9.本日も拒否権はないようです
「瑠璃さん、瑠璃さんや」
先代から何度か声をかけられて、しばらくしてやっと自分のことかと気が付いた。
……瑠璃っていう名前を付けてもらったらしいんだけど、どうも実感わかないんだよね。
あんまり呼ばれることもないしなあ。
心の中だけで思いながら、顔を上げて返事をする。
「ちょいと休憩おし。今日の菓子は金魚だよ」
読んでいた資料を片付けて先代の方に向かう。
男子が『これからは分からないことはじいさんに聞けよ』って先代を連れてきたときは、本気でどうしようかと思ったけど。
最近では毎日二時から三時の間、先代の部屋で資料を見せてもらったり分からない部分を質問したりしている。最初は緊張してたけど、聞いたことに対して実例をまじえて話してくれるのは面白いし、ためになる。……たまに、そんなこと本当にあったの?っていうような話も混ぜ込んでくるから油断はできないけど。
その途中で、今みたいにお茶とお菓子で休憩するのもいつものことになりつつある。
*
波紋みたいな模様を描く淡い灰色のお皿の上に乗っているのは、何層かに分かれた硬めのゼリーだ。一番上の層は透明なゼリーで、中で赤い金魚が二匹泳いでいる。上から見ると下の層の青色が透けて本当に水の中っぽく見える。
「涼しげだろ?寒天でできてるんだがね、寒天は体温を下げてくれるってんでこの季節にはうってつけの菓子ってえわけだ。中の金魚は羊羹で拵えてるらしいねえ」
先代の解説を聞きながら、先代がさらっといれてくれたお茶を飲む。
皿の上に一緒に乗っていた大きな楊枝みたいなものでお菓子を切って口の中に入れる。
ぷるん、つるんとした不思議な食感だ。冷たくておいしい。
「それで、何か気になることがあったかい?」
先代に聞かれてさっきまで読んでいた調停内容を思い返しながら答える。
「着てる着物でもめたっていうのがよくわからなくて。普通の着物だけじゃなくて羽織があった方がより丁寧なんですよね?なのにどうして羽織を着ていった人の方が非難されることになってるのかが納得できなくて」
「ふうむ。どれどれ……」
先代は私がしまった資料を出してきてぱらぱらとめくっていく。
「……ああこれかい。なるほどねえ。瑠璃さんは着物には格があるってえのはわかるかい?」
「着物の種類とか生地とか、あと紋の数?とかで着ていける場所が違うっていうのはなんとなく……?」
着物に関するもめごとも多いから勉強中だけど、正直絽とか紗とか言われてもさっぱりわからない。夏に着るものなんて浴衣でしょ?っていうくらいの知識だと、そもそもなんで問題になるのかがわからないことも多い。
「そうさねえ……この場合はざっくばらんな集まりの時に格式張った格好で来ちまったってえのが問題でねえ。代替わりしたばっかりで舐められちゃいけないってんで肩肘張って気合い入れたのが裏目に出たわけだね。そういう事情だから他の人間はそっとしておいたんだが、面白がって絡んでいった無粋な人間と揉めたわけだ」
「格の高い、いいものを着てればいいっていうわけでもないんですね」
「そうさねえ……わかりやすく洋装で言えば、みんなで河原でバーベキューをしてるところにかっちりスーツにネクタイ締めて革靴でやってきたってえ状況なわけだ」
……確かにそれは場違い感がすごい。
「もし瑠璃さんがその場にいたらどうするかね?」
先代に言われて考える。
そういう状況ならスーツの人は居心地悪いだろうし、一番早いのは着替えてもらうことだけど……。
着替えなんか用意してないだろうし下手に口出ししたらますます意固地になりそうだ。
「お肉を焼く役を任せるとか……?」
火の前なら熱いし、お肉の匂いも付きそうだし自然に上着を脱げるんじゃないかな。
ついでにネクタイも外せば、だいぶんラフな感じになると思う。
「なるほどねえ。自然に格を落とそうってわけだね。
直接服装に言及しない辺りもセンスがいいねえ。和装で同じようにしようと思った場合には、ちょいとコツがあるんだがね……」
先代はいくつも例を挙げて答えてくれる。
やっぱり本だけじゃわからないことがたくさんあるなあ……。
色々質問をしているうちに、もう三時が近くなってきた。
「先代、今日もありがとうございました」
借りた本を抱えて先代にあいさつしたら、先代はいたずらを思いついたみたいな顔をした。
……あ、なんか嫌な予感がする。
「その『先代』ってのもどうかねえ。ざっくばらんにじじいって呼んでいいんだよ?」
先代はにやりと笑って言うけど、いやいや普通にじじいとか呼べないから。
そう言えば前に司にいきなりタメ口で話せって言われたこともあったなあ……。
思い出して自然と遠い目になってしまう。
男子はじいさんって呼んでるらしいけど、それもなあ。先代って明らかに様付けしないとまずいような人でしょ。
だからって、じい様も変だし。
「……おじい様?」
悩んだ末に言ったら先代は愉快そうに大笑いした。
いや、まあ、変だとは自分でも思ったけど。司のおじい様ではあるわけだし!
「そりゃあいいねえ。今後は俺のことはおじい様で頼まあ」
「ええぇ……」
まさかの採用なの?
なんなの?青柳家って距離の詰め方が独特なの?
これも拒否権ないんだろうなあ……。




