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外へ。(1/2)

 開かないように鍵がかかるのは、玄関のドアと窓だけだと思っていた。押し入れに入ってろと怒鳴られたことはあっても、手をかければ襖はいつでも開いた。だから、ママさんの怒りが鎮まる頃合いだけを待っていればよかった。それが、今は外からつっかい棒で固定されただけでなく、ぴたりと密着するまで押しつけられたタンスが、彼の力ではどうにもならない壁を築き上げていた。叩いてもわめいても無駄だった。半狂乱のママさんは、少女を部屋から引きずり出すと、彼を殴りこそしなかったもののすぐさまここへ閉じ込めた。「破ったら殺すぞ」と怒りで破裂するような一言を残すと、それきり畳を踏む様子もなかった。タンスで隙間の光さえ閉ざされた押し入れの中では、何分と何時間の区別もつかない。ママさんはしばらく隣の家のドアの前でヒステリックに叫んでいたが、そのうち足音を立てて部屋に戻ってくると、ずいぶん長い間、電話らしい一人の会話が聞き取れた。相手は玩具を買ってきた男だろうか。ママさんの声は、彼が今まで聞いたこともないほど冷静さを失っていた。ボタンを押すと必殺技の名を叫ぶ変身ベルトのように、どうしようどうしようと繰り返し訴えていた。隣んちにバレちった引っ越した方がいいかしらと時折、泣き声のような響きすら混じる。彼はママさんの狼狽など、少女の行方に比べれば何の関心もなかった。しかし、彼がどんなに隣の部屋に耳をそばだてても、少女の声は悲鳴さえ一向に伝わってくることはなかった。代わりに少女がお兄ちゃんと呼んだあの大きな男、さっきママさんが怒りをぶつけたらしい相手が、ママさん以上に同じ文句を、壊れた玩具のように唱える。「親父がいない間に、よくも俺に恥をかかせたな! 畜生お前なんか死んじまえ俺に恥をかかせやがって! 俺に恥をかかせた報いを思い知らせてやる!」掠れ、つぶやき同然になり、とうとう聞き取れなくなっても、闇の中で乱れ始めた彼の意識に食い込むように、その声は執拗に鳴り続けた。時間の感覚が薄れても生理的な欲求は歩調を合わせようもない、彼は尿意に耐えられず垂れ流した。押し入れ中に充満するおしっこのにおいと、ママさんに怒られるという罪悪感に冒されて、彼はめまいに襲われるや布団の上に吐いた。わけもわからず辺りをまさぐる指は、胃液で溶けかかった食べ物らしいねばねばに届いた。涙とよだれとおしっこと吐いたもので顔中を濡らした彼は、それがスナック菓子のなれの果てと思い至ると、再び手づかみ口に入れた。飲み下すことで、少女の存在を身近に留めておけると思った。彼には、もう少女と今までのように会うことは叶わないだろうという予感があった。けれども、最後に交わした約束だけは、少女はきっと果たしてくれる。少女がくれたブラウスの切れ端を握って信じることが、正気を保つよすがとなっていた。しかし、暗闇の中にいるのか暗闇の夢を見ているのかも分からない、眠りと覚醒の間で曖昧に揺れる意識は、次第に少女を思うささやかな慰みさえ飲み込んでいった。二度と明るい場所には出られないと思い知るだけの絶望が、彼を取り巻き包んだ。そのまま長い、長い時間が過ぎた、その後。タンスと襖の壁の向こうから、爆ぜるような音が押し入れに散った。それは布団や枕を振り動かし、押し入れの壁板を貫いて、マンションの隣室へと伝わっていく。彼をも醒ましたその声は、確かに、変身! と聞こえた。

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