第2話 酒場とは無縁なもので
どの時代にも世界の中心となる国は存在するもので。
俺が生活の拠点にしている国は、水の大都なんて安易なネーミングで呼ばれていた。街の至る所を河川が走り、シンデレラ城を彷彿とさせる王城は半面海に覆われている。
河川が有るのならば、国が栄えることは当然の事に思えるだろう。しかし『水の都』が『水の大都』に見直されたのは、現在帝位している国王、バビロニア6世が初めて実現させたことであった。彼はたったの一代でバビロニア王国を著しく発展させ、世にその名を轟かせた。どんな手法を使ったのか、それは当事者である国民すら知る由は無く、ついには″魔王と手を組んだ″なんて根も葉もない噂が流れるほど。そんな疑念が城下町を覆っていたとしても高水準の秩序が保たれていたのは、やはり彼の手腕と言う他ないだろう。
そんな史上まれに見るカリスマ性の持ち主。
そして別名、俺のご主人様。…………語弊が生じそうだ。俺はメイドでも執事でもないからな。
つまり俺が冒険者として請け負っていたクエスト、″魔王の討伐″を委託していたのは、バビロニア国王だといえるのだ。そもこんなクエストを軍隊や冒険者に要請していたのだから、噂なんて当てにならない。
それにしても彼は俺にどんな褒美を与えるのだろうか。そわそわして落ち着かない。デート前のような気分だ。いや、彼女なんて出来たためしがないが。
願い事さえ叶わなかったが、豪華な暮らしは勿論のこと、きっと高い地位もくれるのだろう。
もしかしたら姫と結婚して、次期国王すら有り得る話かもしれない。姫様は童顔だという噂を聞くし、そうなれば嬉しいことこの上ない。
この先の運命が、帰りの旅路を端折りたいほどに待ちきれない物になってしまったのだ。
もはや勇者としての余生はいくら余るほどあったとしても、希少なものである。嗚呼、妙に頭が働く。鮮明すぎるほどに青白い正方形の内容が反芻された。
「そういえば転移魔法があったような……」
――勇者にジョブチェンジしたとき、多くのスキルや魔法を手に入れた。神様が来るのを待っていた時確認していたのだが、なにせ数が膨大すぎた。
数十分では把握しきれないほどである。
だが確かに瞬間転移のような魔法があったことは覚えている。子供の頃夢だったどこへでもドアが実現したのだ。そう簡単に流し読みできない。
その部分だけは長い時間をかけてじっくりと、説明を読んでしまったものだ。
たしか方法は……目を閉じて行きたい場所の風景を鮮明に想像する。そしてそこに自分を立たせるのだ。三人称視点で、己を客観的に作り出す。これを全て頭の中で、しかし集中を切らさずに。意外と簡単なものである。
早速試してみると、重力を失ったように体が一瞬浮いた。
次いで膝に重しがのしかかかるような錯覚を。ジェットコースターのエアタイムに近いものがあるようだ。
それをきっかけに集中が切れて、恐る恐る目を開くと、
「おおっ」
と期せずして声が零れる。
転移した瞬間の自分こそ見ることは出来なかった。しかしすぐ様目に飛び込んで来たのは、堂々と立ちすくむ天使が模された噴水である。煉瓦に舗装された広場の中心。
整列していない住居の多くは、レンガや石で作られていた。しかし目立つのは視線の奥にそびえ立つ王城と時計塔。
ファンタジーの定番である中世ヨーロッパの街並みだ。
空に魔王が作り出していた暗雲はなく、目の前を馬車が通り過ぎた。――そして水が頭を包んだ。
……噴水の中に居る自分を想像したつもりはないんだが。初挑戦で上手くいくほど器用でないと示唆された。
まあ間違いはない、バビロニア王国である。
転移の成功、つまりはセルフどこでもドアの実現。
多少失敗しようと、歓喜の感情が湧いてこないはずがない。噴水から影を引きずって、ずぶ濡れの体をこれまた万能な勇者、体温調節で瞬時に乾かす。
しかしその先の考えが甘かったようだ。
なにせ何も無いところから突然人が現れたのである。転移魔法など誰もが身近に感じるはずない。その光景は衝撃なんて表現では足りず、魔法だとすら勘づくことは出来ないようだ。
一帯の時間が止まったように、誰もが硬直していた。
注目を集める……嫌な事じゃない。姫様と結婚すればこの程度の視線、少ないくらいだろう。
でもこの目、完全に不審者を見つめるものだよね? 誰にもハイライトが入ってないよ?
うん、こういうときは……逃げよう。退散。
カンストしたスピードで残像だけを残し、騒ぎが増大する前にその場を離れた。
***
というわけで、酒場。
この都市には珍しく、ログハウスのような木造建築のこの場所は、昼間っから冒険者のおっさんたちが飲んだくれて、大盛況である。
大衆酒場とはまさにここのことだ。
この世界では、冒険者ならば問答無用に大人の扱いとなる。現在十八である俺も、飲酒を楽しむことができるのだ。
勿論今までも酒を飲むことは出来たのだが、なんとなく怖くて試せなかった。手を出したら終わり、みたいな。そんな思いがあった。
だが今の俺は違うぞ。
なにせアルコール耐性のスキルをもっているのだ。いくら飲んでも酔うことはないから、もはやお酒などただの苦い飲み物である。
じゃあ飲む意味がないって? チッチッチッ、こういうのは雰囲気が大事なんじゃないか。
というわけでもう一杯、グッと喉に流し込む。不味い。
「おっ、いい飲みっぷりだね。 兄ちゃん」
知らない人が話しかけてきた。しかも上半身がほぼ裸の装備をしているおっさんである。怖い。
しかし今は恐れるものなどなにもない、お酒も飲めたのだ、裸族のおっさんごときどうということはない。
「まあな、ちょっと景気がいいもので」
「景気? ああそうか、魔王が討伐されたんだってな。どんな奴が倒したのか、顔を拝んでみたいものだぜ」
情報が早いな。こんなに遠くまで広まっていたとは、やはりネットの力で世界は狭くなっているようだ。
この世界ネットないけど。
……少し自慢するくらいいいよな? 顔を拝みたいって言ってるし、ほんの少しのサービスくらいは。
一度咳払いを挟んで、話を続けよう。
「……その勇者が俺だったりする」
ステータスバーを開いて勇者の文字を見せつける。裸族のおっさんは、突然の出来事に何が何だか分からない様子だ。
しきりにステータスバーと顔を交互に見比べている。そしてようやく理解したのか、少し背中をそらすと、
「おい、ここに件の勇者がいたぞ!」
なんて酒場中に響くほどの大きな声で叫んだ。
ガタガタっと席を揺らす音がそこかしこで聞こえる。
今度はこっちの理解が追いつかない。
屈強な大男たちがしきりに目を向けてきたり、近づいてきたりするのだ。恐怖を通り越して、真顔になる。
俺のステータスバーを数十人の冒険者が覗き込んで勇者の文字を確認して、しばしの沈黙が生じた。
え、なにこの状況。殺されるの?
ゆっくりと首を回して男たちの顔を見る。
取り敢えずこの沈黙をどうにかしたい。
「あー、皆さんこんにちは」
耐えきれず、訳の分からない挨拶をしてしまった。会話とはいったいなんなのだろうか。
場を和ませるため、ついでにウインク。自分でも頭がおかしいと思ってしまったのだが、直後に歓声が湧き上がった。
床を震わせるほどの、轟音である。
「俺たち、あんたを祝して飲んでたんだよ!」
裸族のおっさんが興奮気味に口を開いた。
対して俺は、恐怖のあまり涙目になりながら、ガチガチと歯を震わせている。後世まで語り継がれそうな、勇者の変顔だ。
正直女性が居ないのが悔しいが、それでも身が震えた。今度は恐怖ではなく、嬉しさで。
魔王の討伐を祝した宴に、討伐した張本人が乗り込んできたのだ。盛り上がらないわけがない。
騒ぎを聞きつけた国民も、集まり出してきた。もう酒場は勇者を一目見ようとする見物客や次々と追加される酒や食事でいっぱいだ。
ソロプレイヤーじゃなければ良かったな、なんて思いが過ぎるほどの歓迎ムード。
仲間とは、こんなにも暖かなものだったのか。
宴は深夜まで続いた。
盛り上がりを収束させることなく、誰もが俺の武勇伝(脚色済み)を真摯に聞いてくれた。
そろそろお開きである、人々がひしめく酒場。そのの中で、パン、パン、パンと手を叩く音がする。誰かが拍手で俺の武勇伝を讃えているのか?
「お前ら除け、除け! 近衛騎士団だ!」
入口のほうで、若い男の声が人々の歓声にかき消されることなく聞こえる。
近衛騎士団といえば、王国直属の騎士団である。そんなご身分の人まで俺を見に来たのか? 参っちゃうな。
しかし誰も彼もを押し退けてまで俺の顔を拝みに来るというのは、いただけない。乱暴な彼らの登場に、ほら、祝福のムードもシラケてしまった。
「ちょっと止めてくれ、いくら騎士団だとしてもその態度はないだろう」
ひるまず、毅然とした態度で。
勇者であるのだ。今更騎士団などにでかい顔をされる筋合いはない。
しかしそんなことは眼中に無いと言わんばかりに、近衛騎士団は俺の眼前で堂々と立ち止まる。
間髪いれずに聞こえた言葉は、こうだった。
「田中蓮、お前に逮捕状が出ている。大人しく投降しろ!」
凍りつく。俺だけでなく、周りの人々まで一瞬。しかしすかさず起きたのはブーイングであった。
何故英雄が逮捕されなければならないのか、お前らは魔王を討伐できるのかと、怒号が飛び交う。
なんだこの展開。俺の味方がこんなにたくさんいるだなんて、つい最近までじゃあ考えられない。しかも相手は王国関係者だぞ?
魔王を倒したことに対する人望の厚さが計り知れないな。
反感を示す野次に対して、やれやれと呆れた表情をしながらも、騎士は怯むことなく言葉を連ねる。
「仕方がない、こんな場で出したくなかったのだが。これを見ろ」
俺の前で丸まっている紙を勢いよく広げる。
その上部には『逮捕状』と大きく書かれていた。刑事ドラマなんかで見たことのある描写である。
「罪状を読み上げる。よく聞けよ」
騎士の言葉と同時に、店内は水を差されたように静まりかえった。