18 湖岸にて
しかし,事態は僕たちの予想外へと進展していった。
ある晴れた秋空の日曜日,僕らは湖岸沿いの公園に遊びに来ていた。県内にある日本で一番大きな湖沿いの公園にいくつも公園がある。
良いお天気に誘われて,家族連れや若者たちのグループやカップルが遊びに来ていたり,ジョギングする人,釣りをする人など結構な賑わいであった。コバルトブルーの湖は遠くの山並みの下まで続き,湖上を渡る風は気持ちよかった。
4人でふざけあいながら湖岸をぶらぶら歩いていると,神田が急に園田を呼び止めた。
「園田さん,ちょっと二人きりで話があるんやけど」
「ん? なんやろ」
神田は僕と佐々木さんの方を見ると
「ごめん,ちょっと園田さんと二人だけで話したいし,ここで待ってて。園田さん,ちょっとあっちまで来てくれへん?」
「ええけど」
園田はいつもと変わらぬ調子で神田についていく。神田は珍しくちょっと緊張気味。
「何やろ,急にどうしたんかなあ」
そう言って佐々木さんを見ると,佐々木さんは青ざめた顔で神田と園田の方を見つめていた。
「佐々木さん?」
声をかけるが,佐々木さんは押し黙っている。僕も離れていく神田たちの方を見守る。
声が聞こえないくらいのところまで行くと,神田は立ち止まって振り返り,園田と向かい合った。湖を背景に,二人が向かい合って話をしている。話の内容は聞き取れない。
神田は,ちょっとぎこちない態度で話し始めたが,だんだん一生懸命な話し方に変わっていく。一方の園田はいつもどおり淡々とした態度だ。
うん,まあ,さすがにわかる。これはまずいな。すごくまずい。やめてくれよ,目の前でこういうのは。
話がどっちに転ぼうとしているのかは分からない。でも,どっちにしても傷つく人がいる。せめて,彼女の目の前でするのは止めてほしかった。
隣にいる佐々木さんを横目で見る。佐々木さんは,じっと神田たちを見ている。湖面に反射する日光がまぶしいのに,佐々木さんは瞬きもせずじっと見ている。聞こえない声を聞こうとするかのように。聞きたくないはずの言葉を聞き取ろうとするかのように。何かを必死にこらえる表情で。
「………」
僕は,彼女に何か声を掛けようとして,止めた。かけるべき言葉を思いつかなかった。今の僕には何もしてあげられない。慰める方法を思いつかない。そばにいるだけでも辛い。でも,彼女の方がもっと辛いはずで。だから,逃げださずに,そばにいてあげたい。
ずいぶん長い時間がかかったような気がする。でもたぶん数分だろう。園田が一人で僕たちのところに帰ってきた。
「待たしてごめん,ほな行こか」
園田は何の説明もせず,そのまま行こうとする。どうしよう。
「美月,神田君に何を言われたの?」
「ん? なんか,好きやから付き合ってほしいって」
「そうなん。なんて答えたの?」
「ごめんなさいって。うちは神田君のこと友達と思てるけど,それ以上の気持ちはないから,二人だけで付き合うことはできひんって」
「そう,それでよかったの?」
「うん。そのとおりやもん」
「私に遠慮してない?」
「ちゃうちゃう。それとこれとは別やし。うちはほんまに神田君のこと何とも思てないから」
「そう」
佐々木さんはそう言うと,チラッと神田の方を見る。僕もつられて神田の方を見ると,神田はまだその場に立ち尽くしている。神田にも心の整理をする時間が必要だろう。
「じゃあ,行こうか」
佐々木さんはそう言うと,いきなり一人で歩き始めた。思いがけず速足だ。まるで,嫌なことを全部その場に置き去りにしようとするかのように。
園田は空気を読んだのか,少し遅れてゆっくり歩いている。
僕は,佐々木さんを一人にするわけにいかないと思い,慌てて追いかける。小走りで追いつき,佐々木さんの横に並んで歩く。
「えっと,佐々木さん?」
「タカナリ君は神田君が美月のこと好きって知ってたの?」
「えっ」
否定すべきだったが,佐々木さんの声のとげとげしさに,つい言葉に詰まってしまった。
「ふーん,知ってたんだ」
「いや,はっきりとは」
「前に,神田君がどう思ってるか分かったら教えてって言ったよね」
「うん……」
「それなのに黙ってたんだ」
ヤバイ,怒ってる。怒られてる。
「私が神田君に振られるって分かってるのに,知らん顔して,私の相談に乗ってたんだ」
「いや,あの,そんなつもりは―」
「そんなのひどいじゃない。応援してくれる振りして,私のこと笑ってたの?」
「ちょ,そんなわけないやろ!」
「それだったら,どうして教えてくれなかったの!」
「いや,だって―」
「もういい,もう誰も信じられない!」
佐々木さんはそういうとどんどん足を速めていく。
「ちょ,待って,佐々木さん!」
呼び止めようとしたが,佐々木さんは僕の方を向こうとせず,顔をうつむかせる。横顔も見せてくれない。涙も見せてくれない。でも,さっきから声が震えてた。泣き声なのは分かっていた。
佐々木さんはいきなり駆け出すと,僕たちを置いて一人で帰ってしまった。追いかけるべきか迷ったが,園田から止められた。
「ほっとき,今は一人になりたいんやろ」
「けど,泣いたまま一人で帰るのはまずいやろ」
「大丈夫やって。泣いてる言うたかて,人前で声に出してまでは泣いてないんやし,ちゃんと帰れるて。それより,泣き顔を見られる方がかなんと思うで」
そう言われると追いかけにくい。
「それに,さっきの何? あんたら,陰でこそこそ何かしてたん?」
黙秘。
「なんか変やとは思てたんやけど,あんたら連絡とりあってたんか?」
沈黙。
「あんたもいらんことしいやなあ。どうも様子が変やと思たら,そんなしょうもないことしてたんや」
くそ,黙れ。
「しょうもないて,そんな言い方ないやろ」
「好きな子が自分の友達とうまく行くように応援したったわけか」
「悪かったなあ」
「別にうちに悪いわけやあらへん。あんたがあほなだけや」
「そんなん,僕の勝手やろ」
「失恋してでも,いいように思われたかったんか」
く,追い込まれてる。
「頼りにされてうれしかったんやなあ」
………
「それやのに,うまくいかんかった上に,嫌われてしもて」
くっ………
「あんたの気持ちに気付かへんエリカもエリカやけど。私からエリカに言うとこか?」
こいつ,とどめ刺す気か。
「ええ。いらんことせんといて。僕が悪かったんやから」
「あんた,神田君がエリカのこと好きやないって知ってたんか」
「神田は佐々木さんのこと嫌っとった訳やない。そのうちうまく行くかもしれん思たんや」
「エリカにほんまのこというて,自分の方に振り向いてもらおて思わへんかったんか?」
「そんなんできるわけないやろ」
「かわいそうで言えへんかったんか。あほやなあ。自分が幸せにしたったらええやんか」
「そんなわけにいくか」
「自信がないんや」
「くっ―」
「半端なことするから,一番悪い結果になってしまうんや」
「お前の方はいいんかよ。佐々木さんの前で神田のこと振ってしもて。そのせいで無茶苦茶なってしもたがな」
「そんなこと言われても,神田君が先に言うてきたんやし,しかたないやん。嘘は付けへんから,神田君にもエリカにもほんまのこと言うしかないし」
「そら,そうやけど……」
まあ,確かに今回は園田が悪いとは言いにくい。淡々としとるとこが腹立つけど。僕に容赦ないとこも許せへんけど。こいつ,さっきから僕のことをじっと見て,いたぶるようにして追及してきょうるし。お前こそ友達のこと心配したらどうやねん。
「あーあ,うちがエリカを慰めるわけにもいかへんしなあ」
まあそうなんやけど,お前が言うと嫌味に聞こえるんや。
「なに,うちに八つ当たりするのはやめてや」
くそ,なんで言わんでもばれるんや。そんなにわかりやすい表情しとったか?
「おーい,すまんすまん。あれ,佐々木さんは?」
神田が追い付いてきた。さすがに園田の方を見ようとはしないが,僕に対しては自然に振舞っている。まあ,やっぱりどこか固いけど。
「うん,ちょっと調子が悪いみたいで,先に帰った」
「え? それやったら誰かついて行かんとあかんのちゃう?」
「なんか,大丈夫やし一人で帰るって」
「ふーん,そうなんや」
お前のせいやとは言えなかった。神田が悪いわけじゃない。まあ,佐々木さんの目の前で告るのは止めてほしかったが,結果的に神田が佐々木さんを振ることになるのは,誰にもどうしようもないことだ。神田には神田の思いがあるのだから。
結局,僕たち三人も帰ることにして駅に向かった。三人とも言葉少なに。それぞれが,それぞれの思いを抱えて。神田や園田が何を思っているかは分からないけれど,それぞれ抱えるものはいっぱいあったはずだ。いや,園田は知らんけど。
僕は,もちろん佐々木さんのことで一杯一杯だった。やはり追いかけるべきではなかったかと,後悔の念が増していく。泣きながら歩いていて,変な奴に絡まれたりしないだろうか。佐々木さんは美人だから目立つし。
でも,今僕が行ってもきっと拒絶されるだろう。さっき徹底的に嫌われたばかりだ。信用を一瞬でなくしてしまった。もう,これまでみたいに佐々木さんと楽しく会話することは二度とないのだろうか。ないよなあ。ほんとに怒ってたし。
完全に嫌われた。あー,全身から力が抜けていく。落ち込んでる場合じゃないんだけど。佐々木さんのことが心配だけど。でも,もう僕には何もできない。何もさせてもらえない。追いかけることも許されず。言葉をかけることも許されず。見守ることすら認めてもらえないだろう。
ほんとに馬鹿だ。こんなことなら何もしなければよかった。それとも,いっそ告白して振られておけばよかった。その方が,せめて思い出になったろうに。青春の1ページに。告白する勇気があったことだけは勲章として残ったろうに。好きな子に嫌われて終わりなんて。
悲しすぎる。




