17.女子会
みんなでいつもの高級車に乗り込んで着いたのは、なぜか緑川先輩の会社のビルだった。女子会っていうとカフェとかファミレスとかのイメージだったから、違和感がすごい。
全員でぞろぞろと車から降りて、受付に着いたところで緑川先輩が出てきた。
「遠いところを来てくれてありがとう。今日はゆっくりしていってね」
穏やかに笑って声をかけてくれる。
「あ、はい。よろしくお願いします……?」
頭を下げ返したところで、司が私の前にすっと入り込んできた。
「俺も一緒に行くからね」
司の言葉と同時に、緑川先輩の眉間にきゅっとしわが寄る。
「今日は女子会だって言っていたでしょう。きみはこっちだよ」
あきれと苛立ちが混ざったような声で言って、司をにらみつける。
……うん。前にも思ったけど、司に対してだけ明らかに態度が違う。司も緑川先輩には嫌われてるって言ってたし、二人の間に何かがあったのは間違いなさそうだ。
「あの、司が何かしましたか……?」
さすがに気になって聞いてみると、緑川先輩は苦笑した。
「青柳自身に何をされたわけでもないよ。凡人が天才を妬んでいるだけさ」
「天才……?」
緑川先輩の言葉に違和感を覚えて、思わず復唱してしまった。
……いやまあ、たしかに司は色々できるけど。天才っていう言葉はあんまり似合わないような気がする。
「俺のこと嫌ってるのに、緑川は化け物って言わずに天才って言うんだよね」
司が楽しそうに言って、緑川先輩は嫌そうにため息をつく。
……どうやらなんとも言えない温度差が二人の間にはあるらしい。
緑川先輩は本気で司のことを嫌っていそうだけど、天才っていう肯定的な言葉を使うあたりに割り切れない複雑な感情が見える。
司は司で嫌われてても気にしてなさそうだし、これは私がどうこう言うようなことでもなさそうだ。
「瑠璃さんは気にしなくていいからね」と、微笑みながら言われて素直にうなずいておく。
*
案内されて着いた談話室は、おしゃれなカフェみたいな場所だった。
入ってすぐの場所にカップ式の自販機があって、その横にあるカウンターには緑茶からハーブティーまで色々な種類のティーパックやガムシロップやミルク、かごに山盛りの個包装の焼き菓子までが並んでいる。
中を見ると二人掛けの机が距離を開けて配置され、席の間に観葉植物が飾られて軽い目隠しになっている。部屋の真ん中には大きめの机があって、大人数の時にはこっちを使うようになっているらしい。
ペンダントライトに照らされたおしゃれな空間に口を開けて見入っていると、部屋の中から群衆の女子がおずおずとやってきた。
「多分覚えてないと思うから紹介するけど、こいつはおれらと同じクラスの翡翠。
こいつも名前持ちだからな。お前も分かってると思うけど、わざわざあれだけ手間と金かけて名前の登録してんだから使い捨てにはされねえよ。
大事にされてる分だけ死ににくいんだから、名前があるやつとくらいはまともな人間関係作っとけよ」
あきれたように言われて、ぐうの音も出ない。
「うっ……わかった」
なんとか返事をした私に、蛍はしょうがねえなあという笑みを浮かべる。
群衆はとにかく死にやすい。
仲良くなってもあっさりいなくなることも多いからできるだけ深くは関わらないようにしてたけど、ずっとそれじゃいけないのは分かっていた。
分かっていて先延ばしにしてきたけど……蛍の言う通り、名前のある人なら少しは違うのかもしれない。
「えっと……瑠璃です」
「翡翠です」
名前を言い合ってなんとなく沈黙する。
「んじゃ、おれはこっちでやることあるから適当に話してろよ」
言い残して蛍はさっさとどこかに行ってしまう。
……正直、同じクラスっていってもできるだけ個人認識しないようにしてたからどの人なんだかいまいちわからないんだよね……。
改めて目の前に立つ女子を見てみる。
そでがふわっと広がった白いシャツに、オレンジ色の薄い生地を重ねたロングスカート。
髪の上半分だけをざっくりと編み込みにして、緑色の髪留めでまとめている。
思いっ切り眉を下げて困ったような顔をしていて、見るからに気弱な感じだ。かけているキャラメル色の眼鏡がかわいい。
……さすがにこれだけ特徴があれば覚えていそうなものだけど、まったく記憶にない。
「ええっと……学園の中でもそんな感じです?」
「いっ、いえ……これは、仕事の時だけです。分かりにくくてすみません……。普段は眼鏡もしていませんし……髪も後ろで三つ編みにしています……」
小さな声での謝罪まじりのしゃべり方にはなんとなく覚えがあった。
「あっ、あの。先日は……ありがとうございました」
いきなりお礼を言われるけど、何のことかわからない。
首をかしげると、翡翠さんは困ったような顔を少しだけ赤くしてうつむいた。
「教えていただいた言い回しのおかげで、無事気持ちを伝えられましたから……」
その言葉で、夏休みに入る前に声をかけてきた子だと気が付いた。
たしか『好きだと言わずに好意を伝える言い方を教えてほしい』と聞かれたはずだ。
無事気持ちを伝えられたっていうことは……。
「翡翠さんの好きな人って、色付きだったんですか?」
「は、はい。そうです……。緑川様と、お付き合いをさせていただいています……」
「緑川先輩と!」
ああ、だから女子会の場所が緑川先輩の会社だったのか。
「あっ、あの。まずは……座りませんか……?」
言われて、入口で立ちっぱなしで話をしているのに気が付いた。
「あ。そうですね」
「あの、好きな飲み物を選んでください。お金は、いりませんから」
「え、そうなんですか?」
自販機に近づくと、何もしていないのにライトが全点灯した。本当にお金はいらないらしい。ミルクティーのボタンを押して出来上がるのを待っていると、焼き菓子が山盛りのかごを差し出されて選ぶように言われる。これも無料で食べ放題らしい。緑川先輩の会社の気前の良さにただただ驚く。
「福利厚生の一環だそうです」
翡翠さんは小さく笑って教えてくれた。
緑川先輩は本当に群衆を大事にしているらしい。
「すごいですね……」
つぶやきながら、ミルクティーとマドレーヌを持って翡翠さんの背中を追う。
奥の方の観葉植物で目隠しされた席に、ノートパソコンと紙コップが置いてあった。多分私が来るまで翡翠さんはここで何か作業をしていたんだろう。
「ええと……それで、女子会……ということですけど……」
困ったような顔で翡翠さんが聞いてくる。今気付いたけど、翡翠さんは薄くだけど化粧もしている。かわいいな。私も少しくらいした方がいいんだろうか。
「あ、はい。私も色付きの人と付き合ってるんですけど。話してる時に違和感というか、考え方の違いとかってやっぱり感じたりします?」
化粧品ってどこで買えるんだろう。学園の購買には売ってなさそうだし、やっぱり蛍が言ってた商店街の中とかかな。
別のことを考えつつ聞いたら、翡翠さんは少し悩んだ後でうなずいた。
「そう……ですね。緑川様は、とてもおやさしい方なので……。決定権を、こちらに譲ろうとされることが多いのは、少し……困ります、ね」
……うん?決定権を譲るってどういうことだろう?
「どういうことですか?」
「緑川様は……群衆はどうしても色付きに比べて立場も力も弱いからと、無理強いにならないようにと……考えてくださっているんです。それは分かっているのですが……大切なことを決める時に、わたしの意見を優先してしまうことが……多いんです」
「いいなあ……!」
思わず言ってしまって、不思議そうな顔をされる。
「司は、大事なことを隠そうとするんです。私にとって良くないことだったり、難しいことだったり色々なんですけど。私が気付いて聞けば教えてくれるけど、そうでないと言ってくれないんですよ」
「……それは……青柳様の気遣いなのでは、ないでしょうか……?」
「多分そうだと思います。私は群衆で弱いから。だから自分がやった方がいいって思ってるんだと思います。……でも。恋人なんだから、それじゃ駄目だと思うんですよ。
一方的に守られるばっかりなのは、嫌なんです」
私はいつも守られてばかりだ。それは、きっと今も。
「……多分、まだ私が知らないこともたくさんあると思うんですよ」
「そう……かも、しれませんね……」
あまり他の人には言ってこなかった本音を口にすると、翡翠さんは困ったように微笑んだ。
「だから、大事なことを決めるときにちゃんと意見を聞いてくれるのっていいなあって思うんです」
「そう……でしょうか……。わたしは、緑川様にはもっとご自分のお気持ちを大切にしていただきたいのですが……」
困ったように言う翡翠さん。気をつかわれすぎるのも逆に大変なのかもしれない。
同じように色付き相手に恋愛をしていても、相手によってこんなに違うとは。
「もういっそ、足して二で割ったらちょうどよくなるんじゃないですかね」
「そうかも……しれませんね。ですが、そうなってしまったら……その方はもう緑川様ではありませんから」
微笑みながら言い切る翡翠さん。
まあ、たしかに。
他人に気を使えて何でも言ってくれる司は……うん。それはもう司じゃないな。
「そうですね。私もそんな司は嫌です」
二人で小さく笑う。
お互いの恋人の小さなグチを言い合って、翡翠さんが化粧品を買ったお店に一緒に行く約束をしたところで入口近くから声がかかった。
立ち上がって見ると、司と緑川先輩が並んで立っている。
……なんだかんだこの二人、仲がいいんじゃないの?
思いながら翡翠さんにまたね、と手を振って司の隣に戻る。
「楽しかった?」
「うん。今度一緒に買い物に行く約束もしてきたよ」
「それって俺も一緒に……」
「駄目でしょう。女性同士の買い物に男がついていくのは無粋だよ」
言いかけた司の言葉を緑川先輩がぴしゃりとさえぎる。
「そんなこと言って何かあったらどうするの」
「何があるっていうんだい?店は貸し切り、護衛も付けて、おまけに瑠璃さんには使役獣もいるんでしょう?逆にどんなことがあれば危機に陥るの?」
「何が起こるかなんか分からないじゃない」
「……それはそうだけれどね。せめて店の前で待機くらいにしたらどうだい?」
「まあ……それならいいけど」
……おお!司が先代や月草さんたち以外の人の言うことを聞くところなんて初めて見た。
思わず緑川先輩を尊敬のまなざしで見ていると、私の視線に気付いた緑川先輩が口をへの字に曲げた。
「……断固として、僕と青柳は仕事上の付き合いでしかないからね」
「友達じゃないの?」
「違う!」
……やっぱり仲がいいんじゃないのかなあ?
言い合う二人の隣で、こっそり翡翠さんと目を合わせる。
翡翠さんは小さく笑って、私もなんだかなあと笑い返した。