潰
今日の嗤う轢死体は、一段と強烈だった。
事故当時は身体が腰のところで潰れ、引きちぎれていたそうだ。腹部から内臓が四散し、道路赤く染めて、強すぎる血の臭いに救急車の隊員も吐いたとも。今は簡単に補修された状態で、遺体は生前の身長より少し縮んでいる。
即死とは異なる、しかし絶対に命を落とす損壊を受けた若い男は、迫りくる死を意に介さないように、微笑んだまま死んでいた。
「引き攣ってる……んじゃないな。なんでどいつもこいつも……」
意外かもしれないが、腰の辺りで上半身と下半身が生き別れになっても、即死しない場合もある。
心臓と肺の循環系は胸に、脳が頭部に配置されているからだ。ただ、即死しないだけであって、多量の出血と多臓器損壊で絶対に死ぬ。意識が途絶えるまでこの被害者は、無残な自己を眺めただろう。気が触れて嗤う被害者もいるが、この笑みは狂気の笑みとは異なった。
だからこそ、この死体は狂気じみていた。
まるで死後の安寧が約束されているかのように、若くして亡くなる悲劇をどうでも良いと割り切るように、悲惨な肉体と裏腹に、安らかな死に顔だった。
「気持ちが、悪い。本当に……」
「全くだ。なんで……なんでそんな未練なく死ねるんだよ、お前らは」
晩婚化の進む現代でも、この歳なら両親も存命だろう。これから若者の遺族に連絡せねばと思うと気が滅入る。予期せぬ死を迎えた隣人と、被害者周辺の人々は向き合わねばならないのだ。
それなのに、なぜ?
それなのにどうして、トラックに轢かれて死ぬ当人たちは笑顔なのか。
傷病を癒し、また健康に生きようと必死な人々や、もう死を避けれぬと悟り、短い余生を受け入れられず、泣き叫ぶ人々を身近に見ている。病院務めに携わる自分たちには、必死に生きようとする普通の人を知っている。
だから不気味で、恐ろしい。
普通の患者とかけ離れて、定時に死を迎える、別々の若者たち。
その異常性と理解不能な表情が、病院スタッフにはただただおぞましく映るのだ。