31.端から端まで
次の日の朝。寮の玄関を出ると青柳たちがすでに立っていた。
「みんな私服だと印象変わるね」
青柳は厚手のVネックの黒い七分丈のシャツに青みの強いジーパンを合わせている。なんだかいつもより大人っぽい感じだ。
月草さんは綿パンに灰色のシャツとざっくりしたカーディガンでさわやか系。
いつもの男子は大きくロゴがプリントされたTシャツにカーゴパンツだ。
「……なんで一緒にいるの?」
「最近月草の仕事手伝ってんだよ」
なんで?と思って気がついた。
「そっか就職活動!もう三年だもんね。……どうしよう私なんにもしてない」
「お前この状況で青柳以外に行けると思ってんの?」
「……無理な気がしなくもない」
「つーかさ、なにその格好」
言われて自分の格好を確認する。シンプルな白いシャツに茶色のロングスカート。そんなにおかしい格好じゃないと思うんだけど。
「……いわゆる標準服ですね」
「おっ前、支給された服以外ないのかよ?全然買い足してないだろ」
「え?服とかどこで買うの?」
「土日とかに町に出りゃいくらでも買えんだろ」
「そうなの?」
そういえば私、学園の敷地から外に出たことほとんどないかもしれない。お正月にみんなと初詣に行ったくらい。休みの日は図書室で本読み放題してたから外出しなくても全然問題なかったしなあ。
「しかも靴ローファーとかないわ。これ制服のだろ」
「そうだけど」
「……時間はまだありますし、買い物していきましょうか」
月草さんが言って、みんなで正門に向かう。
「え、まさかこれじゃないよね」
正門前にどんと停まっていたのは私でも知っている高級車だった。裏道なんか絶対に走れない長い車体。運転席には白い手袋に制帽をかぶった運転手さんまでいる。
黒塗りの、いかにもお金持ちが乗りそうな車のドアを月草さんが慣れた様子で開けてくれる。
リムジンなんて実物見るの初めてなんですが。そもそも土足で入っていいものなの?
「どうかした?」
固まっていると青柳が顔を覗き込んでくる。
仕方なく、うながされるままに車内に入る。
なにこれ。広いし、高級ソファーみたいな座席がどどんとあるし、車内なのに机まである。
「飲み物と軽食もありますからお気軽におっしゃってくださいね」
月草さんが言ってくれるけど、その端っこにある銀色の扉は冷蔵庫なの?なんで車の中にそんなものがあるのかわからないんですが。
それにこれ本物の革なのかな。ものすごく座り心地のいい座席がとにかく落ち着かない。
思わず青柳の服のそでをつかんだら、にこにこされた。
「私服だと雰囲気変わるね」
それさっき私がもう言ったから!
ぷすーっと口から空気がもれて、変な笑いになってしまった。
笑ったせいか少し緊張がとけて、窓の外を見る余裕が出てくる。
……見た感じ、日本とほとんど変わらない。広告の女優さんとか看板の店名とかは見慣れないけど、大きな違和感はない。異世界のはずなのに、なんだか変な感じだ。
びっくりするくらい揺れがない運転でリムジンはしばらく走り、大きな建物の前に着いた。
「え、ここなの」
ショッピングセンターとかじゃなくて百貨店とかそういう感じの、ものすごくお高い雰囲気なんですけど。
みんな当たり前みたいな顔で入っていくから、私べつにユニクロとかでいいからとは言っちゃいけない感じだ。
とりあえず婦人服売り場とかでいいの?なんてしゃべりながら歩いていると、奥から偉そうな感じの男の人が小走りで近づいてきた。
「青柳様!本日はお越しいただきありがとうございます。先日は羽織のご注文をありがとうございました。本日はどのようなご用向きでしょうか。もしよろしければ特別室を……」
「いらない」
いつまでも続きそうな口上を断ち切って青柳が言う。
「彼女の服買いたいだけだから」
その瞬間、さっきまでにこやかにしゃべってた男の人の目が一瞬だけこっちを見て『なんでこんなところに群衆がいるんだ?』という表情になった。……うん。その気持ちはよくわかる。私自身もなんでここにいるのかわからない。
「もういいからどこか行けば」
青柳が不機嫌に言って、男の人は真っ青になって走り去る。
「不快な思いをさせてしまい申し訳ありません」
なぜか月草さんが私に謝ってくる。
べつに不快な思いはしてないよ。当たり前の反応だと思うし。だってここ明らかに群衆が来るようなところじゃないでしょ。
「切りますか?」
「いや、今はいいよ。じじいが懇意にしてるしね。でも俺はしばらく顔見たくないかな」
「支配人に伝えておきます」
なんだか怖い会話が交わされている。
平気な顔をして立っている男子に、
「メンタル強いね」
こそっと言ったら、
「青柳のとこで仕事してたらこんなもん気にもならねえよ」
普通の顔で言われた。
えーこれ以上なにがあるの。もうすでにお腹いっぱいなんだけど。
*
足早に婦人服売り場のフロアに向かい、若者向けっぽい店に入る。
店員さん以外誰もいない店内で、服の品定めが始まる。
「とりあえずこれとかどうよ?」
「いや、ワンピースとか使い方わかんないし」
「普通に着てカーディガンでも合わせればいけんだろ」
「靴どうするの」
「サンダルでいいだろ」
「……」
「持ってないんですね」
あれやらこれやら次々に服や靴を出してこられて処理が追いつかない。
ちょっと助けて!と青柳のほうを見ると、いつの間にか一人掛けの座り心地のよさそうなソファーに足を組んで座っている。
にこにこしながら『どれ着てもかわいくしか見えないし、あれば着るだろうから端から端まで全部買っちゃえば?』とか言い出す始末。
なにその大人買い。ちょっと誰か止める人はいないの?
最終的に、いくつか試着させられた中から、ふわっとした白のブラウスと紺色のドット柄のスカートに淡いピンクのカーディガンの組み合わせで今日の服は決定したらしい。
『このまま着ていくから値札切って』とか初めての経験なんだけど。靴だけはヒールついてるのは慣れてないし無理だったのでぺたんこ靴にしてもらった。
……正直疲れた。
かわいいとは思うけど、これだけ囲まれて色々言われたらわけがわからなくなる。
試着室で着替えている間にいつの間にかお会計は終わったらしい。レジのカウンターの上にかなり大きい紙袋が三袋もあるんだけど。これ持って歩くのかと思ったら、店員さんに見送られてそのまま店外に出てしまった。
どうやら車まで店員さんが運んでくれるらしい。運転手さんが車で待機してるからできることだよね。なにこのセレブショッピング。
「ついでにスマホも買っとけよ」
男子の一言でそのまま携帯ショップに連行される。
色々機種あるけど全部お任せで。もう考えたくない。
「一年以上スマホなくて平気って、わりとお前人と関わろうとしないよな」
「まあ、だって同室の子も三人目だし。あんまり親しくなるのもしんどいっていうか。それに使わないのに持っててももったいないし」
「まあ隣のクラスも色々あるらしいからな」
話していると、唐突に青柳に手を取られた。
「機種代も使用料も俺が出すから持って。ずっと番号聞きたかったんだけど聞けなかったんだよね」
「ヘタレか!」
「だってずっと警戒されてたから聞いても教えてくれないと思って」
……まあ、たしかにスマホ持ってても教えなかっただろうな。
「俺の番号入れとくから用があってもなくても掛けてきてね」
まずはスマホの使い方が私の知ってるのと同じかっていう所からなんだけど。検証しないといけないかな?
*
スマホはそれほど使い方が違うこともなくあっさり操作できた。
手続きが終わってピンクのラメ入りのケースをつけたスマホは、クラシカルなリボンつきの手提げカバンの中に入っている。ちなみにこのカバンもさっきの服屋さんでいつの間にか購入されていた。
もうお昼をだいぶん過ぎてたから、そのまま最上階にあるレストランの個室でお昼ご飯を食べることになった。
いつの間にか予約されていたらしく、待ち時間なく奥に通される。
なぜか月草さんと男子は入り口近くで立ったまま待機してたからお願いして一緒の席についてもらった。
『おいおい慣れていってくださいね』と月草さんには言われたけど、慣れられる気が一切しない。
学園にいる時は気づかなかったけど、住む世界が違う。
今日一日で一体どれだけお金を使ってるのかもわからない。
全部支払っている青柳にどれくらいになるのか聞いてみたけど、『贈り物をするのは男の権利だから気にしないで』とよくわからない回答が返ってきた。
勢いで青柳の家に行くことになったけど、これもう不安しかないんだけど。
……本当に大丈夫なんだろうか。