遠い背中
駅伝を見てたら、ふと書きたくなって書いてみた小説。
なお本作に出てくる高校名および人物名は完全な創作なので、仮に現実世界に同一名称が存在しても一切関係のないことをここにお断りしておきます。
十一月初旬。
今年は夏が長すぎて、暑さにうんざりしていた。でも、ようやく暑さも緩和されて、すこし肌寒くなった。
少し遅めの、秋の到来を感じる。
私、永松早織は西都高校の三年生。本来なら、受験勉強の追い込みの時期に入る。
しかし、私は、居残って勉強に励むクラスメイト達のいる教室を後にする。
向かう先は、視聴覚室。私がマネージャーをしている男子陸上部のミーティングがあるからだ。
視聴覚室に行くと、もうすでに部員のほとんどが集まっていた。私は、部員達が座る五列六段の椅子の塊ではなく、廊下側の壁際に並べられている席に座る。
ここからだと、部員達がよく見える。なかでも目立つのが、最前列と二列目に座る、丸刈り姿の十人の男子部員達だ。
彼らは陸上部の中でも、長距離種目を専門とする部員達だ。三年生四人、一、二年生四人、交換留学生二人という陣容だ。特に、三年生の四人は、受験勉強と両立しながら、部活を続けていた稀有な存在だった。
そして今日は、一週間後に迫った駅伝大会のオーダーを発表する日なのだ。
ガヤガヤと話していた部員達の声が静まる。少し間を置いて、顧問の新田先生が入ってくる。右手に一枚の紙を持って。
こうした切り替えの素早さは、西都高校の中でも規律にうるさいと言われる陸上部の良いところだと私は思う。
先生が話し出す。
「今日のミーティングだが、皆も知っての通り、一週間後に県駅伝大会南部ブロックの予選会が行われる。これから、そのオーダーを発表したいと思う。呼ばれた選手は返事をして、前に来るように……まず一区、前田……二区……」
先生に呼ばれて、一人、また一人と「ハイ」と凛とした声で返事をして、丸刈りの部員達が前に並んで行く。
そして、一区から六区までの正規メンバーと二人の補欠メンバーが呼ばれ終わったあと、丸刈りの部員はあと二人残っていた。補欠枠は、あと一つ。
一人は、同じクラスの平坂くんだ。十人の中では、一番遅い三年生の部員だ。それでも、他の種目の部員が七月に卒部していく中で、駅伝大会に向けて今日までずっと練習していた。こんがりと焼けたその肌の色は、彼の努力を象徴するかのようだ。
もう一人はマイケルくんだ。アフリカから来た交換留学生で、現在は二年生。四区を走る同じく交換留学生で三年生の先輩のモリーくんと同郷で、活躍する先輩の後を追ってはるばる日本にやってきたというなかなか凄い行動力のある人だ。十人の中では九番目の遅さだが、「冬季練習を積めば来年大きく伸びるだろう」と先生には評されている。
私はどちらの姿もよく見てきていたから、正直どちらとも選んでほしいと思っていた。
しかし補欠枠はあと一つしかない。
つまり、どちらかが選ばれて、どちらかは選ばれないのだ。
私は固唾を呑んで、次の発表を待つ。
といっても、ここまで真剣に気になるのは私だろう。他の部員は無言とはいえ、おそらくどちらが選ばれるかはもう分かっているに違いないからだ。
当の私だって、薄々気づいてはいる。
「……第三補欠……マイケル」
その言葉を聞いた時、片方は「ハイ」と若干イントネーションが異なる感じで返事をして前に行き、片方は動きこそしなかったものの、その肩は僅かながらにしょんぼりと下がったように私には見えた。
「今回、私も大いに悩んだ。しかし、今年は例年に比べて遥かに強く、県大会、全国大会も狙えると私は見ている。故に、今回は実力、コンディション、安定感を優先して選んだ。……平坂はこの夏の間よく頑張ってくれたと思う。今回の大会には残念ながら選手枠として登録はできないが、他の選手のサポートをマネージャーと一緒に手伝ってもらうと助かる。それに、まだ諦めるには早い。南部ブロックで勝ち抜けば、次の県大会、もしくは全国大会では新しくオーダーを組める。それまでの辛抱だと思って頑張ってほしい」
そう先生は締めくくった。
その後、ミーティングは壮行会へと移る。
オーダーされた選手たちが、それぞれ、思い思いの決意表明をしていく。
オーダーされた選手たちの決意表明が終わった後、選ばれなかった平坂くんも決意表明をすることになった。
先生に呼ばれて、オーダーされた選手たちと対になるような形で前に並ぶ。その表情は思ったよりも悲しみとか、悔しさとか、そういったものではなく、どこか晴れやかな顔をしていた。
「まず最初に、オーダーされた皆、おめでとう。僕は、今回選ばれなくて、正直悔しい気持ちはありますが、純粋に力不足だったと思うので仕方ないと思っています」
「でも、サポート役という仕事を得たので、そちらの方をしっかり頑張りたいと思います。スーパーサポーターを目指して特別賞を狙いにいくので、どうか皆様応援よろしくお願いします」
そのユーモアある返しに、思わず部員の皆がどっと吹き出す。「スーパーサポーターって何だよ」「そんな賞ねーだろ」というツッコミも飛び出す。
少し堅苦しい感じだった壮行会の空気も、一気にやわらぐ。先生もこれには苦笑しているが、特に咎めたりはしない。彼のお茶目な(?)所は雰囲気作りに大いに役立っていることを先生も皆も知っているからだ。
そんなこんなで壮行会は終わり、ミーティングは解散となる。今日は木曜日、陸上部の練習がない日なので、そのまま皆帰っていく。
視聴覚室には、私と、平坂くんが残っていた。この平坂くん、なぜかいつもこういうミーティングの時は最後まで残って、私たちマネージャーと一緒に戸締りや机の再配置を手伝ったり、果ては鍵の返却までやっていたりする。本人曰く「こういう性分だから」とのことだが、私は「変な人」だと思っている。
私は黒いカーテンを閉める平坂くんに声を掛ける。
「スーパーサポーター就任おめでとう」
「どもどもー……っていうか自分で言いだしたけど小っ恥ずかしいなコレ」
「え、ウケ狙いで言ったんじゃないの?」
「いやまぁね?確かに言ったけどね?イヤー滑らなくてよかったよ。恥ずかしいことには変わりねぇけど!」
「えーじゃ言わなきゃよかったじゃん」
「いや僕のキャラ的に求められてるかとおもってね……ホラ、僕ってムードメーカーだからさ」
「え……」
「いやごめんなさいすみません冗談なんです調子乗りましただから引かないで」
「ふふっ……やっぱ面白いね平坂くん」
「アリガトウゴザイマス感謝シマス」
「なーんでカタコトなのかな?」
平坂くんと喋っているとそこそこ楽しい。何というか、面白いのもあるし、弄り倒せる気がするからだ。
いつもならこんな会話のまま終わらせるのだが、それでもやっぱり私は気になって尋ねる。
「でも正直言って本当はメンバー入りしたかったでしょ?」
まぁね、と答える平坂くん。
「確かにそりゃあ夏休みも秋も受験勉強返上して練習してたし、出来るなら補欠枠でもいいから滑り込みたかったのは本当だよ……勉強に当てられた時間返せーってね。冗談だけど。」
「でもね、僕は一番遅かったし、なにより前日のタイムトライアルでマイケルには完敗したからね。仕方ないのさい。こればっかりは力の差ってやつよ。実力負け。でも後悔はしてない……俺もその時自己ベスト更新したからね」
あっさりと答える平坂くん。カァカァとなくカラスと声が、遠くから聞こえる。黒いカーテンの隙間から、夕陽の光が溢れる。
「そうなんかしみじみとするなって。先生も言ってたろ?まだこの次があるって。だから次に奪還すりゃいいの。次はマイケルに勝てる自信大アリなんだよねぇ」
その前向きな姿勢に、私はまたふふふと笑みをこぼしてしまう。
「その自信どこから湧いてるのよっ。トライアル記録見てたけど十五秒も差があったじゃない?」
「え、そこは気合だけど?」
「精神論かよっ!」
「まー、次あるからがんばろーでいいじゃんか」
「おかしいな……私がツッコミ役になってるのは何かがおかしい」
「自然の摂理だからね仕方ないね」
「いや違うでしょ!」
こんなテンションのよくわからない会話をして、私と平坂くんは戸締りをしてそれぞれ別れて帰った。
確かに悔しそうなところはあったけれど、それでも前向きに生きていけるのが彼の強みなんだろう。私はそんなことを考えていた。……そういえば彼、進路はどうする気なんだろうか。
***
結論から言えば、西都高校陸上部は、南部ブロック予選で八位。
あと一歩のところで県予選の出場を逃すこととなった。
その原因は色々あったとは私は思うけれど、直接の原因は……
南部ブロック予選が行われた翌日の月曜日、私は後輩部員に引き継ぎを終え、下校するために昇降口に向かい、階段を降りていた。歩いていると、下の方から声がする。
どうやら、自分のいる三階の少し下、踊り場のほうで話しているようだ。
そこに居たのは自分と同じ陸上部のマネージャー、木梨さんと、平坂くんだった。
どうやら廊下でばったりと出会い、そのまま話しながら降りて行っているという感じだ。ちなみに彼には残念ながら(?)色恋沙汰の話は無い。
「あー残念だったよねー見たかったなぁ平坂の勇姿〜」
「どもっす。ってか呼び捨てやめましょう?ねぇ?」
「え、格が違うもん」
「いつから僕と君のあいだに格付けができたんですか木梨サン……」
どうやら、この前の駅伝の話をしているようだ。ちなみに、木梨さんは二年生。普通、体育会系なら先輩に対して呼び捨ては御法度の筈なのだが、木梨さんは平坂くんを呼び捨てにしている。無論、平坂くんもなんだかんだで黙認しているのだが。もちろん恋人関係とかではなかったりする。当たり前ともいう。
私は、少し距離を置いて、聞き取れる範囲ギリギリの距離を保ちつつ、階段を降りていく。
「でもさー本当に残念。リナ見たかったなぁ。平坂の勇姿……マイケルがコケたりしたから惜しいところで逃したよね」
「……」
「まぁさ、小渡先輩が早すぎるインフルエンザにかかったのは仕方ないけどさぁ〜でも代わりに出場したマイケルがちゃんと走れば少なくとも県予選は出れたよね?あと一歩だったじゃん!七位との差はわずか十五秒だったんだよ?!」
「……」
「てかマイケルまじないわー。留学生ってもともと早いやつばっかじゃん!先輩は遅くてもずっと頑張ってたのに!それを転校して早々に横から奪い取ってさ!何なの?留学生だからって調子乗りすぎてるよ!だからあんなところでヘマしたりするんだよ!」
「……」
「あーぁ、留学生のせいで負けちゃって、先輩は結局出れなくて、ホントにリナ残念!!!だから留学生大っ嫌いなの。留学生だからってチヤホヤされちゃってさ!ほかの高校にもそんなのいっぱいいるんでしょ?ズルくない?ズルイでしょ?」
そこで、平坂くんは足を止める。ちょうどそこは、階段の踊り場だった。
「―その辺にしとけ、木梨」
「……っえ?」
「確かにマイケルがコケなかったら、県も、全国も行けたかもしれないさ。それは認めるよ」
「でもね、木梨。マイケルがコケたことと、僕が出れなかったことは関係無いんだよ」
「単に僕は自分の実力がマイケルに負けてただけなんだよ。留学生だからとか、向こうが転校してきたとか、そんなのは関係のないことなんだよ」
「で、でもっ……!」
「でもも何も、僕はタイムトライアルで負けた。たった十五秒の差、って思うかもだけど、陸上の世界の秒は分に等しいくらいの差なんだよ。僕は実力で負けた。ライバルに負けた。それだけのことなんだよ」
「確かにさ、今の駅伝だとほとんど強豪校は外国人たくさん入れてるよ。でも外国人だからって、僕らがそれを敗戦の言い訳にする理由はどこにもないし、それは外国人に負けた僕やどこかにいる同じ陸上部の人たちを冒涜してるのと同じなんだよ。この意味は、分かるよね」
「良いんだよ。もう終わったことだから。それに僕は君が見てくれていただけで、もう十分努力は報われていたと思うよ。一人でも、努力していたことを知っていて、なおかつ憤ってくれるなら、それでもう充分なんだ」
「……僕にゃ遠すぎたのさ」
「……彼の背中も、駅伝大会も」
木梨さんは泣いていた。
多分本当に平坂くんの走りを見ていて、そして駅伝にも出て欲しいと思っていたんだろう。言葉は少し過激だけれど、それは彼女の偽りのない気持ちだったのだろう。
「ほら、涙拭けよ。」
「―みっともねぇぞ。木梨」
平坂くんは左手でハンカチを取り出す。一回折りたたみ直して、木梨さんに渡す。木梨さんはそのハンカチを俯きながら受け取って、涙を拭いていた。
踊り場の窓からは、優しい天使の光が二人を包み込むように降り注いでいる。
私は、そっとその場を離れることしか、できなかった。
「僕には遠すぎた」何故かその言葉が、ずっと脳裏を駆け巡っていた。
陽の当たらない廊下、下校して誰もいない二階の廊下を、私は歩いていく。
(了)