12.朝の光景
夏休みが始まって十日近く。
あいかわらず司の部屋に泊まらせてもらっている私の朝は、司の腕の中から始まる。
寝起きでぼんやりした視界には、司の着ているTシャツの生地が見える。
首の下には司の腕が枕代わりに敷かれていて、そこからつながる司の腕が私の肩をゆるくホールドしている。もう片方の腕はしっかりと私の腰に回っていて、毎朝のことだけど身動きが取れない。
ほっぺたが司の胸板にくっついていて、寝ている間は気にならなかったけど起きてしまうと少しだけ息苦しい。
半分寝ぼけたままで顔を上げると、ふわふわと後頭部の髪をなでられた。
なじんだ手の感触が気持ちよくて思わず口元をゆるませると、おでこにやわらかな感触が降ってくる。
そのまま、まぶた、鼻の頭、ほっぺたと唇で軽く触れられて、司の顔が耳の下あたりにもぐりこんできたところでくすぐったくて笑いがこらえきれなくなった。
「ふ、ふふっ。ごめんくすぐったい!もうやめて~!」
言った瞬間、バチッと司の胸元から青白い火花が散って、司が顔をしかめる。
「痛っ……夢……じゃない?今日も?」
「おはよう。今日も夢じゃないよ」
ぱちぱちと目を瞬かせる司に笑って答えると、
「……ごめん」
司はへにゃりと泣きそうな顔で謝ってきた。
「謝らなくていいよって言ってるのに」
「駄目だよ。……なんで毎日こっちに来ちゃうんだろ?」
司は毎晩、手を出さない自信がないからって襖の向こうの部屋で眠る。
だけど朝になるといつの間にか私を抱きしめて眠っているのだ。
「毎朝なんだから、もう最初っからこっちで寝ればいいのに」
「駄目だよ。彩音は俺のこと信用しすぎ」
話しながら起き上がって、布団の上で隣り合わせに座る。
「柱に縛り付けても意味なかったし。いっそ、彩音に触れないように誓言しておいた方がいいのかな」
「それじゃ、恋人になる前の状態じゃない」
「……だよね」
話していると、くぁふ……とあくびが出た。
ちょっと恥ずかしくて、ちょっとごまかすみたいに笑ってしまう。
「この間熱出してからキスしても体調崩さなくなったし。
あと何回か熱出せば色々なんとかなりそうな気がするんだけど?」
首をかしげて言ったら、なぜか司が両手で顔を覆って倒れ込んだ。
「……もう、そういうこと言うから!
色々我慢してるのに理性が駄目になるから!本当に俺なんか信用できないんだから!」
司が何かを叫んでいるけど顔を覆っているうえに早口すぎて上手く聞き取れない。
反応に困っている私の目の前で、司はがんがんと畳に頭を叩き付ける。
……いや、うん、ちょっとこのままだと部屋が壊れそうだからやめた方がいいんじゃないかな。
「ええと……なんかごめん?」
半分疑問形で謝ったら、司はがばっと起き上がって耳まで赤くなった顔で首を振った。
「悪いのは俺だから!」
「いや、どうだろう?」
私にも原因はあるような気がする。
司の目をじっと見ていると、司は自分を落ち着けるように大きく息を吐きだした。
「……とにかく。その辺りのことは緑川に頼んでるからもう少し待ってて」
「緑川って……司と生徒会で一緒だった緑川先輩?」
なんでいきなり緑川先輩が出てくるんだろう。
……というか、緑川先輩が卒業してからも司との付き合いが続いてることがまず驚きなんだけど。
「緑川は群衆に詳しいから色々聞いてるんだよ。
彩音が入院した病院も緑川から教えてもらったしね」
「え、そうなんだ」
「そうだよ。俺は群衆のことよく知らないしね」
たしかに緑川先輩は学園にいた時から群衆にあれこれと仕事を任せていた。
関わることが多い分、色々なことを知っているのかもしれない。
「緑川は群衆の強化とか他人の魔力を移植する研究をしてるんだけど、その過程で他人の魔力に対しての拒絶反応を抑える薬も開発してるんだって」
「そうなの?」
「そうらしいよ。今、俺と彩音に合わせて調整してもらってるところだから、もう少し時間はかかるけどね。
……前回みたいに、彩音が苦しむようなことは絶対に嫌だから」
司は困ったように眉を下げて、ぎゅうぎゅうと抱きしめてくる。
「だから、無茶なことはしないで」
懇願するように耳元で言われたら、うなずくしかない。
*
「そろそろ着替えてご飯食べないとね」
今日は市役所に名前を登録しに行くらしい。
おじい様や使用人の人たちからもうすでに呼ばれてるからあんまり実感はないけれど、名前を正式に登録されるのは群衆的にはかなり重要なことみたいだ。
……まあたしかに、名前を持つっていうことは『誰でもいい誰か』じゃなくて個人として認められるっていうことだからね。
それに名前があるとお店で商品の取り寄せや予約ができるようになったり、町の図書館で本を借りられるようになるらしい。
買い物はそんなにしないと思うけど、図書館で本を借りられるようになるのは楽しみだ。
今は学園の図書室に通えているけど卒業したらなかなか行けなくなるだろうし。
……色々考えることはあるけれど、まずはひとつずつだ。