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ハーレムエンドのその後で  作者: 雨森琥珀
番外編 黄樹と妻紅
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10.代償

 知らせを受けて駆けつけたボクが見たのは、痛みにのたうち回る桃花(とうか)の姿だった。

「な、何これ……」

「近づかないほうがいいわ。使役獣に喰われかけているの」

 白衣を着た緑を押しのけて桃花に近づく。

「桃花!」

「いやあ!痛い!痛い!」

 桃花の振り回した手が頬をかすめる。

 ちりっと痛みが走ったが、構わず桃花を抱きしめる。

「桃花の使役獣を追い払え!」

 自分の使役獣に命じると、使役獣から今まで感じたことのない抵抗があった。

「少しの間でいい。遠ざけろ!」

 重ねて命じると、ごそっと魔力が抜かれる感覚とともに、桃花の様子が落ち着いた。

 涙にぬれた顔のまま、ボクの腕の中で気を失う。

 軽い桃花の体を抱きしめながら確認すると、桃花の中の魔力がぼろぼろに食い荒らされていた。

「……どうしてこんな……」

「彼女はよほど使役獣を怒らせたのね。こうなってしまっては打つ手はないわ」

 使役獣はボクたちとは次元の違う存在だ。普段は力を貸してくれているけど、本気で怒らせたりしたらただの人間であるボクたちには止めることもできない。

 緑の話によれば、桃花は体の中から魔力を喰われては放置され、少し魔力が回復すればまた喰われるということを繰り返しているらしい。

 魔力を喰われている間は激痛に暴れまわり、放置されている間は気絶する。

 このままでは栄養失調で死ぬのが先か、終わらない痛みに狂うのが先かだと緑は言う。

「そんな……」

「彼女が助かることはないわ。……今のうちにお別れを言っておきなさい」

 緑の言葉が理解できずに呆然とする。

「桃花を……助ける方法は……?」

「使役獣が怒りをおさめるか、契約を解除するかしかないわ。どちらも、今の彼女では難しいでしょう」

 ……頭が、うまく働かない。

 呆然と桃花を抱きしめていると、使役獣が戻ってきたのかまた桃花が暴れだした。

 ケガをするからと引きはがされ、そのまま部屋の外に連れ出される。

 ばたんと重い扉が閉まると、桃花の声は聞こえなくなった。

「彼女のご両親は来られないそうよ。彼女と一番親しいのはあなただと聞いたから呼んだの。……まだ来たいのならここの鍵を貸すわ」

 ちゃり……と、緑の手の上で銀色の鍵が音を立てる。

 鍵を受け取ろうとして取り落とした。

 自分の手が、ひどく震えていることに気づく。

 床の上で何度も鍵を取り落としながら、なんとか拾って制服のポケットに入れる。

「今日はもう帰りなさい。あの様子では、しばらくは落ち着かないから」

 声は聞こえているのに意味が拾えない。

 背中を押されて外に連れ出される。

 薄暗い通路から出れば、外は明るかった。

 暗さに慣れた目にはまぶしいほどなのに、何も感じない。

 制服のポケットの中でちゃり……と鍵の音がするのだけがいやに鮮明だった。


       *


 銀色の鍵で、裏庭にある古い物置の扉を開ける。

 中に入ってすぐのところにあるスイッチを押して電気をつけ、扉の鍵を中から閉めて奥の扉を開く。

 緩やかに下る通路をゆっくりと降りていく。

 ぐるぐるとらせん状にしばらく歩いた突き当たりに、見慣れてしまった扉が見えてくる。

 鍵を開けて入れば、今日は桃花は眠っていた。

 ここは、魔力を暴走させたり使役獣に喰われかけている者が入る特別室らしい。

 窓もない地下で、ベッド以外は何もない。

 こんなことがなければ知ることもなかったが、学園にはいくつかこんな部屋があるらしい。

 ずいぶんとやせてしまった体を抱え起こし、たいしておいしくもない液状の栄養食を少しずつ口移しで流し込む。こくり、と桃花ののどが動いてほっとする。

 点滴なんかは暴れた時に危ないのでできないらしい。

「起きて……起きてよ桃花」

 祈るように名前を呼べば、彼女はうっすらと目を開けた。

「おうじゅ……」

「桃花、使役獣との契約を解除するんだ」

「……かいじょ……?」

「そう。解除して」

「……だめ……そんなことしたら……」

 ぼんやりと話していた桃花の目が急に見開かれる。

「嫌!痛い!もう嫌ぁ!」

 桃花の体がけいれんするように跳ねる。

 こうなってしまえば、桃花が自分自身を傷つけてしまわないように抱きしめるしかできない。

 しばらくして痛みが引いたのか、気絶するように眠った桃花をベッドに戻してそっと部屋を出る。

 本当はずっとついていたいが、今日は長老どもからの使者が来る日だ。

 あの長老どもならどんなことをしてでも桃花を死なせないだろう。

 この選択を後悔する時がくるかもしれない。だが、今はまず桃花の命が優先だ。

 液状の栄養食が入った袋を従者に持たせて、バカみたいに明るい裏庭を歩く。

 正門に向かうために食堂のテラス前を通りかかって、ふと視線を向けたそこに……今まで見たこともないような顔で笑う青柳を見た。

「なんでお前がそんなところにいるの?」

 自分の口から出た声は、聞いたこともないくらいひび割れていた。

「なにその顔。化け物がなに笑ってるの」

 そんな幸せでたまらないっていう顔なんか、桃花はしたことがない。

「桃花はあんなに苦しんでるのになんでお前は笑ってるんだよ!」

 胸の中に渦巻く感情がはけ口を求めて荒れ狂う。

 どうして。どうして桃花だけがあんな目にあわないといけないんだ。


「それ誰?」


 青柳の言葉がぽつりと落ちる。

 異様なくらい静まり返る空気のなか、信じられない思いで青柳を見る。

 首をかしげる様子に、怒りで視界がゆがんだ。

「……っ!姫の名前も覚えていないのか!」

「興味ないから」

 何事もなかったかのように視線を外す青柳に、感情が沸騰する。

「死ねよお前!」

 護衛の懐からナイフを奪って、青柳に投げつける。

 その時、なぜか群衆が青柳の前に入ってきた。

 ナイフはあっさりと群衆の腹を切り裂いて、その先にいた青柳に当たって落ちる。

 崩れ落ちる群衆を抱えて、なぜか青柳が泣き始めた。

 どこに潜んでいたのか、青柳の従者も出てきて群衆に術をかけ始める。

 ……なにやってるの?

 目の前のおかしな光景に、抱えていた激情が行き場を無くす。

 完全に置いていかれた気分で目の前の光景を見ていると、突然ざわりと空気が変わった。

「おや。魔法が消えたから言祝(ことほ)ぎに来てみれば。……大変なことになっていますね」

 ぱきんと空間が切り離される音がして、気がつけばさっきまでいた青柳たちが消えていた。

 ……なんだあれは。

 一瞬だけ見えた男の姿に鳥肌がとまらない。

 黒と白の髪。自分たちとは明らかに違う強大な魔力。

 黄の一族が目指す黒の魔力なんて足元にも及ばない。

 動くこともできずに立ち尽くしていると、男が再び現れた。

 なぜか髪が腰まで伸びて真っ白になっている。

「君も、おいたはほどほどにね?」

 柔らかな声でささやかれて、一瞬で全身に冷や汗をかく。

 瞬きをしたら男は消えていたが、体の震えがとまらない。

 あんなもの。あんなものを長老どもは目指しているのか。

「できるわけない」

 あれはもう人間ですらない別の何かだ。

 あんなものを目指すためにボクは育てられたのか。

 あんなものを生み出すために桃花は利用されるのか。

「できるわけない」

 そんなこと。……できるわけがない。


       *


 急いで桃花のところへ戻ると、なぜか部屋の鍵が開いていた。

 不安になって勢いよく扉を開けて名前を呼ぶ。

「桃花!」

 部屋の中。眠る桃花の横に、白に近い黄色の髪をした男が立っていた。

「しまったな。まさか鉢合わせるとは」

 苦い顔をする男を無視して、桃花を抱きしめる。

「あんたなに?」

「……ここの教員だよ。まあいい。そのまま押さえてろ」

 男はそう言って、桃花の額に指先をつけた。

 ふわり、と黄色い魔方陣が浮かび上がる。

 そのとたん、桃花の体ががたがたと揺れだした。ベッドから落ちないようにきつく抱きしめる。

 ぎしり、と音がして、桃花の胸から赤い小鳥が飛び出した。

 驚いて少しだけ身を離してしまった隙に、男が桃花の胸の上に手をかざす。

 男に導かれるように桃花の胸から浮かび上がってきたくすんだ色をした指輪が、男の手の上にぽとんと落ちる。

「困った生徒だけど、このまま使役獣に喰われ続けるのはさすがに気の毒だからな」

 男の言葉とともに現れた翼の生えた白い蛇が、指輪をくわえてぱきんと壊す。

 使役獣との契約の指輪を、こんなに簡単に。

「他人の契約を壊すなんて……」

「俺の使役獣のほうが強いからな」

 魔力の光で金色に見える瞳に、長老の言葉が不意によみがえる。

 強い力を持っていたのに髪色を失った愚か者。

「あんた鬱金(うこん)?」

「今は浅黄だよ。お前とは会わないように気をつけてたのにな。

 ……まあ仕方ない。もしあの長老どもから逃げるつもりなら青柳の先代のところに行け。

 混血の町なら、お前たちのことも受け入れてくれるだろう」

 言うだけ言って、男はさっさと部屋を出て行く。

 狐につままれたような気分で、桃花を抱えたままベッドに腰掛ける。

 姫の証の花々が咲き乱れる桃花の腕は痛々しいくらいに細い。

 きれいなピンク色だった髪は、使役獣との契約が解除された影響なのかくすんだ茶色に変わっていた。

 絡まった髪を丁寧に丁寧に、少しの痛みも与えないように指ですいていく。

「……あたしまだ生きてるの?」

 不意に桃花が目を開いた。

「いつまで……いつまで続ければいいんだろ……」

 ぼんやりとつぶやいて涙を流す。

「いいよ。もう忘れなよ」

 桃花に触れるだけのキスをして、忘却の術をかける。

 何もかも。桃花を苦しめるものすべてをなくすように深く深く。

 魔力が枯渇してぐらぐらとめまいがする。

 それでも足りない。まだ、まだ足りない。

 桃花を抱きしめたまま、最後の一滴まで搾り出すように術をかけ続けて、ボクはそのまま気を失った。


       *


 目が覚めたのは学園の保健室だった。

 ものすごく気持ち悪い。

 吐きたいのに体中が押さえつけられているみたいにどこもかしこも重くて動けない。

「と、桃花は……」

 必死の思いで首をめぐらせると、

「ここにいるわよ。眠っているから静かにね」

 白衣を着た緑が声をかけてくる。

 桃花の姿が見たくて、無理やり体を動かして起き上がる。

 震える手でベッドのまわりの薄い仕切りを開けると、眠っている桃花の姿があった。

 よかった。痛みに苦しんでもいないし、顔色もよさそうだ。

「彼女に術を使ったのね。……それでどうするの?浅黄先生から話は聞いているわ。逃げ出すなら青柳家に連絡くらいは入れてあげる」

 緑の言葉に顔を上げる。

 今までの自分なら、青に頭を下げるなんて考えられなかった。さんざん馬鹿にしてさげすんでいた混血どもの町に行くなんて屈辱でしかなかっただろう。

 だけど桃花の笑顔のためなら。

「お願いします」

 ボクは薄い緑の髪の先生に深く頭を下げた。


       *


 長老どもに気づかれるわけにはいかないので、身支度も何もなかった。

 自分のものは何一つ持っていかず、従者も護衛も置いて、桃花だけを抱きかかえて迎えの車に乗る。

 車のガラスに映った自分を見れば自慢のきらきらと輝く髪はくすんだ茶色と黄色のまだら模様になっていた。限界を超えて術を使った代償だろう。

 世界で一番きれいだと思っていた髪が見る影もない。

「ひっどい色」

 自分を笑う。

 ……多分ボクたちは間違えて間違えてここまできてしまった。

 それでも二人ともまだ生きている。

 今まで覚えてもないくらいたくさんの人間を踏みつけて、壊して、陥れてきた。

 自分が見下していた場所に落ちたボクは、自分が踏みつけてきた相手からさげすまれ、見下されることになるだろう。

 それでも、どんなに身勝手だとののしられようと、桃花の笑顔だけは守りたい。


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