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アデュー

作者: 原口光陽
掲載日:2018/07/03

 私は知らない館へ招かれた。いや本当は違う。気づくと森を抜け丘の上に来ていた。暗闇の丘は風もなく、静謐そのものだった。館の中から、どうぞお入り、と微かな声が聞こえてくる。重たい扉を開け、広間の板張りで立ち尽くした。黒猫がたくさんいる広いお屋敷だった。壁にはまばゆいランプがいくつも灯っていて、踊り場が二股にわかれた大階段は二階へと続いていた。

「ようこそ。当館へ」

 猫のような顔の貴婦人がうやうやしく一礼して出迎えた。その婦人に先刻からじゃれついていた黒猫が黄色い瞳を光らせ、こちらの足元にすり寄ってきた。

 なぜか頭がスースーし、見上げたら星空が広がっていた。天井も屋根もなく、満天の星が降ってきそうだった。猫が話しかけてきた。

「そうだよ。うちには屋根がないのさ。壁と床だけ」

 猫は瞳で私の心を読み解いているのだと察した。

「雨は? 風や嵐は?」

「ジマ様が呪文を唱え、雨風を弾くんだ」

「誰?」

「ジマ様だよ。目の前の貴婦人さ。ジマ様は耳が遠い。おれが通訳する係さ」

「あなたは、なんていう猫?」

「ああ、おれか。おれはニトラン。よろしくな。いっとくが、他の猫は人間の言葉を理解できない」

「そうなの?」

「ああ。気持ちを感じ取るのはできる」

「どうやって私はここへ来たのかしら?」

「きっと匂いに惹かれて辿りついたのさ。ここは人間世界と違う匂いで包まれた丘だからな。猫の匂いに敏感でなきゃここには辿りつけない。ここに来る前、森で迷ってたろう。大きな欅の洞に手を突っ込んで匂いを嗅いだよな」

「どうして知ってるの?」

「猫は匂いに敏感だ。欅の洞を嗅ぐのがこちらへ入る唯一の手だて。匂いが鼻腔から脳の通り道へ旅するあいだに、意識が抜けてこちらへ漂着する。匂い成分が意識を猫の手座まで飛ばすのさ。知らなかったか」

「知らないわ、難しいもん。猫の手座っていう星座なの?」

「ああ。銀河の端の猫の手座。そのアルファ星の小さな丘に、いま君はいる。地球の森にある欅とこの丘は空間的に表裏の位置にある。君が来たことで空間がよじれ、メビウスの帯になった。表裏がつながったのさ」

「もっと難しいわ」

「まあ座れよ」

 ニトランはうながした。私が樫の木の椅子に腰かけると、ジマ自らハーブティーをテーブルのティーカップについでくれた。

「どうぞ、おあがり」

 その手が招き猫のような手つきだったので、私はフフフと笑った。ジマはさっきまで微笑んでいたが急に神妙な面持ちになった。

「もうすぐあの世へ旅立たねばなりません。この館のことをよろしく頼みます」

 いきなり私に後継を託した。急に頼まれても困る、と思ったが、たくさんの黒猫がいつしか取り囲んで足を舐めてくるので断れなかった。猫は好きだし、友だちも少なかった。まあいいかと開き直った。

「分かりましたと伝えて」

 ニトランに頼んだ。言葉を伝え聞くと、ジマは元の和やかな表情に戻った。

 夜空の闇が消え、天井の空が白み始めた。夜明けとともに虹が出た。ジマはふわりと宙に浮き、七色の虹に吸い込まれるようにして色と影形をなくした。

「君がこの館の女主人になった」

 ニトランがいった。地球の友へ伝言をしたいといったら、自然と頭に呪文が浮かんできた。呪文を唱え、最後にアデュー(さよなら)といった。

「ハーブティーの匂いを嗅いで、意識を地球へ飛ばせ」

ニトランはにわかに告げた。それで地球と友人に別れを告げたことになるという。つながっている表裏の空間も切れたらしいが、不思議となにかを失う感覚はなかった。新しい場所でニトランや猫たちに囲まれ、自適に暮らす毎日を想像したら、笑みがこぼれた。

 ふと体の変化を感じた。肌と体毛は黒くなり、背中が丸まった。耳がとがり、尻尾のない猫人間になった。                         〈了〉


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