14.暑さのせいです
今日も今日とて暑い。このまま夏がきたらどうなるのか不安になる暑さだ。
教室の中はクーラーが効いてるからすごしやすいけど、外だとそうもいかない。その上、昨日少しだけ雨が降ったせいで湿気もひどい。髪の毛のくせがすごくて、今日は朝の用意が十分以上長くなってしまった。
前を歩く青柳の背中を見ながらあくびをする。昨日も寝苦しくて寝不足だ。寮のクーラーが稼動するのは六月かららしい。
「なんか変なんだよねえ……」
早足の青柳についていくために軽く駆け足になりながらぼんやりつぶやく。
今日の青柳は朝から様子がおかしかった。
そわそわと落ち着かない様子だと思ったら急に苛々したり沈んだり。何かがあったんだろうと思うけど、青柳の思考は想像もできないから対策も立てようがない。
朝は私がぎりぎりに登校して、二時間目が移動教室だったので休み時間がつぶれた。
どうやら一刻も早く話がしたかったらしい青柳に、二時間目が終わると同時に連れ出されていつもの食堂のテラスに向かっているところだ。
他の時間よりは長いといっても休み時間は十五分だ。二時間目の教室が食堂に近かったのはいいことだったと思おう。
いつもどおり青柳が椅子に座って私が背後に立つスタイルが完成する。小走りでここまで来たせいかくらくらする。やっぱり多少体力つけないとだめかなあ……。
さて、ほとんどの場合、青柳との会話は私が質問して青柳が答えるという一問一答形式だ。だけど時々、今回みたいに青柳がこちらに話しかけてくることがある。そういう時は本当に困る。
「君さ、俺のこと怖がってるよね」
……どう答えろと。
正解がわからない質疑応答とか本当にやめて欲しい。答えによっては殺される可能性さえあるわけで、攻略サイトが切実に欲しい。
まあ、モブ相手の攻略会話とかそもそもないだろうけど。
今回の質問に関しては、答えにくい内容ではあるけどこれだけ態度に出してるんだから答えはひとつしかない。
「はい。怖いです」
正直に言うと、
「怖いから死んでほしいなって思う?」
「……は? いや、さすがにそれはない」
思わず素で返してしまった。
「殺されたくないのに?」
「それとこれとは別でしょ」
「なんで?」
この人いつも変だが、今日はさらにおかしい。会話ができない人ではなかったはずなんだけど。
なんだろう。なんだかゆらゆらしてるような気がする。
「……どうかしたの?」
聞こうとして、舌が回らないのに気づく。指先からしびれたように冷たくなってきて、立っていられない。こんなに、太陽の光が当たって、いるのに。なぜか薄暗い。
最近何もなかったから油断した。
……でも何も食べたり飲んだりしてないのにどうやって?
椅子を蹴倒して近付いてくる青柳をかすれてきた視界に映しながら、私は意識を失った。
*
ぐらりと倒れかけたその体を支えようと、手を伸ばした俺に彼女が浮かべたのは、まぎれもない恐怖だった。
群衆の視線など普段は気にとめることもないのに、なぜか縫い止められたように動けない。
無様に立ち尽くす俺を置いて彼女はふらふらとしゃがみこんで、そのまま倒れてしまった。保健室に運びたいが、きっと俺が近づくだけで怯えてしまうだろう。
珍しく、本当に珍しくどうしたらいいかわからずに途方にくれていると、
「何やってるんですか?」
聞きなれた従者の声がした。従者といっても俺の監視が主な仕事の人間だからどこかから見ていたんだろう。
「倒れたから保健室に運びたいんだけど……。なんで倒れたか分かる?」
「今日暑いし熱中症でしょう。保健室、オレが運びましょうか?」
「その子、色付きに怯えてるから触んないで」
「へぇ……怯えるって珍しいですね」
群衆は殺されても当たり前だと思っているから怯えない。殺される瞬間にも抵抗したり暴れたりもしない。そういうものだとわかっているからだ。
だからこそ彼女は面白いのだが、従者が興味を持った様子なのが気にいらない。
「もうどこか行けば?」
「保健室の先生は殺さないでくださいよ。とりあえず横にして、起きたら水分取らせてあげてくださいね」
苛つきを感じ取ったのか素早くこちらから手の届かない距離まで逃げる従者。早口で必要なことだけを伝えてくる。
応えず、通りかかった一般生徒を呼び止めて彼女を運ばせる。
茶色の男子はぐったりした彼女を抱えて保健室に向かっていく。
……自分は近づくことも触れることもできないのに。
思うと同時に苛立ちが込み上げる。
一般生徒が彼女を保健室のベッドに横たわらせれば、理由がなくなった。
「もういいよ」
にこりと笑って首を掻き切る。天井や入り口の扉まで血が飛び散るが、しばらくすれば学園の自浄作用で綺麗になるので彼女が不快に思うこともないだろう。死体は使役獣の餌にすればいい。
咀嚼の音を聞き流しながら、彼女の枕元に丸椅子を置いて腰掛ける。
彼女の手に擦り傷を見つけてまた苛々してきた。
「彼女を守れ」
食事の終わった使役獣に命じて、顔色の悪い彼女を見下ろす。
水分を取らせたいが、自分が渡したのでは口をつけないだろう。
グルゥ……と使役獣のうなり声に思考から浮上した。
何かあったのかと目の前を見ると、彼女の首に手を伸ばしているところだった。
考え事をしているうちにいつのまにか首を折ろうとしていたらしい。
……苦笑してしまう。
彼女の恐れと警戒は正当なものだ。外面しか知らないならともかく、内情を知った上で俺を信じるなんていう人間がいたらそれは馬鹿だ。
正しく危険な相手に対して警戒を解けというのは殺されろというのに等しい。それは困る。俺はまだ彼女と話していたいのだ。
彼女の身を害さず、彼女が警戒をせずにすむ状況をつくることはできないだろうか。
……とりあえず今は、すぐに手が届かないくらい距離をあけておこうか。