11.先代の思惑
ある日の昼下がり。
注文していた商品がようやく届いたので、月草は大きな紙袋を両手いっぱいにぶら下げて自室を目指していた。
「お待たせしました」
声をかければ、部屋の中から障子を開けてくれた彼が目を丸くする。
「すごい量だな。一緒に行けばよかったな」
「大丈夫ですよ」
彼に笑い返して、早速袋の中から中身を取り出していく。
*
袋の中から出てきたのは、新しい仕事用の服一式だ。
ズボンにベスト、薄手のジャケット。シャツにネクタイまでこの機会にすべて一新することにした。
「すごいな」
「今日からこれが仕事着になります。先代の許可も取ってあります」
彼のための服と自分の服を一揃い取り出して、洗い替え用の服は紙袋に入れたまま部屋のすみに寄せた。
「サイズは合っていると思いますが、違和感などあったら言ってください」
今までのスーツを脱いで手早く着替えると、随分と服が軽いのに驚く。
「すげえな。全然違うわ」
体のあちこちを動かして着心地を確かめている彼も嬉しそうに笑みを浮かべる。
ズボンとベストは今までのスーツと同じ濃紺の、光の加減で縦縞が浮かぶ生地だ。
けれど、通気性のよい素材と織り方にしてもらったのでかなり涼しくて軽い。
ネクタイは今の司の髪色に合わせた濃紺に薄い水色の細いストライプが入ったデザイン。
こちらも普段の物より薄手にしている。
「普段はベストで構いませんが、会合や式典の時にはジャケット着用でお願いします。
さすがに半袖とまではいかなかったんですが……」
「いや、充分充分。ジャケットも向こうが見えるくらい薄いしな。ただこのシャツのそで、ボタンがないんだけどこれは?」
「ああすみません。それはカフスボタンで留めるんです」
よけておいた小さな紙袋から手のひらに乗るくらいの大きさの箱を取り出す。
開ければそこには、水色の正方形の石の上に透かし彫りの銀色の蝶がデザインされたカフスボタンが二つ並んでいる。
「なんか高そうなの出てきたな。……今更だけど、おれのわがままでどれだけ使ったんだ?」
「使用人が働きやすいように環境を整えるのは雇い主の義務ですよ。
経費の範囲内なので安心してください」
カフスボタンの付け方を説明しながら、袖口に自分用のカフスボタンを付けてみせる。
「これで完成です。見ただけで所属がわかるようにしてありますから、これで何か言われるようなことがあれば言ってください。その時にはきっちり説明してきます」
「手間かけて悪いな」
「問題ありませんよ。あと、先代に許可をもらいに行った時に瑠璃様とあなたの名前を早々に登録するように言われたので、都合がつけば明日にでも登録に行きましょうか」
「マジか!」
喜びを抑えきれない様子の彼にこちらまで嬉しくなる。
元々名前のない群衆が名前を得るということは、色付きの自分たちが思うよりずっと特別なことなのだ。
……それにしても、瑠璃様はともかく先代が使用人に対してこれだけ口出しをするのは珍しい。
群衆である彼が仕事上で不都合な状況に置かれないように箔を付けさせているとも取れるが、そもそも先代が使用人一人にあれこれと手をかけること自体がまれなのだ。
その上、先代に対して敬語を使わないように命じられるとなれば、異例中の異例だ。
彼は知らないことだが、青柳家の使用人の間には『彼が先代に対して無礼な口をきいてもとがめないこと』という通達すら回されている。
まだ彼が司の従者になる前に、町で先代と知らず声をかけたことで気に入られたと彼は言っていたが、この機会に聞いておいた方がいいかもしれない。
「以前に……先代と町で会ったと言っていましたが、どういう状況だったのか聞いてもいいですか?」
「別にいいけど、どうした急に?」
「いえ、少し気になったので」
「つっても、大したことはしてないぞ。
春休みに商店街に買い物に行ってたら……」
そうして、彼は四か月ほど前の出来事を話し始めた。
*
「こいつぁ五千五百ってとこだろう」
「それでよければお売りしますけどね」
……って、会話が聞こえてきたんだよ。
片方は群衆の帽子屋のおっちゃんで、もう片方は客らしい色付きのじいさん。
じいさんが買おうとしてる帽子が普段の倍以上の値段じゃねえかって、思わず声が出たんだよな。
「おっちゃん、つまんないことしてんなよ」
声をかけたら、店のおっちゃんと客のじいさんが二人同時に振り向いてきた。
「じいさんも物の価値くらいわかって来ないとボラれるぜ?」
だいたいなんで色付きが群衆の店しかないこんな商店街にいるんだか。
「い、いや、これはいいんだよ。ご隠居さんも納得済みのことで……」
おれとじいさんを交互に見ながら、店主のおっちゃんは慌てた感じで言ってきた。
「ちょっとした遊びだよ」
にやりとじいさんが笑ってきて、途端に白けた気分になる。
「あ。そういうやつか」
たまにいるんだよな。群衆に施しをしてやるっていう感じの色付きが。
べつにお互いが納得してんならおれが口出すことじゃねえけど、個人的には嫌いなんだよなあ。
「邪魔して悪かったな」
「……ちょいとお待ち」
おれが出る幕じゃないし、とっとと行くかって歩きだしたら後ろから声がかかった。
「お前さん、他の色付き相手にも同じようにしているんじゃないだろうね?いくら命があっても足りないよ」
心配なんだか警告なんだかわからない言葉に、軽く振り向いて答える。
「群衆なんかいつ死ぬかなんてわかんないんだから、自分の考えくらい好きに言いたいってだけだよ。
言うこと言わずに黙ってたって死ぬときは死ぬんだからな」
言ったら、じいさんはいきなり愉快そうに笑った。
「いやあ、いいねえ。お前さん、うちで働かないかい?」
「いや、もう行きたいところは決まってるんで」
「そうかい、残念だねえ。もし気が変わったら連絡しておいで」
断ったらあっさり引いて、じいさんは店のおっちゃんとまた話し始めた。
連絡しろって言いつつ連絡先も教えなきゃこっちの連絡先を聞いたりもしてこなかったから、普通に社交辞令だろって放っておいたんだけどな。
だから、じいさんにとっても大したことない話なんだと思うぞ。
*
そう言って彼は話を締めくくった。
……先代が連絡先を言わなかったのは、少し調べればわかると思っていたからだろう。
実際、話をしていた店主にでも聞けば、青柳の先代だということは簡単にわかったはずだ。
「じいさんは元々おれを青柳につけるつもりだったらしいし、青柳相手でも文句言えるような口の減らないやつが欲しかったんじゃねえの?」
彼は何でもないことのように言うが、もしもその時に話に乗っていたら配属先は司の配下ではなく先代の直属だった可能性が高い。
足りない場所に必要な人材を送り込んで、組織を立て直させるのは先代のよく使う手だ。
先代の彼への態度を見ていると、先代直属にして仕事を叩き込んでからこちらに目付け役として送り込むつもりだったのではないかと思う。
今は……司も次代としての仕事をある程度行うようになっているが、彼が間に入ってくれるまでは仕事はすべてオレが処理していた。
仕事自体は特に大きな問題もなくこなせていたが、司に対して言った意見や提言が通ったことはほとんどない。
……自分が仕事の処理に関して使えない人間だと思ったことはない。
けれど、司相手でも臆することなく相対して、司が不快に思おうと必要なことを押し通す……というのは根本的に分野が違う。
そういう人材が必要だったのは、今の司を見ていてもよくわかる。
「……あなたが来てくださってよかったです」
思わずしみじみとつぶやくと、彼はにかっと笑った。
「おう。まだまだ月草みたいに効率よく仕事片付けたりはできないけどな」
「そこは適材適所ですから」
「そういや、最近宝石商に片っ端から声かけてるみたいだけど、なんか困ってんのか?」
……ほら、今だって。
隠しているわけではないけれど、他の人間なら気づかないところにまで目が届く。
「ええ。次代の瞳の色の石が見つからないんです。
大切な人に自分の瞳の色の石を送ることは一般的なんですが、その性質上、需要のない石は宝石商でも取り扱っていないんですよ。……濃紺なんて次代以外いませんからね。
鮮やかな青色は人気で色々と種類もあるんですが、濃すぎる色はわざわざ熱処理して色を変えた上で販売しているそうです」
「なるほどな」
「価値の付かないような屑石なら濃紺に近いものもあるようですが、次代からの贈り物に屑石を使うなんてありえません。
正直……難航していますね」
恋人に対しての贈り物は、その価値がそのまま恋人の重要度を示す指針だと取られることも多い。
特に瑠璃様は群衆であり立場も弱いため、司が本気で大切にしている相手だと内外に示すためにも贈り物は最高級品でなければならないのだ。
「……鮮やかな青のサファイアは?」
少しの間何かを考えていた彼が言ってきて、ため息をつきつつうなずく。
「次代の目の色とは違いますが、妥当ですね。
とりあえずはこれで妥協してもらって、引き続き濃紺の石を仕入れるように要望を出しておきます」
「いいんじゃねえの?」
そうと決まれば最高級のサファイアの選定とデザインの発注だ。
「お前は仕事しすぎなんだからたまには休めよ」
「わかってますよ」
彼は常々オレのことを仕事をしすぎだと言うけれど、彼が来てくれてから驚くほどスムーズに物事が進むようになっている。
それは、彼があちこちで根回しや下準備やフォローをしてくれているおかげだ。
……本当に働きすぎなのは彼の方ではないかと思うほどに。
「あなたも無理はしないでくださいね」
「わかってるよ」
笑って、次の仕事の話題に移る。
今日も明日もあのお二人が過不足なく過ごせるように。
従者の仕事に終わりはないのだ。