18.従者のつぶやき
「あんた何やってるんですか」
群衆の彼女が保健室を出たのに青柳がまったく動かないのを不審に思って様子を見に来てみれば、なぜか床に転がる青柳を発見した。
無駄に均整の取れた体をベッドまで運びあげて、信じられない思いで目の前の人間を見下ろす。
黒に近い濃紺の髪。使役獣は神獣級の大狼。
膨大な魔力と使役獣の加護による身体強化の効果によっておよそ他人から害されることもなく、病気とも無縁の主が蒼白な顔でぴくりとも動かない。
……魔力欠乏の症状だとわかっていても、衝撃的な光景だった。
「殺さないの?」
いつの間に目を覚ましたのか。
常にないかすれた声で問われてため息が出た。
「何やってるんですか、あんた?」
まぶたを上げるのさえ億劫そうに、小さく震えながら目を開いて青柳は息をついた。
「使役獣に彼女を守らせてる。あと、完全誓言?」
「……何やってるんですか」
そもそも使役獣を他人につけるなんて聞いたこともない。
使役獣は幼い頃に契約を結んで以来、常にそばにいる自分の半身と言うべき存在だ。離れると考えるだけで……手汗が出てきた。大抵の人間は猛烈に不安になる。
精神的な問題だけでなく、術の制御にも使役獣の存在は欠かせない。自分なら使役獣がいなければ術の半分も満足に使えないだろう。
……まあ、青柳は力技で何とでもしてしまいそうではあるが。
「その上、完全誓言ですか?」
「うん。そう」
本来なら各家の当主の認可を得なければならないレベルのものをあっさりと。後始末に走り回るのは誰だと思っているんですか。
……オレしかいませんよね。そうですね。
青柳の従者は自分ひとりだけなので、何から何まで自分だけで解決しなければならない。こういうとき切実に頼りになる部下が欲しくなる。
「どんな内容です」
「一生涯彼女を殺さないし殺させない」
「よく誓言できましたねそんな内容」
誓言は魔術契約の一種になるので、完遂できないような内容はそもそも契約できない。
人一人を一生涯守りきるなんて無茶を契約まで持っていけるあたり、やっぱりこの人は人間離れしている。
「だから使役獣に守らせてるんだよ。……常時全方位に備えるのはなかなか魔力食うね。まあ、他の色付きはともかく、実際のところ一番の敵は俺なんだけど」
バカバカしいよね。青柳はあきれたように言って息をもらした。
「……殺したくないなら離れればいい。そんな簡単なことがわからないあんたじゃないでしょう?」
こんな無茶なことをしなくても。
それともそれすらできないくらいに……壊れているのか。
「今なら君でも殺せるよ?そのためにこんなところまで来たんでしょ」
青柳がそそのかすように言う。
……自分が従者としてこの学園に入学したのは先代様からの命令だ。
『青柳の人間として壊れたままなら殺せ』
一応密命なのだが、この人が気づいていることは驚くことでもない。それくらい青柳の一族の中でも能力も頭脳も規格外れなのだ。
それなのに、いやそれだからなのか。何事にも興味が薄く、約束や規則をたやすく破り、気分次第で人を殺すことに躊躇もない。
人の心を持たない『青柳の怪物』。歯に衣着せぬ人なら化け物とすら呼ぶ。今は先代様の命に従い学園に通っているが、いつ何をするかわからない爆弾。それがこの人だ。
そんな人間の監視と殺害というのは、まあ普通に考えて無茶な話だ。
そもそも当代最強をたかだか従者が殺せるはずもない。返り討ちにあうことで、警告を与える。それだけのことだ。
「ここまでやらないと会話もままならないんだから本当に面倒だよね」
ぐったりと横たわったまま、だるそうに苦笑する。その姿には『青柳の怪物』と揶揄される面影もない。
本来なら当代の姫、そうでなくても最低限色付きにささげるべき完全誓言を誰とも知れない群衆に与えるなんて、色付きとしては完全に壊れている。
だが、見たこともないほど弱っているこの人が、なぜだかオレには今までで一番人間らしく見える。
「わかりました。オレも護衛に入ります。一人でやらなきゃそこまでひどくならないでしょう」
「いいの?怒られちゃうんじゃない?」
「あんたに付いたその時からオレの人生詰んでるんで」
「あっははあ……助かる。せっかく怯えられなくなったのにこれじゃ話すのもままならないからなあ」
「……オレにはあんたの無茶が一番わかんないんですけどね」
思わず言うと、青柳は苦笑した。
「あんな弱っちい生き物からこれ以上何を出させるっていうの?」
不思議そうに言った後で、ふと首をかしげる。
「まあ、でも、うん。……もしお願いできるなら、笑ってほしいかな」
「……は?ここまでしておいて好意のひとつもないんですか?」
「そりゃそうだよ。彼女にとって俺は警戒すべき相手だよ?好意なんてあるわけがない」
当たり前のように言う主に頭痛がする。
一歩間違えれば力も立場もなくすようなことをしておいて、好意も同意もないなんてあきれるしかない。
「何やってるんですか」
「なんだろうね?自分でもよくわかんないや」