35.親族襲来
昨日買ってもらった服から白と黒のチェックのワンピースを選んで着替えた。
朝昼と届けられるご飯を食べて、司の部屋から一歩も出ることなくのんびりする。なんだか至れり尽くせりすぎて、このまま引きこもりになれそうだ。
借りた本の四冊目がそろそろ終わろうとするころに、玄関の戸がガラガラと開いて男子が入ってきた。
「お前らさあ……たしかに落ち着けとは言ったけど、ちょっと落ち着きすぎじゃねえ?」
あぐらをかいた司を座椅子代わりにしたまま男子を見上げる。
「本ありがとう。恋愛小説って久々に読んだけど面白いね」
「お前ってけっこう図太いよな」
「うん。そうみたい」
人が来たからさすがに離れたいんだけど、司がお腹に回した手を放してくれないんだよね。
「落ち着かれましたか?」
男子の後ろから月草さんも入ってきて気遣わしげに聞いてくる。
「はい。もう大丈夫です。ご心配おかけしました」
にこりと笑って答えると、月草さんは明らかにほっとした顔をした。
昨日の私はだいぶんパニック起こしてたからなあ。心配させちゃったみたいだ。
「おくつろぎのところ申し訳ないのですが、着替えをお願いします」
「着替え?」
何か聞いてる?と司を見上げるが、司も首をかしげている。
とりあえず司の手をぱしぱし叩いて、解放してもらって立ち上がる。
何の着替えなのか聞こうとしたその瞬間、月草さんが静かに閉めていた玄関の扉がスパァン!と勢いよく開いた。
「おうおうお前さんたち、じじいを差し置いてなにやら面白いことしようとしてるらしいじゃねえか」
よく通る声に自然と視線がひきつけられた。その先にいたのは司との血縁関係が一目でわかる見目のいいおじいさんだ。特に目元と通った鼻すじがよく似ている。
鮮やかな青色の髪をざっくり後ろに撫で付けて、濃い灰色と薄い灰色の縞模様の着物を着ている。着物を普段から着慣れてるんだろうなっていう、無理のない立ち姿にはガキ大将みたいな快活さと大人の色気が絶妙に混ざり合っていた。
単純に言って格好いい。
「じじい……体が空くのは明日じゃなかったの」
「おやおや誰が言ったんだい、そんなこと」
「月草が……」
「従者に一杯食わされたなあ。なんもかんも人任せにしてっから足元すくわれるんじゃないのかい」
司が驚いた顔で月草さんを見ると、月草さんはゆっくりと一礼した。
「どうやら次代はお披露目するつもりがなさそうでしたのでこちらで手配しました。急な話ではありましたが、都合のつく親戚衆は皆来てくださってますよ」
「なに考えてるの。にやにや笑われながら見られるなんて絶対に嫌だ」
「お披露目しておかないと白い目で見られるのは彼女ですよ」
「……っ!」
「明日というのは次代を油断させるための嘘です。準備ができたのでお迎えに来ました。
……先代がこちらにいらっしゃるのは予定していませんでしたが」
ちらりと非難を込めた視線を向ける月草さんに先代はにやりと笑った。
「なあに、うわさのお嬢ちゃんをちょいと見たくなっただけさ」
先代の言葉にぴりっと司が緊張するのがわかった。
すっと先代と私の間をさえぎる位置に立つ。
私はというと何の心構えもできてないところでの親族襲来だ。ぴりぴりした空気にどんな顔をしていいのかわからない。
先代は一歩横に移動して私の顔を覗き込んできた。不快そうな司を気にすることなく、いたずらっ子のように笑う。
「さて、お嬢ちゃんは司のことをどれくらい知ってるんだい?」
言われて思いっきり首をかしげてしまった。
……え?ここでいきなりの青柳司クイズなの?
どれだけって言われても、そんなに詳しく知らないけど。そういえば誕生日も知らないし。
これ、答えられないとまずかったりする?
「司の力が強いのは知ってるかい?」
「はい」
「じゃあ、母親を殺しかけた話は?」
「じじい!」
「隠してどうするってんだ。こんなものどこからでも聞こえてくるだろが」
悲鳴のような叫びを上げる司をぴしゃりと黙らせて先代は話し始めた。
「まだ司が二つやそこらだったころだ。生まれたときから魔力が強かった司だが、かんしゃく起こしたときに魔力が暴発してな。そばにいた母親が大怪我を負ったんだ。それに怒った父親が司を殺そうとしたが、魔力が強すぎて近付けない」
しょっぱなから重いな青柳家。大怪我させたからって息子を殺そうとする父親もどうなの。
司の目が不安そうだったので、安心させるように背中を軽く叩く。
「なんだかんだで屋敷が半壊する大騒ぎだ。その上、魔力を自分では収められないもんだから司自身の体まで破壊し始めた。
あわてて使役獣と契約させて魔力に見合うように体を強化させたら、どういう塩梅か司自身の魔力まで身体強化に回るようになってな。
今じゃ岩だろうが鉄骨だろうが素手で壊せるし、生半可なことじゃ傷もつかなくなったってえわけだ。もちろん人間だって例外じゃない。少しさわっただけで首の骨くらいは簡単にへし折れる」
それは学園での司を見ていればよくわかる。群衆だけじゃなくて色付きに対しても同じ感じなんだろう。
「母親は一命はとりとめたが逃げ出した。父親は司を恨んでる。今は別のところに出向させてるが、司に何度も刺客を送りつける始末だ。
そのうえこんなご時世だ。跡継ぎだっていうだけで命を狙われることだって珍しかぁない。
……お嬢ちゃんは、司と一緒にいれば常に死ぬ危険があるのは理解してんのかい?」
真剣な顔で迫力たっぷりに言われた。
私は……私にとっては今さらな質問に思わず笑ってしまった。
「どうかしたかい?」
「すみません。そうですよね。普通は気になりますよね。
……見ての通り私は群衆です。相手が色付きの人ならデコピン程度でも死んでしまいます。
私が弱すぎるので、近くにいるだけで簡単に死ぬのは誰でも一緒なんです。だから司の力が強すぎるとかは気にならないです」
「……へえ。そうかい」
先代は目を細めて私を見た。
「それに、何かがあったら司の後ろに隠れます。私じゃ盾にもなれませんから」
「絶対だよ!ちゃんとしっかり俺を盾にしてよ」
両手で私の手を握り締めてくる司に笑い返して先代のほうを見る。
……何かしようとしている司を止めるならこのタイミングしかない。先代の命令なら司は聞くはずだ。
「むしろ気になるのは司が私に合わせようとして無茶ばかりすることです。
……今回も何かしようとしてるでしょ?」
「わかっちゃった?」
「わかるよ。どうせまた司が何か代償を払うつもりなんでしょ」
「代償なんてないよ」
「じゃあ何するつもりか言ってみて」
「とめようとするから言わない」
「とめようとするようなことをしないでって」
「必要なことだから駄目」
「……こんな感じでらちが明かないんです。無茶はするなって命令してもらえませんか」
「命令されても聞けないけどね」
「そこは聞きなさいよ」
言い合っていると不意に先代が口を開いた。
「……司。お前さんは楽しいかい?」
「楽しくなく見える?」
「いんや。……そうさな、お嬢さん。こんな顔してる男を止めるのはじじいでも無理ってもんだ。どうしてもってんならお嬢さんが頑張りな」
いい笑顔であっさり断られた。
……話が違う。先代の命令なら聞くんじゃないの?
小さくため息をついて私は司の方を向いた。
「やめる気はないの?」
「うん」
「私が怒るようなことなんだよね」
「多分ね」
「じゃあ後で怒る」
「怒らせたくはないけど仕方ないね」
はあー……と大きなため息をついて先代に向き直る。
「無理ですね」
「だろぉ?」
先代は愉快そうに笑った。
「月草、このお嬢さんに五つ紋の色留袖を用意してやんな。俺が媒酌人をやってやろうじゃねえの」
「じじい!なに勝手なこと言ってるの」
「おや、断っていいのかい?じじいがやれば箔がつくぜ?」
「くっ……」
司は悔しそうに唇を噛んで、私のほうをじっと見た。しばらく何か考えた後で、しぼりだすような声で言った。
「……お願いします」
「そうこなくっちゃあな。司、お前も着替えて来いよ。とっとと用意しないと間に合わないぞ?なにしろもうほとんど集まってるからなあ?」
俺も着替えてくるかねと先代が出て行ったとたん、男子と月草さんがあわてだした。
「おれは着付けなんてできねえぞ。お前は?」
「できませんし、オレたちが彼女の着付けなんかしたら文字通り首が飛びますよ。
次代にさせるわけにもいきませんし……来客の中に和子様がいたでしょう。月の間に呼んでください」
「おう。あの派手なおばさんな」
「それ本人に言ったら駄目ですよ」
「わかってるよ」
「あんた紋付袴は自分で着れましたよね」
「出してくれさえすれば問題なく着れるよ」
「なら後で運ばせますから」
「……な、なんか大事になってない?」
「大丈夫。予定してたのよりは規模が大きくなったけど、悪いことにはなってないよ。あのじじいは後で殴っとくから心配しないで」
司はなんでもないことのように言うけど、開け放した玄関の外からざわざわと大勢の人の声が聞こえてくるのが不安でしかない。
不安に気づいたのか、私の背中を軽くさすりながら司も外に向かって目を向けた。
「……暇人が多すぎるよね。
人のプロポーズなんか見て何がそんなに面白いのかな。……だからここの親戚は嫌なんだ」
苦々しい顔をする司。
……ん?今、何か変な言葉が聞こえたような。完全誓言じゃなくてプロポーズ?
「一生を誓う言葉を聞こうなんて趣味が悪いよね」
苦笑を向けてくる司に言葉の意味を聞く間もなく、急かされて広い庭を走る。先導されるままに足を動かしながら、頭の中は大混乱だ。
……え?完全誓言?プロポーズ?ちょっと誰か説明をください!