相棒①
魔女ハウスには不必要に広い庭がある。ベランダから一歩踏み出せば容易に辿り着くことはできるが、そこで何かイベントが催されたことは特にない。強いて言うならば、同居人の彼女らと謎に鬼ごっこをしたことがあるくらいだろうか。シェアハウス生活が終わる前に、一回くらいはBBQでもやってみてもいいかもしれない。なんとなく、もったいないような気がする。
初冬の夜風を浴びつつ、ゴロリとだらしなく芝生に寝そべってみる。眼前の星空は良い塩梅に輝いていて、気分転換で眺める分には悪くない光景だ。
「月が綺麗だな」
なんて、月並みな呟きをひとつ。
けれども夜空への感想なんて、天文学に疎い俺にはそれくらいしか思い浮かばない。千春さんだったら、あれやこれやと早口で色々まくしたてるかもしれないが。
「……なにやってんの、アンタ」
と、ここでまさかの来客である。
「ん? あー、なんだリサか。お前こそ、こんな時間にどうしたんだよ」
視線をベランダ方面にズラすと、ジャージを羽織ったギャルが居た。「うー、さっむ」と小言を漏らしつつ、金髪の彼女は俺の元へ歩み寄る。
「……別に、何もないよ。なんとなく、夜風を浴びたくなっただけ」
「はは、そうか。俺と同じだな」
「ふーん、あっそ」
不機嫌とも陰鬱とも取れない微妙な声色で答えつつ、リサは俺の隣に身体を横たえる。
意図はよく分からんが、共に天体観測する流れとなった。
「で、凪沙のことどうするつもりなの?」
「いきなりブッコんできたな」
相変わらず遠慮のないギャルである。
「どうするか簡単に決められたらいいんだけどな」
「まあ別に、今すぐ決めなきゃいけないってわけでもないでしょ? 凪沙だって、落ち着く時間は欲しいと思うし」
「いや、あまり悠長なことも言ってられないだろ。あの演劇のラストには確実に意図があった。それがどんな意図であれ、芦屋さんが現状維持を望んでいないのは明白だ。そんな状態で今の生活を続けるのは……きっと、お互いにとって良いことじゃない」
状況は単純である。
芦屋さんが“あの子”だった場合、彼女は俺に積年の想いを伝えるべくラストのセリフを告げた。
一方、芦屋さんが魔女だった場合は単純だ。あまり想像したくないが、彼女のこれまでの振る舞いが全て演技だったことになる。
芦屋さんを信じるか、疑うか。
俺がどちらかを選べば、結果はどうあれ魔女ハウス生活に終止符が打たれる。
「できれば、芦屋さんを疑うのは心苦しい。だが、感情を抜きにして状況を整理すると、芦屋さんが魔女である可能性は捨てきれない。芦屋さんも、千春さんも。正体を決定づける証拠が、まだ掴み切れていない」
「……そっか。疑うのが、辛いんだね」
「はは、情けない話だよな。ここに来て、二人とも信じたいと思っちまう自分が居るんだ。まったく、我ながら甘すぎて呆れてくる」
その点で言えば、俺は岩崎家の跡継ぎに向いていないのかもしれない。大企業を率いるとなれば、感情を度外視で決断すべき場面などいくらでもあるだろう。だというのに、こんな個人的事情ですら感情に惑わされて選択を決めかねているのだ。
「ふふ、そんなことないよ。大河が情けないことなんてない。アタシが保証する」
しかしリサは、そんな自己評価を否定するのだった。
「この生活が始まった時、アンタは露骨にアタシらを疑う目をしてた。異性慣れしてなくて、どうしたらいいか分からない。そういう感じが、ヒシヒシと伝わるくらいにはね」
「それに関しては思い出すだけで死にたくなるためノーコメントとさせていただく」
「あはは、ウケる」
いつもの調子でケタケタと笑いつつ、リサは言葉を続ける。
「でもさ。一緒に暮らしてるうちに、大河ってアタシらをちゃんと見てくれるようになったじゃん。疑うんじゃなくて、向き合うようになった。4人も魔女が居るっていうのに、アンタは色眼鏡でアタシらを見なくなった。何かと人目を集めて生きてきた魔女たちは多分、それが、嬉しかったんだ」
嬉しかったという言葉に違和感を覚えるが、ここで話を遮るのも野暮な気がした。
俺は黙って夜空を見上げたまま、再び彼女の言葉に耳を傾けることにする。
「現に、舞華と沙耶は大河に救われてる。それはアンタが疑わずに向き合ったからこそ生まれた結果なんじゃないかな。だから、情けないなんて、そんなわけない。大河の優しさがあったから、アタシたちは今まで楽しかったんだよ。……うん、そんなアンタだから……アタシは……」
そこまで言いかけると、リサはパチンと頬を叩いて立ち上がり、
「そんなアンタだから、アタシはアンタの相棒でいられて良かったなって思えるの! はい! これで少しは元気出た?」
悪戯に微笑んで、こちらを指差してきた。
「……お前、もしかして俺のこと心配して来てくれたのか?」
「っ! べっ、別にそんなんじゃないし! たまたま目ぇ覚めただけだし! で、でも、なんていうか? アンタが悩んでそうだから、少しは励ましてやってもいいかな……みたいな?」
「はは、随分と優しくなってくれたじゃねぇか」
「うっさい! 調子乗んなし!」
珍しく顔を真っ赤にして取り乱す彼女が面白くて、思わず頬が緩む。
こういう時だからこそ、気楽に会話を交わしてくれるリサの存在はありがたい。
魔女ハウスの中で唯一、純粋に俺の味方で居てくれた。
魔女たちに気を張って過ごす日常だったけれど、リサと居る時だけは何も考えずに自然体で居られた。
俺が今日まで投げ出さずにやってこれたのは、きっとリサのおかげだ。
「ありがとう。俺も、お前が相棒で良かったと思うよ」
「ふふ、何よ今更……そんなの、言わなくても分かってるっての!」
なんでもない夜。
なんということはない会話。
それなりに輝く星空の下、俺と彼女はワケもなく笑い合う。
気分を変えて考えれば妙案が浮かばないかと思い夜更けに庭へ出たものの、特に良いアイデアが浮かんだわけではない。
だが、彼女と言葉を交わしたおかげで自分のやるべきことはなんとなく分かった。
「サンキューな、リサ。なんか吹っ切れたわ。結局俺は、俺らしくやるしかない。納得できるまで考えて、向き合って、徹底的に二人のことを知ろうとする。なりふり構わず、そうするしかなかったんだ」
たとえどんな結末になろうと、自分なりの答えを出す。
そう決めたはずだったのに、いざ終わりが目の前に見えると、俺は怖気づいてしまっていた。傷つくのが怖くて、傷つけるのが怖くて、ウジウジと一人で悩んでしまった。
──だが、そんな恐怖は相棒のエールのおかげで消し飛んだ。
大胆なアクションを起こした芦屋さんの真意を知る。
まだまだ謎が多い千春さんの内にある想いを知る。
俺がやるべきことは、それだけだ。
答えを出す前に、まずは真実を明らかにしなければならない。
「ふふ、よかった。これならもう……アタシが居なくても、大丈夫かな」
「は? 何言ってんだよ。お前、まだ俺に借りがあるだろ。海の家行った時の”車出してくれたら何でも一個命令を聞く”って言葉、忘れてねぇからな。シェアハウス終わるまでに絶対何か命令するからな。いきなり居なくなったら許さねぇからな」
「はぁ、めんどくさ。細かいこと気にしてたらモテないわよ?」
「はっはっは、なんとでも言いやがれ」
少しだけ互いを認め合い、すぐにいつも通りの悪態に戻る。
それがなんとなく、心地よい。
だからこそ、もうすぐ終わる日常が、より名残惜しく思えてくる。
「まったく、アンタってヤツは……」
隣で少し寂しそうに笑う彼女も、同じことを考えているのだろうか。
覚悟を決めた一方で、どこか切なく感じる夜。
言葉を交わしただけ。
無数の星を見ただけ。
月が綺麗だっただけ。
特別なことは、何もなかった。
だというのに、なぜか今夜を一生忘れられないような気がした。