41.青柳司は歓喜する
ずっとずっと、俺の方がもらいすぎてる。
自分とまわりの人間が違うと気づいたのはいつのことだったのか、正確には覚えていない。
ただ、いつのころからか、同じように人の形はしていても違う生き物だと思うようになっていた。
顔も見えない、いなくなってもいつの間にか増えているもの。
道端の草を何気なくちぎるように、足下の蟻を踏み潰すように何人も殺してきた。そこに意味なんて必要もない。
しばらくすると少しさわっただけで壊れてしまう生き物たちは、自分に近づいてこなくなった。向けられるのは恐怖と嫌悪の混ざった視線だけ。
そのうち壊すのに飽きてどうでもよくなった。
一応、自分も色付きと呼ばれる生き物と同じ人間だと認識はしていたから、じじいに言われて最低限の社交は覚えた。
笑顔も覚えたし、冗談も使える。いくつかパターンを覚えてしまえば相手が喜ぶような話題を振るのも簡単だ。一度教えられればたいていのことはできたし、苦労はしなかった。
跡取りという立場上、しなければいけないことはこなした。
自分に恐怖している、目も合わない相手との会話は心底どうでもいい。
なにも変わらない、つまらない日々。
これが人生というもので、死ぬまで続いていくんだろうなと思っていた。
*
転機は……今思い出しても苛々するけどピンク女だろう。
ずかずかと人の領域に入り込んできて、勝手な言葉で踏み荒らす。
それまでの人生の中で感じたことのない不快感と嫌悪感で、常に苛立っている状態になった。
じじいに殺さないように言われているから排除もできない。
苛々して苛々して手近な群衆を殺して。
そんな中で、不思議な視線を感じた。
もうなじみすぎて気にもとめなくなった恐怖や嫌悪の視線でもなく、ピンク女が送ってくる絡み付くような視線でもない。
ただこちらをまっすぐに見つめてくる視線。
色も熱もないその視線になぜか安堵を覚えた。
そのころの俺は、それが安堵だということもわからなかったけれど。
そして群衆の中から彼女を……彩音を見つけた。
俺の力は強い。群衆なんて何気なくさわっただけで壊れてしまう。
こんな人間、怯えて当然だ。
それなのに君は、怯えながら、手を伸ばしてくれた。
去年のクリスマスイブの前の日、最悪な気分ですがるように君を探した。俺を恐れて誰もが逃げ出すなか、君は怯えながらそれでも声をかけてくれた。ずっと、俺の手の届かない場所にいたかったはずなのに、近づいてきてくれた。君の好きなミルクティーを置くとき、君の手が震えていたのを俺は知っている。
もっと近くに行きたくて、騙すように完全誓言をした。これでふれられると思ったのに誓言が勝手に書き換えられていて腹が立った。もとに戻そうとしたけれどうまくいかない。何とかしようと毎日慣れない魔力操作を続けていて、そのせいで自分の顔色や体調が悪かったことも気づいていなかった。
君が心配してくれているなんて、思いもしなかった。
魔力の枯渇なんて、しばらくすれば勝手におさまるものだ。
体の不調なんて、不快ではあるけれど動くのに支障はない。
どうせこの体は何があっても壊れない。君にふれようとするたびに襲ってくる苦痛も、本当に俺を害することはできない。
それなのに、君はいつも苦しそうな顔をする。
泣きそうな顔で、君にふれようとするのをやめるように言う。
手を伸ばせば苦痛に倒れることになる。それで君が辛そうにしても、それでも。ふれたいという気持ちは次から次にわきだしてきて、自分でもとめようがなかった。
たまに君の方からさわってくれた時は、あたたかさをやわらかさを忘れないように何度も思い返した。
もっとふれたい。声が聞きたい。できるなら俺に向けて笑ってほしい。
それがどんな心の働きなのか、自分でもわからずにいた。
君が好きなんだって自覚して、そうしたら世界が変わった。見えるものみんな鮮やかで、君に目を向けられるだけでくすぐったくて。君の声を聞くだけで喜びがとまらない。
そんな初めての感覚に舞い上がっていたら……君を失いかけた。
あまりにもたやすくこぼれ落ちていく命に、恐怖を通り越して絶望した。
誰も自分を害せない。誰も自分には敵わないと驕っていた。
どんなに強い力があっても、壊すばかりの俺の手では君のことを守れない。
手の届かない遠くへ行こうとする君をとめることもできない。
当代最強なんて言われても、何一つ役に立たない。
それなのに、最後まで君は俺のことを気にしてくれた。聞き取れないようなかすかな声で、それでも好きだと言ってくれた君の初めて見る笑顔に、心臓が壊れると思った。このまま君を失うなら、いっそこの痛みのまま心臓が潰れればいいのに。どうしてこの体はまだ生きているんだろう。
君の傷が治っても、目を覚ましてくれるまでは気が気じゃなかった。
君の体を離すことができなくて、すがりつくように抱きしめていた。
目が覚めた気がして確認して、ただ気のせいだってわかって。また目が覚めたんじゃないかって期待して。
本当に君が目を開けてくれたとき、また違ったらって怖かった。
君が動いて、話して、こっちを見てくれて。やっと本当に君が起きたんだって思えた。
触れてくれる手が、向けられる笑顔が嬉しくて、あの男が言っていた言葉の意味なんて深く考えなかった。
ただ、君が他の人間と違っていたのはこの世界の人間じゃないからかもしれないと思った。突然知らない世界に来て、しかもそれが死にやすい群衆だったなんてきっと怖かっただろうとも。
俺の部屋、泣き叫ぶ君を見て、初めて自分のしでかしたことに気がついた。
俺が、馬鹿なことをしなければ君がこんなに苦しむこともなかった。
……だけど、出会うこともなかった。
君を知ってしまった俺はもう君を手放せない。
もしも時間を戻せたとして。
君を苦しませるってわかっていても、きっと俺は何度だって同じことをするだろう。
何度謝ったって足りない。
君を泣かせているのも、苦しませているのも俺だから。
代わりにもならないけど、これからの俺は全部君に捧げると決めた。
君が笑っていられるように。安心していられるように。
そのためならなんだってする。
*
初めてふれる唇は、あたたかくてやわらかかった。
夢中になって何度も角度を変えてキスをする。
乱れる吐息、潤む瞳にゾクゾクと体の奥から歓喜がわき上がる。
もっと深くつながりたくなって、薄く開いた唇の隙間に舌を差し入れる。熱い舌を絡めとれば、俺の腕の中で彩音の体がふるふると震えた。
「いっ!」
ひきつった声をあげた彩音に、すっと頭が冷える。
離れたくないけど離れて、彩音の濡れた唇を親指でぬぐう。
……やっぱりまだ早かったみたいだ。
「何これ……ピリピリする。これって……」
……ああ、気付いちゃったかな。
いぶかしげに見上げてくる彼女に笑いかける。
「……説明するよ。とりあえず俺の部屋に来てくれる?」




