るほどの衝撃。
なのに、なぜか意識はだんだんと薄れていって。
──その夜、俺は久しぶりに幼少期の夢を見た。
「おやすみ、大河くん」
そして翌朝、俺は音崎千春の正体に気づいた。