その弍拾壱―速戦即決―
二つの龍は、疾風の如く突き進む――
龍二は踏み込んで相手の肩に打ちかかる。が、それは龍之介には届かない。紙一重で斬撃を避わした彼は、同時に、飛燕の如き身のこなしを以て龍二の腕を打ってきた。
「く……!」
刀で防ぐのは間に合わない。咄嗟の判断で足に力を入れ、後ろへ跳躍する龍二。
しかし無傷ではすまない。焼かれたような痛みが龍二を襲う。だが、動きに支障はない。
それを瞬時に確かめた龍二は、もう一度影のように龍之介へと踏み込んだ――
――シュッ!!
その場にいる何人が、それを見て取れたろうか、残像しか見えないほどの壮絶な打ち合い。右へ、左へ、上、かと思えば下へ。いつ終わるともしれない、永遠にも思えるやりとりの中で、両者ともに一歩たりとも退く気配はなかった。
だが――
「っ!!」
それは、唐突に終わりを迎えた。
金属音が消える。両者の動きが止まり、同時に、辺りには静寂が訪れた。
誰ともなく息を呑む。
もはや、誰の目にも明らかだった。勝敗は――ついに決したのだ。
想像を絶する死闘。制したのは――
「――が……ぁ……っ!」
呻き、倒れたのは龍之介だった。彼は脇腹を左手で押さえながらも、残った手で刀を構えようとしたが、しかし耐えきれず、崩れるように地に伏した。
「兄さん!!!!」
匡孝が叫び、龍之介の元へ駆け寄る。
それを見届けた龍二は、御室有明をそっと鞘に戻した。
「龍二!!」
「大丈夫か!!」
仲間達も駆け寄ってきて声をかける。
龍二は龍之介に斬られた腕を押さえながら頷いた。その目線は倒れている龍之介を揺さぶりながら何度も名を叫ぶ匡孝に注がれている。
「死んだ、のか……?」
ぴくりとも動かない龍之介を見て、綾人が恐る恐る聞いた。
「――いや、峰打ちだ。安心しろ」
その言葉通りに、一時気を失っていた龍之介が僅かに呻き声をあげ目を覚ました。
「……負け、ですか……」
匡孝に抱えられながら、立ち上がった龍之介が呟いた。
「お前の剣、見事だった……。だが、あまり無理はするな。"喘息"を甘く見てると命を落とすぞ」
「――っ……!」
呼吸のたびに気道がヒューヒューと鳴る、喘息の特徴的な症状のひとつ。龍二は見抜いていたのだ。
「……余計なお世話ですね。貴方に、なにが分かると言うんですか? 貴方のような、恵まれた存在に……」
龍二の言葉に、龍之介は憎しみのこもった声で吐き捨てた。
「もう、いい。行きますよ……」
龍之介は隣の匡孝に声をかけ、歩き出した。
「――最後にお前の"苗字"、聞いてもいいか?」
匡孝に支えられながら、立ち去ろうとする龍之介に、龍二が声をかけた。
龍之介はその足をぴたりと止めると、細い瞳で龍二を見た。
そして、荒らぐ呼吸を落ち着かせながら、静かな声で答えた。
「花笠だ。拙者の名は――花笠龍之介だ。」
それは今までの丁寧な物言いではなく、力強い言葉だった。
「…………やはりそうか……」
「龍二、知っとったんか?」
納得した様子の龍二に、健二郎が聞いた。
そんな健二郎には構わず、龍二は話を続けた。
「お前のその刀、松前富貴だな。打ち合っていてすぐに気付いた。その刀はある一族の間で代々受け継がれてきたものだ。その一族というのが花笠――」
「――花笠って、まさか!?」
龍二の言葉を遮り、綾人が驚いた様子で言った。
「綾人さん? 何か知っているんですか?」
この状況に中々、ついていけない様子の恭徳が聞いた。
「ああ、今から十三年前の話だ。ある宗家と分家の間で抗争が起きて、一つの分家が"滅んだ"と聞く。その分家の名は花笠。そして、その宗家は――」
その答えは、龍二が引き継いだ。
「――衣笠。俺の一族だ」
(――!!)
綾人、直樹、龍二、兄弟以外の皆は衝撃の事実に言葉を失った。
まさか、龍二と龍之介の間には、そんな繋がりがあったとは――
「衣笠。その名を忘れたことは、今の一度もありませんでした……」
そう言って、ふいに龍之介が着物をはだけさせせた。
(――!?)
細身の身体に、程よく付いた筋肉。しかし皆を驚かしたのはそれではなく、その左肩と背中に刻みつけられた無数の古傷だった――
「この傷を負ったのは、拙者が三つの時です。この傷を負わせたのは、とある宗家の侍でした……」
その時、龍二がはっと目を見開いた。
(――まさか、あの時の!?)
それはずっと昔に、記憶の端へと追いやり、いつの日か忘れていたものだった。
断片的な記憶が閃光のように、その情景、声に至るまで、まるで映写機の如くはっきりと、その眼に映し出されていく――
冷たい土肌の感触。耳に響く怒涛と泣き叫ぶ悲鳴。
『――卑しい分家の犬が!!』
怒涛の声を上げながら、手にした竹刀を何度も振り下ろす男。
振り下ろされている先は――まだ三つの幼児だ。
幼児は泣き叫びながら、猛刀から身を守ろうと、その小さな身体を必死に屈み込んでいる。
『父上! どうか止めて下さい!! 申し訳ありません! 申し訳ありません!』
その隣で地面に土下座し、頭を擦り付けて泣きながら必死に懇願するのは――幼き頃の自分だ。
およそ十三年前の記憶。
それは龍二が十六の時。今の龍之介と同じ歳の頃だった――
「兄さん、もう行こう……」
辛い記憶を遮るように、匡孝が言った。
「最後に一つだけ聞いてもよいですか?……拙者は、生まれてきてもよかったのでしょうか?」
龍之介が龍二に向かって問う。
「それは、生きていれば分かる……」
「――そうですか……」
ふっと笑みを浮かべて、立ち去る龍之介の背中に、再び龍二が言った。
「今回はお互い万全ではなかった。もう一度、出直して勝負だ。だから、その時まで"生きろ"」
その言葉に龍之介は何も言わずに立ち去っていく。
その目には薄らと光るものを浮かべていたのだった。
それは龍之介が初めて見せた感情だった――
すれ違いざまに、臣も匡孝に声をかける。
「おい、最後にお前の名も聞かせろ」
匡孝は臣を一瞥して言った。
「日暮匡孝。見ての通り俺達は顔も苗字も違う"義兄弟"だ」
二人が似ていない、違和感の正体が明らかになった。
しかし、匡孝は真面目な顔で続ける。
「だが血は繋がっていなくとも、幼き頃から共に過ごしてきた兄弟であり、家族だ 」
「そうか」
臣は一言。それだけ言った。
『では、失礼する……』
最後、二人同時にそう告げると、再び、闇の中へと姿を消していったのだった――
辺りには再び、七人だけが残された。
龍二はずっと背を向けたまま、目を閉じる。
(あの時、守ってやれなくて、すまなかったな……)
「花笠龍之介。お前の名……生涯忘れぬ」
龍二がそっと呟いた。
隣では折れた千本櫻の刃を強く握り締める臣。
その拳からは赤い鮮血が、ぽたぽたと滴り落ちていた。
残りの五人はふと、空虚な空を見上げる。
夜の闇を裂くように月の光が差し込む。
それは黒猫の黄色い瞳のように綺麗な満月だった――
この闘いで生んだ犠牲は数知れない。
時には膝をつき、悔し涙を流し。
なにが正義で、なにが悪なのか。
それすらも分からぬまま。
武士櫻の闘いは幕を閉じた――
失ったものは多いが、得たものは無いに等しい。
戦争とはそういうものである。
武士櫻の闘い、遂に完結!!
ですが第弍章は、まだまだ続きます('灬')




