42.悪くはないかな
時々ふらつく司を支えつつ、あいかわらず部屋というより小さな一軒家な司の部屋に着いた。
「まだ痛い?口ゆすげば多少ましになると思うけど」
「ううん。もう大丈夫」
さっきは急に口の中がピリピリと痛んでびっくりしたけど、ここまで来る間に多少違和感があるかなっていうくらいまでおさまった。
「それでも一応ね」
冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを出して渡される。
ミネラルウォーター使うのって贅沢だなあと思いながら、言われるままにうがいをする。
「お茶入れるね。緑茶しかないけどいい?」
「うん」
司がポットの横に置かれた缶を開けると、回転寿司で見るような粉のお茶が入っていた。並べた湯飲みにひとさじずつ入れ、ポットのお湯を上からそそぐ。
司はふたつ作ったお茶のうちのひとつをいつものように口に運ぼうとして、思い直したように置いた。
「今日は毒見はしないの?」
聞いたら、司はためらいがちに湯飲みに口をつけた。
「はい。問題ないよ」
いつものように渡される。
完全誓言の翌日から、ずっと続くこの習慣。
「……さっきの、説明するね」
司が困ったように眉を下げたまま口を開く。
「色付きも群衆も、それぞれ量は違うけど魔力があるんだけどね。他人の魔力は毒になるんだ。だけど普通なら自分の魔力で中和できるから問題にならない。
だけど、魔力差がありすぎると中和ができずに出血したり壊死したり、時によっては破裂したりするんだ」
……壊死とか破裂って。魔力怖いな。
「魔力って、体の全部に含まれてるんだよね。肉にも骨にも、髪の毛一本にいたるまで。……もちろん体液も例外じゃない」
「体液……」
さっきのキスを思い出して顔が赤くなる。
「さっきのは、俺の魔力に彩音の体が拒絶反応を起こしたっていうことなんだよ」
私の唇を司の指がそっとなぞる。
「準備して、誓言も使って、理としては使役獣にも同じ魔力だって思わせるところまでは、いってるんだけどね。これは免疫的な部分だから。
体がなじむまでにはまだ時間が必要だったのに、夢中になりすぎてとめられなかった。痛い思いをさせてごめんね」
司が目を伏せる。
私は持ったままの湯飲みに目を落とす。
……拒絶反応。
司とキスをしたのは今日が初めてだ。
だけど私は、あのピリピリする痛みを知っている。
湯飲みの中のお茶を飲む。
飲んだって口の中がピリピリしたりしない。だけど、最初の頃は違った。キスの時に感じた違和感が、ゆっくりと確信になっていく。
「ねえ。いつも最初に一口飲むの、毒味じゃないよね」
最初からおかしかったのだ。
明らかに毒なんて混入できるはずもない状況で、どうして毒見なんてし続けたのか。
違和感はあった。だけど理由がわからなくてそのままにしてきた。
……でも、毒見という行為自体が目的だったとしたら。
「『殺さない』と誓言していても、死にいたるような毒でなければ入れられるんだよね?」
まっすぐに司を見て言ったら、「気づいちゃうと思った」と司が笑った。
「俺の魔力は身体能力を強化するから、少しずつ混ぜてた。暑さで倒れるのなんて、もう見たくなかったから」
……そう、いつの間にかあんなにつらかった暑さが平気になっていた。体が気温に慣れたせいだと思ってたけど、違っていたらしい。
「少しずつ慣らして、耐性つけて、最終的には俺の魔力で染めるつもり。魔力が同じになっちゃえば拒絶反応は起こらないから」
手の中の湯飲みを見る。
ポットから直接お湯を入れたお茶だ。
普通なら熱くてこんなに長く持っていられない。
……熱いっていうのはわかるけど、熱くない。
「これが司の世界?」
「……そうだね。力は群衆そのままだけど、防御的な部分ならだいぶん近くなってきたかな。アオイの加護も受けてるみたいだしね」
そう言って、司が私の髪の毛をひとふさすくい取って口付ける。
「多分気づいてないと思うけど、ここだけ色が違うんだよ。
アオイと会って話をしたことで、正式に契約が結ばれたんだろうね」
そういえば、髪色が変わってから鏡を見ていないことに気づく。
「そうなんだ?」
「うん。そう。……だからもう、たいていのことでは彩音は死なないよ。ナイフでもチェーンソーでも傷も付かない」
「……そもそもそういう状態になりたくないけどね」
「そういえば俺も、ずっと聞きたかったことがあるんだけどいい?」
「なに?」
「彩音が刺されたあの日、どうしてアオイは反応しなかったんだと思う?」
まさかの質問に不自然に動きが止まってしまった。
「なんでだと思う?」
笑ってるけどこれは怒ってる……なあ。
「私が離れてていいって言ったから。……あの頃はもう、司が私を殺そうとしてないって思ってたから」
「どうやって言うことを聞かせたの?」
「名前をつけたことで少しだけど契約のつながりができたんだって。それで話しかけたりお菓子あげたりしてるうちになんとなく……?」
……うん。笑顔が怖い。
「もうしません」
「そうして。彩音を守ろうとしても、彩音自身が危険なことをしてたら守れなくなるから。今日の使役獣も絶対離しちゃ駄目だよ」
「わかった」
「本当に図書室のアレと言い、油断も隙もない……」
「それはお互い様でしょ?一歩間違えれば壊死とか破裂とか危険極まりない魔力を本人に承諾もなく与え続けるってどうなの」
「うん」
「次からは何事もちゃんとやる前に相談すること」
「うん」
司は従順にうなずく。
……だけどこれ、嘘だ。
わかってしまった。誓言のときみたいに必要だって思ったら、この人絶対に言わずにやる。
私が止めたって聞く気がない。
「わかっちゃった?」
にっこり笑う司。だから何でここで嬉しそうなの。
「わかったわよ。必要だと思ったらとまらないんでしょ。だったら司が無茶しないように気をつけるしかないでしょ」
「うん。ずっとちゃんと見てて、俺のこと」
「司は……言わなくても見てそうよね」
「うん。彩音が笑っていられるように、安心していられるように全身全霊で頑張るよ」
「だからその頑張りが不安なんだけど……」
いきなり群衆として転生して、なんとか生き延びようと頑張ってきた。
どうやら司が私に興味を失ってくれる日は来そうにないし、生き延びるという目標は予想外な形になったけど。
だけど、まあ、こんな日々も悪くはないかなと思うのだ。