背中越しの告白
沙耶の借金問題を解決した後、俺は彼女と共に第二体育館へ急ぐこととなった。
本音を言えば少し落ち着く時間が欲しいところだが、そういうわけにもいかない。この学園祭本来の目的は芦屋さんの晴れ舞台を見届けることなのだ。
腕時計が刺し示す時刻は17時40分。既に予定公演時間の7割が過ぎている。せめてクライマックスまでに到着したい一心で、俺と沙耶は全力でキャンパス内を駆ける。
「はぁっ、はぁっ! す、すみません、大河さん! 私のせいで、こんな時間になってしまって……!」
「そんなの気にしなくていいから、今はダッシュだ! 積もる話は後にしよう!!」
「は、はいっ!」
夕暮れ時を迎え、人が減り始めた学内をひたすらに走る。こうなると分かった上で屋上に向かったから後悔はしていないが、運動不足の身体で全力ダッシュはなかなかにキツい。
だが、頭の中だけはやけに冷静だった。火照る身体とは裏腹に、ここ最近で浮上した疑念について俺は思考を回し始めていた。
──シオンがやたらと魔女ハウスの事情に介入するようになっていないか?
それが目下、最大の疑念だ。特に今回の学園祭は良くも悪くも、アイツ抜きには成り立たなかったと言って良いだろう。
俺が学園祭に向かうことをシオンがリークしなかったらキャンパスで全員集合することもなかった。さっき沙耶に渡した契約書だって、アイツが「たまたま大学近くに居る」と言っていたから用意できたが、それが本当に“たまたま”かどうかさえ怪しい。偶然にしては出来過ぎている。何の目的があるかは分からないが、アイツは魔女ハウスの事情を知り過ぎている。
ん、待てよ? もしかしたら、シオンは──
「いたっ!!」
──と、結論が出かけた瞬間。俺の思考は沙耶の悲鳴によって途切れることとなった。
「ど、どうした沙耶!? 大丈夫か!?」
慌てて物思いの世界から脱し、隣で足を抑えて蹲っている彼女に声を掛ける。
「い、いたた……す、すいません、ちょっと足を挫いてしまったみたいで……面目ないです」
「うお、マジか……ごめんな、無理させちまって……」
「い、いえ! 大河さんが謝ることないです! 私が悪いんですから!!」
沙耶はこう言っているが、俺に落ち度が無いとは言えない。屋上であんなことがあったばかりだと言うのに、俺の都合に合わせて寝不足の彼女を走らせてしまったのだ。急ぐあまり、そこまで気を回せていなかった。
「わ、私のことは置いて行ってください。せめて大河さんだけでも、会場に……」
沙耶は気丈に振る舞っているが、両の目には微かに涙が浮かんでいる。相当足が痛むのだろう。
また、友人想いの彼女のことだ。このまま芦屋さんの晴れ姿が見られないのを、残念に思っているに違いない。
チラリと腕時計を見やる。時刻は17時45分。公演終了まで、あと15分といったところか。
──よし、ならまだギリ間に合うな。
「沙耶だけ置いてくなんて、できるわけねぇだろ。つか怪我してる女の子放っておくとか、ありえねぇって。俺が会場まで運ぶから心配ナッシング」
そう宣言すると、俺は半ば強引に彼女を自分の背に乗せた。
「わ、わわっ! た、大河さん!? 急に何をっ!?」
「急にも何も、こうするしかないだろ。俺が沙耶をおぶれば問題無い。俺だって、君と一緒に芦屋さんの晴れ舞台を見届けたいんだよ」
彼女は魔女だ。だが、共に時を過ごした大事な同居人であることに変わりはない。
──嘘はあったが、全てが偽りではなかった。
それが魔女・漆原沙耶に対する、俺の最終結論である。
だから、俺は彼女を連れていく。全員が揃っていなければ、俺だけ間に合ったとしても意味がない。
「す、すみません。じゃあ、お言葉に甘えます……」
「ああ、そうしなよ。辛いことがあった日くらい、誰かに甘えてもいいんだ」
俺と彼女は違う。異なる人生を歩んできたから、俺は彼女の苦しみを知らない。これからだって、100%彼女の苦悩を理解することはできないだろう。
だが、かといって何も知らないわけではない。見えている範囲の出来事なら、多少なりとも知っている。
毎日手の込んだ料理をふるまい、だらしない俺たちの世話を焼いてくれた。陰で思い悩みながら、今日まで魔女ハウスの生活を支えてくれた。
「沙耶はずっと、がんばってたからな」
──それくらいなら、俺でも知っている。
「……っ、ひぐっ、ぐすっ……!」
「え!? ちょ、さ、沙耶!? 泣いてる!?」
背中越しなので顔は見えないが、数歩進んだところで沙耶が泣き始めてしまった。さすがに一日で二回も女の子を泣かせると焦ってしまう。
「だ、だってっ……! あなたが優しすぎるから、いけないんですっ……!」
「あ、え、えっと……ごめん……?」
「絶対ゆるしませんっ!!」
「あいたたたたた! いたい! ぎゅってしないで! 苦しいから!!」
なぜか背中から回されている腕の力が強まった。豊満な胸がぎゅうぎゅう押し付けられている形だが、その感触に浸れないくらいガチガチに締め上げられてて痛い。
「もうっ、こんなことされたら、諦めたくても諦めきれないじゃないですか……」
「? 諦める? 何を?」
「この鈍感っ……!!!」
「あいたたたたた!!! いたい! いたい! ごめんなさい!!」
またもやホールドの力が強まった。冗談抜きでめちゃくちゃ痛い。
「はぁ。でも、仕方ありませんね。大河さんって、そういう人ですもんね。わかりました──あなたでも分かる言い方で、伝えることにします」
言うと沙耶は腕の力を緩め、耳元まで顔を近づけてきた。
シャンプーと香水の匂いが、鼻腔をくすぐる。
「このシェアハウスが終わる時、あなたは誰を選んでもかまいません。どんな結末になろうと、一旦は受け入れてあげます。でも、覚悟しておいてください。たとえ他の子が選ばれようと、私はすぐにあなたを諦めたりはしません。諦めることなんて、できません」
すると沙耶は、また少しだけ腕の力を強めて──
「だって今、私は世界で一番、岩崎大河のことが好きだから」
──背中越しに、恋心を告げた。