14.新しい名前 2
「あー……お互いに決意を固めてるところ悪いんだけどな。
今日明日って話じゃないんだから、そんな焦らなくていいと思うぞ」
不意にかけられた、あきれたような困ったような男子の声で我に返る。
……あ。ここ市役所のカウンター前だった。しかも名前登録の手続き中だ。
「わ。あ、えっと、とりあえず離れようか!」
ぱしぱし司の背中を叩いてなんとか離れてもらう。
司は少しだけ不満そうな顔をしていたが、手をつなぐと嬉しそうにへろりと笑った。
司の笑顔につられて私も笑顔を返したところで、月草さんがすっと話題に入ってくる。
「心配なさらなくても、お一人ですべてを背負う必要はありませんよ。
次代もいますし、オレたち使用人一同もお支えしますから」
「そ……う、ですよね」
自分は月草さんたちに支えてもらうに足る人間なのか。考えそうになって、頭の中で首を振る。
……そうじゃない。
私は一人で全部できるようなすごい人間じゃない。
司の隣に立つためにはたくさんの人の助けが必要だ。
内心の怯えを噛み殺してなんとか笑い返した私の手を、司が静かに指を絡めてぎゅっとにぎる。
「つーか、そろそろ結界解除しないと、おっちゃん困ってんぞ」
男子が親指で示す先には、困惑したように眉を寄せて立ち尽くす東雲さんの姿がある。
どうやら月草さんの結界には姿を隠す効果もあるらしい。
さっきの私と司だけのとは違って、今回は全員で会話ができているから結界の外から見れば全員消えたみたいに見えるんだろう。
「そうですね。解除しますが……大丈夫ですか?」
月草さんが尋ねてくれるのに、司と二人で頷く。
「わかりました」
ぱしん、と月草さんが手の平を打ち合わせると、ふっと空気が変わってまわりの音が戻ってくる。
「大変お待たせしました。続きをお願いします」
月草さんが何事もなかったかのように言って、
「それでは、群衆のお二人はこちらに署名をお願いします」
さっきまで浮かべていた困惑した表情をきれいに消して対応する東雲さん。
気になるところも聞きたいこともあるだろうに、さすがプロだ。
私と男子の前にそれぞれ置かれたのは、さっきまで司と月草さんが記入していた用紙だ。
一番下の署名欄に、青柳瑠璃と記入する。
隣に置かれた男子の用紙を見ると、月草蛍と書いてあった。
「名前、蛍になったんだね。ピアスの石から?」
男子の付けているピアスの石は多分フローライトだ。フローライトは和名では蛍石になる。
「らしいな。お前もこれで正式に瑠璃になったんだから、呼ばれたらちゃんと返事しろよ」
「……うん」
『青柳瑠璃』は、こっちの世界で生きていくための名前だ。
前の世界も『佐原彩音』も忘れたりはしないけれど。
「大丈夫。大切にする」
今度はちゃんと笑えた。
*
「それでは、登録料ですが」
「俺は魔力で払うから」
東雲さんの言葉をさえぎって司が言う。
「魔力……ですか。少々お待ちください」
今まで何があっても平静を保っていた東雲さんが明らかに驚いた顔をした。
デスクの奥の衝立の向こうに消えていく東雲さんの背中を見送りながら、司に聞いてみる。
「……ねえ、司。魔力って登録料にできるの?」
「できるよ。魔力で払う場合はかなりの量が必要になるから、普通はしないみたいだけど。
今回だと多分普通の人間なら十人分くらいになるんじゃないかな」
「それって……大丈夫なの?」
「うん?大丈夫だよ」
この反応……あんまり大丈夫じゃないんじゃないかなあ……。
軽く不安になるけど、こういう時の司は私の言うことを聞かない。
仕方ないから、何かが起こるかもしれない覚悟だけはしておく。
「お待たせいたしました」
しばらくして戻ってきた東雲さんは、両手でやっと抱えられるくらいの大きさの物をカウンターの上に置いた。
見た目は地球儀?天球儀?みたいな形をした置物だ。
真ん中に透明な球体があって、そのまわりを大きさの違う三つの金色の輪が取り囲んでいる。
長い間使われていなかったのか、落とし切れていないほこりが台座に付いているのが気になるんだけど……。
私たちの目の前で東雲さんは台座近くに付いているダイヤルを難しい顔で調節する。
「もういい?」
「はい。こちらの球体に触れていただければ」
「わかった」
金色の輪を避けて司の手が球体に触れる。
数秒もたたないうちに、透明だった球体が水の中にインクを落としたみたいにじわりと青色に染まっていく。
球全体が青くなり、どんどん色が濃くなってほとんど黒に近くなったところで、不意に司がふらついた。
「司!」
椅子からずり落ちそうになった司を抱きとめる。
……顔色が悪い。
「だから無理しないでったら!」
「大丈夫だよ。……魔力、足りてるでしょ?」
私の体に体重を預けたまま、司が東雲さんに確認する。
「はい。確かに……規定量いただきました」
金色の輪についた目盛りを確認して東雲さんが頷く。
「俺はカードで支払います」
司の手続きが終わったのを見計らったように月草さんが言う。
「こちらが登録料及び手数料です」
「構いません」
提示された書類を確認して、月草さんがカードを取り出す。
ちらっとしか見えなかったけど、ゼロの数が思ったより多かったんだけど……。
「ちょっ、お前、今の金額っ」
「後で聞きますから」
私と違ってしっかり書類の内容を見たらしい男子を、月草さんは笑顔でさらっと押さえて決済を終わらせてしまう。
もしかして、名前の登録って思ってたより大変なことなんじゃないだろうか……。
今更ながら気が付いて妙な汗が流れる。
お互いに微妙にひきつった顔を男子と見合わせている間に、東雲さんは書き上がった書類をコピー機で複写する。
出てきた紙の方をファイルにとじて、原本を持ってこっちまで戻ってきた。
「それでは、群衆のお二人はこちらに右手を出してください」
……不安ではあるけど、ここまできてためらっていても仕方ない。
東雲さんが置いた書類の上に右手を差し出す。
「しばらくの間、手を動かさないようにお願いいたします」
「はい」
何が起こるのか分からないままにうなずくと、東雲さんは書類の端に指先を置いた。そして小さな声で何かをつぶやいた途端、ざあっと紙が赤く染まっていきなり炎が立ち昇った。
「えっ!」
びっくりして思わず手を引く前に炎は消え、おそるおそる確認した手首には銀色の細い腕輪が輝いていた。
よく見ると細かい模様が彫られていて、そしてどこにも継ぎ目がない。きつい感じもしないのに、振ってみてもずれることもない。
横を見ると、男子の右手にも同じような銀色の腕輪が光っていた。
「これで手続きは完了です。
名前が必要とされるような公的なサービスを受ける場合には、そちらの腕輪を提示してください。
お二人によりよい生活が待っていることをお祈りいたします」
定型文だと思われる言葉をすらすらと言って、東雲さんは頭を下げる。
「じゃあ行こうか」
司があっさり立ち上がる。
「え、これで終わり?こんな感じなの?」
「単なる事務手続きだからね。こんなものでしょ」
話しながら市役所の自動ドアを出ると、近くの駐車場に停めてあった車から誰かが降りてきた。
緑色の髪をして眼鏡をかけたその人は……多分、緑川先輩だ。
こちらに近づいてきながら、微笑んで私の後ろに向かってひらりと手を振る。
……私は緑川先輩とは話したこともないから、月草さんか男子と知り合いなのかな?
邪魔にならないように横によけようとしたら、緑川先輩は司の三歩くらい手前の位置で立ち止まった。
「登録は終わったのかい?」
問われた言葉には答えずに、司が小さく笑みを浮かべる。
「早かったね」
「そりゃあね。他の人間の手に渡る前に確保しないといけないからね。
金銭で充分まかなえるくせにどうしてわざわざ魔力なんか使うんだい。
きみはいい加減自分の魔力が危険なものだと自覚するべきだよ」
緑川先輩は司をにらんだ後で、ふとこちらに目を向けてきた。
「……こんにちは。あいさつが遅れてごめんね」
司に向けていたのとはまったく違う、穏やかな笑みを浮かべて目線を合わせてくる。
「きみと直接話をするのは初めてだね。
僕は緑川結絃といいます」
やっぱりそうだ。生徒会にいた緑川先輩だ。
卒業した今は……たしか自分で作った会社で社長をしているはずだ。
「はじめまして。青柳瑠璃です」
新しい名前を名乗って頭を下げると、緑川先輩は眉を下げて笑った。
「色々と大変だったね。もしお忍びがしたかったら、僕の会社で群衆の色のカラーコンタクトやカツラも取り扱っているから声をかけてね」
「なんでそんなものがいるの?お忍びなんてする必要ないじゃない」
不思議そうに首をかしげる司に、緑川先輩は眉を寄せる。
「きみにはなくても、彼女にはあるかもしれないでしょう」
……まあたしかに。
雪柳と契約して髪の色がミルクティー色に変わったから、他の人たちの中に紛れ込むことはできなくなった。
前みたいに群衆の一部にとけこみたいときにはいいかもしれない。
「その時にはよろしくお願いします」
「こちらこそ、だね。
こんな商品が欲しいという要望があればいつでもどうぞ」
誠実という言葉が似合いそうな表情と声で言って、緑川先輩は笑った。
……すごいな。
社長さんなのに偉そうな感じじゃない。
だけど、ちゃんと上の人だっていうのがわかる。
「どうでもいいけど早くしなくていいの?
あれ、かなり旧式だったから長時間は俺の魔力に耐えられそうにないけど」
司がつまらなさそうに言った途端、緑川先輩の顔色が変わった。
「本当にきみは!そういうことは早く言ってくれないかいっ?
例の件はまた後日連絡するから」
従者や護衛の人たちを引き連れて緑川先輩は市役所の中に早足で入っていく。
「……どういうこと?」
「緑川は群衆全体の強化のために俺の魔力を研究したいんだって。
君みたいに使役獣と契約はできなくても、俺の魔力で強化すれば死ににくくはなるからね」
「なるほどね」
群衆って本当に死にやすいからなあ。
確かに、もう少しだけでも死ににくくなってくれたら色々なことが変わりそうだ。
「っていうか司……緑川先輩に嫌われてない?」
司に対してだけ当たりがきついというか、態度が全然違う。
何かあったのかなと思って聞いてみると、
「うん。嫌われてるね」
笑顔であっさり肯定してくる。
「そのわりには嬉しそうなのはなんでなの?」
「緑川は俺のことちゃんと見て嫌ってくるから」
……うん。意味が分からない。
でもとりあえず、司が緑川先輩のことを好意的に見ているのはたしからしい。
「群衆の強化……上手くいくといいね」
なんとなく緑川先輩が消えていった自動ドアを見ながら言ったら、
「強化できたら、君も嬉しい?」
首をかしげて司が聞いてきた。
「……うん。そうだね。
やっぱり普通に話してた人が次の日あっさりいなくなったりするのは怖いし」
それが当たり前だってわかっていても、慣れるのは難しい。
「そっか。わかった」
司は笑顔を浮かべて私に手を差し伸べた。
「とりあえず帰ろっか。それとも何か食べてく?」
うーん……外で食べると月草さんと男子が食べられないからなあ。
「他に用事がなさそうなら戻ろうか」
司と手をつないで車まで戻る。
今日は先代との勉強会はお休みだし、午後は何をして過ごそうか。




