タマちゃん、球の重力に囚われる!:6
「ビリヤードは何回目?」
「二回目です、一人で来たのは初めてですけど……」
ニコニコと問いかける渡会プロ。
私はどぎまぎしながら答えます。
「そんなに面白かった?」
「はい! すごく面白かったです! こう、私の撞いた球が転がって、当たって、跳ね返って……それだけで楽しくて……」
「ポケットには入らなかったでしょ?」
「でも、上手い人はバンバン入れちゃうんです、隣のテーブルにすっごく上手い女の人がいて……私も彼女みたいにカッコ良くなりたいなって……」
私はあの日に見た彼女の姿を思い出し、小便をちびる様な緊張と胸の高鳴りを覚えます。
「なるほどねー……『こっち側』に来る動機と素養は十分って事か……」
渡会プロが瞳を潜め、舌なめずりします。
「こっち側?」
「そ、ビリヤードはね、遊びやギャンブルでやると何時まで経っても上達しない、つまらないままだけど、一度本気で取り組むといくら上手くなっても天井が来ない、最高にエキサイティングな競技になるの。それが球のこっち側……スポーツ・ビリヤードの世界よ」
「スポーツ・ビリヤード……」
初めて耳にする言葉、ビリヤードはスポーツなんだ……私の常識がものすごい勢いで塗り替わります。
「キミ、名前は?」
「小川球輝、15歳です」
「タマちゃんか……良い名前だね、ようこそ、スポーツ・ビリヤードの世界へ!」
「はい! よろしくお願いします!」
にっこりと笑い、手を差し伸べる渡会プロ、私はその手を取り、硬い握手を交わしました。
「じゃあ、さっそくキミの真っすぐを探してみようか……」
「その、さっきから気になっていたんですけど、真っ直ぐって何ですか?」
渡会プロの言葉に、私はポカンとして聞き返します。
「ビリヤードにはね、3つの真っすぐがあるの。真っ直ぐ見る、真っ直ぐ構える、真っ直ぐ振る……これが出来て初めてスタート地点に立てるのよ?」
そう言って、ウィンクを送る渡会プロ。
的球を台の中央に置くと、サイドポケットに正確に真っ直ぐな位置に手球を配置します。
「まずは的球を中央に、手球をサイドの真正面に置くから、ポケット出来るように、思う様に構えてみて?」
「えっと、こう……かな?」
私はぎこちなく、ヨロヨロと構えます。
「次、キューを振ってみて」
「はい……」
キューを真っ直ぐ振ろうとしても、身体に力が入らず、私のキューは右に左にフラフラと揺れました。
「どう? 真っ直ぐ振れてる?」
「いえ、左右にぐらぐらしちゃって……全然だめです」
「ま、そうだよね……そのように構えているから。一度立って……私が構えて見せるから、自分とどう違うかよく見比べてね?」
渡会プロはそう言って構えて見せます。
その所作は一部の隙も無く、流れるような美しさを魅せていました、昨日見た、あの女性の様に……。
「どう?」
構えたまま、渡会プロが問いかけます。
「何と言うか、全身がビシっと決まっていて、物凄い安定感がありますね……」
「フォームの主役が上半身なのは分かるよね? 下半身の役目は、上半身がキューを振る腕を真直ぐに安定させる事にあるの、その為にはスタンスを広く、重心が体幹を通る様に……具体的には肩幅ぐらいに取って、椅子に腰かけるようなイメージで膝を軽く曲げてやる……見える?」
渡会プロのフォームを180度まわって確かめる私。
彼女は、フォームを解くと、私に再度構えるように指示しました。
「どう?」
「あ……さっきより安定しますね……」
「その状態でキューを振ってみて?」
「まだ左右に、グラグラします……」
私はキューをギュッと固く握りしめていました。
硬く握った方が安定すると思ったから……でもそれは間違いでした。
「握り方が悪いね……強く握り過ぎると手首を巻き込んじゃうから、親指は添えるだけにして、四本の指で柔らかく握って……その時に、親指と人差し指の間の「水かき」にキューを押し付けるようにすると、巻き込みを防げるからね……撞く瞬間にはしっかり握って欲しいから、引く時は軽く、押す時は強く……ニギニギする感覚を覚えられればベストかな」
「や、やってみます……」
た、たかが素振りで覚えることが多すぎる……でも教わった通りにやると、どんどん安定して来る……学校で習ったどんなスポーツとも違う難しさ、これがビリヤードなんだ……。
難しい……でも楽しい!
「人間の関節は円運動しかしないの、それを使って直進運動を生み出すのがビリヤードのストロークだから、右腕の肩と肘、左手のブリッジはしっかりと固定して、右手首など動かす個所は必要最大限に動かして直線を作り出すのよ?」
「はい!」
渡会プロに言われる通り、私は自分の身体をコントロールしようとします。
固める所はすべて固定し、動かす個所だけを総動員して、真っ直ぐを作り出す!
「的球と手球は一直線……どう? キューを動かして……的球に対して真っ直ぐ振れてる?」
「さっきよりは、大分……」
「じゃあ、撞いてみようか……ストロークと同じリズムで、的球を真っ直ぐ見て……手球を撞いてみて……」
私は息を呑み、ゆっくりと素振りをしていきます。
強過ぎず、弱過ぎず、一定のリズムで、真っ直ぐ、真っ直ぐ……。
そして球を……撞く!
「えい! あ……!」
私の撞いた手球は的球の真正面を捉え、サイドポケットのど真ん中に突っ込みました。
ポケットされた球がラバー・カップの中をギュルギュルと回りながら、レールの底に消えて行きます。
球が……球が入りました!
「おめでとう! 真っ直ぐが見つかったね!」
渡会プロが拍手しながら、にっこりと笑います。
「実はね……キミに教えなかった事があるんだ、それは、真っ直ぐを見るって事」
「真っ直ぐを、見る?」
練習を終え、ベンチに並んで座った渡会プロが、私に話しかけます。
「そ、実はそこが一番重要でね……センター・ショットで、球を本当に真っ直ぐ置ける初心者って少ないんだよ、大概は右か左にズレちゃうんだ」
「そうなんですか……」
「そう! だから私は初心者にはセンターからサイドに向かって球を並べさせているの。距離が短ければ、それだけ少ない誤差で、正確に置けるからね」
「でも、キミは違った……キミが自分で置いて撞いた球は、サイドポケットのど真ん中を貫いたんだ……キミには見えているんだよ、的球の真っ直ぐが! それはとてもすごい事なんだよ?」
「わ、私、すごいんですか……」
不意に持ち上げられ、私のメンタルが上気します。
「うん、かなり凄い。後は反復練習だね……より上半身が安定する様に、身体を固定できるように自分のフォームを直しながら、3つの真っ直ぐをマスターすれば、すぐに初心者脱出できるよ」
渡会プロの笑顔はとても素敵で……女の私でも惚れてしまいそうでした。
「あの、渡会さん……これからも教えてもらって宜しいですか?」
「ぶー、だめー! 私も練習があるからね……それにキミは、本当の師匠に会っていると思うよ……キミ、郁鷲館女子の新入生でしょ?」
「え、なんでそれを?」
「今にわかるよ、キミのビリヤード・ライフは薔薇色だって事が!」
カラカラと笑う渡会プロ。
その言葉の真意を、私は高校の入学式で知ることになるのでした。