中に。(1/2)
怒りに任せた蹴りは彼の首から顎を捉えて、小さな体は和室の襖に激突した。ママさんは、泣きもしないのはさすがに少しやり過ぎたかと後悔の念こそ兆したものの、彼が無事げほがほ咳き入り出したので、別に大したことはしなかったと安心できた。むしろ何を大袈裟に吹っ飛んでんだあいつの同情を買うつもりかと、リビングでのんきに煙草をくゆらせている同僚の男を睨んだ。男が手土産にと買ってきたおもちゃ屋の紙袋は、ママさんの一撃で部屋の隅にひっくり返っている。
「ちょっと、頭とお腹は蹴っちゃダメよ。死んじゃったらどうするの?」
男は、見るに堪えない風に顔をしかめると、ママさんの脇をすり抜けて、うずくまる彼を抱き起こした。
「ほらボク、大丈夫? あんた知ってんの。頭殴ると脳細胞が1万個もなくなるって。バカになっちゃうじゃない」
言いながら、男は無意識に自分の頭をさすっていた。お互いろくな親を持たなかったことを嘆き合って、暴力はよくないよねと意見が一致したのは、いつの晩だったか。少なくとも、ママさんの方では頭の隅にも留めていないらしい。
「もうとっくにバカだよ。開けるなっていくら言ってもわかんねえんだから。その辺の野良犬の方がまだマシ」
「そう言ったってさあ、一日中こんな部屋に閉じこめられてたら、少しくらい外の空気吸いたいって思うのも仕方ないじゃない? ねえボク」
男は、彼の頬を指で突っつきながら、人懐っこい笑みを浮かべた。満面に無害さをアピールして、公園で彼に声を掛けた時と変わらない。
「表に出しても大丈夫じゃない? 帽子でもかぶらせとけば、こっそり夜に散歩したってわかりっこないって」
男の言葉を封じるように、ママさんは開けた冷蔵庫の扉を叩きつけ、取り出した缶ビールを喉に流し込む。勢い余って口からこぼれた黄金色の液体が胸の開いた服を伝い、男は呆れたように肩をすくめた。
「なんだかね。人に誘拐の片棒担がせといて、あんた今、結局何してるわけ? ほんとの母親よりかわいがってみせるって大見得切っときながら、実際やってることは普通に児童虐待よ、これ」
善人面した男への敵意が沸点に達して、ママさんはもう一度足を振り上げたが、寸前でカーペットのぬいぐるみに矛先を切り替えた。部屋中に吹っ飛んでいくこの子たちは、どんなに殴ったって足蹴にしたって、いつだって変わらなくかわいいのに。
「だからあれほど言ったのよ、さらうならあんたは女の子の方がいいって。私の意見なんてちっとも聴く耳持たないんだから」
「これでいいんだよ。女なんて興味ねーし」
ママさんは、胸元を滑るビールの滴を指ですくい取り、しばらくまじまじと眺めていたが、何を思ってか畳に膝を突いた。口を挟もうとする男を押しのけて、また殴られる恐怖に眉根を歪めている彼に向かっていざっていく。背く顔を無理に引き寄せると、ビールまみれの指先を、頬になすりつけた。アルコールのにおいに当てられてか、彼は苦しげにむせ返る。それでもママさんは構わず、額も鼻の頭も、汚ないものを塗りたくるように、べたべたと濡らしていった。
「ねえ。あんたの気持ちもわかるけどさ、この子には何の罪もないじゃない」
黙って見ていられず、男はママさんの肩に手をかける。ところが、思いがけず邪険に振り払われた。
「あるよ」
ママさんは、半ズボンの足を強引に開かせると、股間の真ん中に手をあてがった。嫌がる彼の体を押さえつけて、顔と同じにそれ以上に、指で手のひらで入念にいじくり回す。
「ついてんじゃん、かわいいくせに、いっちょまえに」
あの晩ベッドの上で、男が父親にぶん殴られた頭の傷を見せびらかしていると、ママさんはいきなり起き上がって下着をまくり、男の目の高さに下腹部を突き出した。色白な肌を、更に真っ白な縫い跡が、体毛を縦に貫いていた。──あたしのこの中、空っぽなんだ。
「ほら動いた。今ビクって動いてる。すげえアホくさっ」
まるで「我が子」の新しい成長を喜ぶ母親のように、ママさんは声を上ずらせた。その手のひらに包まれて、ファスナーの辺りを突っ張らせている半ズボンを、男は暗然と見つめていた。




