第12話 中二病でも脱獄がしたい!
「そういえばその傷、大丈夫ですか?」
ポムリアに頬ずりされたフィーナが、なんの取り留めもなく、俺に投げかける。
今更感はあるが、フィーナの人格が出てきたのはつい先ほどなのだから仕方がない。フィオは気づいていたかもしれないが。
しかし、なんとか塞がったものの大きく腫れ上がった傷口は、
「大丈夫とは言えないだろ」
「まあそうですよね……」
引っ付くポムリアを撫でながら、心配そうに俺の傷口を眺めるフィーナは、為す術もなく呆然としてしまっている。
占い師なのだ。
当然治癒なんかは出来ないのだろう。
「あ、あの……」
フィーナに頬ずりしたままのポムリアが、上目遣いで話しかけてきた。
ゴプリンを貰ってからというもの、ずっとフィーナにベッタリである。フィーナも満更ではないらしい。
場所変わってくれ。
「私なら……その」
「なんだ? 直せるのか?」
返事は言葉でなく、コクリと頷くものだった。
直後なぜだか赤面し、猫が毛繕いをする時のように少しだけ舌を出す。
そういえばこの世界で治癒というものを目の当たりにしたことがなかった。なにせソロプレイヤーだったもので、回復は全てアイテムか宿屋で済ませてしまっていたのだ。
やはり傷口に手をかざして、淡い光を当てるようなものだろうか?
「では……し、失礼します!」
「え、ちょ、ちょっと待って!」
舌の矛先は、まさかの傷口。
あろうことか、顔を疼くめて口を俺の足に当てようとしたのだ。
そういった趣味はある筈ないのに、少しだけ乗り気になってしまった。しかしこれを許容してしまうと今後のフィオだけでなくフィーナまでもの、視線が冷たくなることだろう。
「で、でも、こうしないと回復が……」
「そうか、出来ないのか……なら仕方ない」
そうだ、仕方がない。
俺はそっと傷ついた足を……ゴクリと喉を唸らせ、ポムリアの前に差し出す。
合法的に舐めて貰えるのなら仕方がない。
抗い難い誘惑。フィーナの視線がどうとか言ってられないくらいの誘惑。
「いやいや! 待ってください。この子のゴブリン部隊が原因だからって、それは流石に……」
「い、いいんです! て、敵同士だったのに、助けようとしてくれたらしいじゃないですか! せ、せ、せめてもの……お礼を……お礼を」
フィーナとポムリアのやり取りを見ていると、なんだか俺が悪代官になった気分だ。
しかしかなり躊躇う様子に見えるのも、無理はない。
もう3日は風呂に入っておらず、なおかつ裸足で走り回ったその泥まみれの足を嘗めること。それは奴隷レベルの苦痛を味わうことだろう。
改めて考えてみれば、それを強要する俺だって良い気持ちとはいえない。
しかしこれはまたとないチャンスなのだ。もしかしたら、もう少し上も痛むな……なんて続けて、そのままだんだんと下腹部へ……。
「じゃあ足を洗浄できればいいんじゃないか?」
解決策を湧かせ続けよう。
さすれば道は開かれん。
「怖いです、勇者様。何をそんなに必死に……」
「ご、誤解だ。決して足を舐めさせるのが趣味とかじゃないぞ」
「というか水なんて初級魔法を使えば……」
ここにきて、フィーナがハッと顔を上げる。
「もしかして勇者様、初級魔法すらも忘れてしまったのですか!?」
「え、ああ……いや、初級魔法は元々覚えてなくてな……」
力ない声で、やっと口を動かす。
初級魔法なんてものは、一般教養の範囲内なのだ。今や冒険職に就いていない農家の人々だって畑に水を撒くのには魔法を使っているほどである。
それを、それすらを勇者が覚えてないというのは……ねえ? とても言い出し辛い。
「それなら今、この場で覚えてしまいましょう!」
「え、傷の治療のことは?」
「そんなことは後です! 初級魔法すら扱えない人が、どの面下げて勇者だと名乗れるんですか!」
ええ……まだ少し痛むんだが。
というか俺のパラダイスは何処へ。
「あ、あの……それなら、私も教えてほしい、です」
勉強会が始まりそうな空気の中、ポムリアがおずおずと手を挙げる。
対してフィーナは満開の笑顔を咲かせながら、
「よろこんで!」
と返事を。
朝方にはこの緑フードが攻撃を仕掛けてきたというのに、フィーナのほうは全く警戒心を抱いていないようだ。
まあフィオのような険悪な雰囲気よりもこの方がいいか。
***
「ゴッドファイヤー!!」
――顔全体に強い風と熱を受け、全ての髪の毛が仰け反る。
目の前には龍を象った炎の塊が姿を表し、今にも攻撃を加えるように威嚇してくる。
あまりの恐怖に失禁しそうになってから数秒後、龍が形を崩したと思えば、炎に包まれていた鉄格子が、精錬したばかりの金属のようにぐにゃりと歪んで赤く染まっていた。
迂闊に触れてしまえば火傷しそうだ。
「さ、これで脱獄できますよ!」
緑フードの裾から覗かせる猫のような尻尾を大きく振って、嬉しそうなポムリアがそこにはいた。
……初級魔法を習っていたはずなんだが、どう間違えれば技名に『ゴッド』と着いてしまう魔法を覚えることが出来てしまうのか。
俺なんてやっと水を少量生成できるようになったくらいだというのに。
「流石ポムリアです、私が見込んだだけのことはありますね。さ、勇者様も早くこんなとこ出ちゃいま……」
「貴様ら、何やってるんだ?」
低くて通る声に、ポムリアは身を縮こませ、フィーナは何も知らないと言わんばかりに口笛を吹き出す。
あれだけ大きな音を出してしまえば、気づかれるのもしょうがない。左目のすぐ横に血管を浮き上がらせた白髪は、かなりお怒りのようである。
「……初級魔法を習っていました」
「……牢屋を移そうか」
初級魔法の単語にツッコミを入れることなく、ポムリアに制裁を加える白髪。きっと「脱獄できますよ!」なんて台詞も聞こえてしまっていたのだろう。
「……弱きものは蹂躙されるのがこの世界の掟。それに慣ってそこの鉄格子もポムリアに膝をついたんだ。何も文句など言うべきではあるまい」
……フィーナの、やけに厨二くさい反論。
そんなにも堅牢な牢屋に移されるのが嫌なのか、それともフィーナの本来のキャラだというのか。
つらつらとあんな言葉が出てくるということは、きっと後者であろうが。相手に馴れると素が出るタイプなのだろう。
大人しいイメージのフィーナがぶち壊された。
「……牢屋を移そうか」
「そうか……貴様がその気なら最早戦闘は回避できまい。ゴッド――痛い!」
攻撃を構えるフィーナの耳を引っ張って、慌てて止める。なんとなく王国から逃げ出した直後、フィオがフィーナの人格を出したがらなかった理由も分かってきた。
作戦もなしに戦闘を始めれば次々と増援が来て、こちらが不利になるのは目に見えているのだ。今は騒ぎを起こすべきでない。脱獄するなら、慎重に……狡猾に、である。
……いよいよ犯罪者っぽくなってしまった。
「……付いて来い、今すぐに移動だ」
***
――暗くて湿った壁には、ところどころに蔦なんかの植物が植生している。
牢屋だというのに入口は無く、四方八方をボロボロと崩れる土に塞がれていた。もちろん掘って脱出できるような硬さではない。ここに入れられた時だって、白髪が土を操って無理やりに穴を開けただけなのだ。
土魔法の類だったのだろうか?
すっかりポムリアが気に入ってしまった『ゴッドファイヤー』だって、意に介さないほどだった。
だから今は脱出の試みを一旦中止して、3人で作戦会議中なのである。
「そういえばフィーナ、白髪に向かってゴッドファイヤーを使おうとしてたけど、占い師って魔法使えるのか?」
「いえ、ただのハッタリですよ。せいぜい初級魔法しか使えません」
「お前な……」
涼しい顔で嘘を吐いていたフィーナは、ポムリアの頭ををずっと撫でている。
頼むから場所を変わってくれ。撫でる側でも撫でられる側でもいいから。
「それじゃあ今度は私から」
フィーナが撫でる手をそのまま上に挙げ、ポムリアをじっと見つめる。
「ポムリア。聞かなきゃいけないことは沢山ありますが、まずは私たちに言わなきゃいけないこと、ありますよね?」
そっと宥めるようにポムリアの顔を覗き込むと、目線を少しだけ逸らして。
「ご、ごめんなさい」
ぺこりと頭を下げる。
同時にケモ耳は丸まり、尻尾はへたりと床に着いた。少しの間、しんとした空気が漂う。
「事情があったのなら、私たちも怒りませんよ。なにせ勇者様が救けた人なのですから」
なんだこの天使の心。
フィーナの俺に対する謎の信頼感はどこから湧いているのか。にこりとした、優しい微笑みを見たら誰もが己の罪を懺悔してしまうことだろう。
ポムリアも例外ではないようである。
女神のようなフィーナの目を見るやいなや、すぐに口を開いた。
「あ、あの……指名手配犯を捕まえれば、一生遊んで暮らせると思ったので……」
「……フィオが怒るな」
「そうですね……。暫くは私のままでいましょうか」
苦笑を見せるフィーナの隣には、頭を下げっぱなしのポムリア。
よほどフィオが苦手になってしまったのか。それともフィーナに懐いたのか、肩をなでおろしたように、小さくため息をついた。
それではポムリアの件は俺とフィーナの善意によって不問ということで。
仕切り直しのために、パンっと手を鳴らし、
「本題に入ろうか。ポムリア、お前はこの国の者みたいだけど、俺たちの味方について後悔はないのか?」
「は、はいっ。ちょっとお金に目が眩んだだけで牢屋行きだなんて、早い者勝ちじゃないですか。それを街への反逆だなんて、こ、こんな都市、天井が落ちてきてしまえばいいですよ!」
早い者勝ちって。
俺たちを捕まえることを言っているのだろうか。
「世界の天井が崩壊する……終焉の訪れ……か」
「おいフィーナ、そろそろ本当にキャラが壊れるから。漢字で読んでもルビで読んでもイタい子になっちゃってるから」
と忠告したにも関わらず、片目を強く押さえつけるような仕草を見せるフィーナ。
そのまま仰け反って苦しむ姿も、絶対黒歴史になる。先駆者が言ってるのだ、間違いない。
「そ、それじゃあ作戦会議を再開しようか」
「そ、それよりもフィーナさんが! 何かに苦しんでますよ!」
慌てて立ち上がり指を指すポムリアを、俺はゆっくりと宥める。
「フィーナはああいう病気なんだ、仕方がない」
「び、病気!? ど、どうやったら治るんですか?」
「数年経てば自然と治るさ。一生のトラウマになるけどな」
一生のトラウマという言葉に絶句し、魂が抜けたようにへたへたと座り込む。
終いには、「舐めてあげたら治るかも」なんてよく分からないことを言い出した。
ポムリアの舌には治癒効果があるようだが、中二病の効果的な療法はまだ確立されていないんだ。
だから急に笑い出してゴッドファイヤーの練習を始めるフィーナも、暖かい目で見てあげるしかない。もうそっちのキャラ設定でいくなら、止めはしない。
――いや、むしろ止めることなど出来ようもない。
少女が少女の無防備な脇を舐めて、意図せずに擽っている、半百合状態を止めることなんて……俺にはできない。
「ポ、ポムリアっ、や、止めてくださ」
「いえっ、フィーナさんの病に少しでも治る希望があるとするのなら、ポムリアは舐め続けます!」
我慢できずに体を丸めて、むず痒さに耐えている。しかしポムリアは舌の動きを緩めることは無い。拮抗は続いたが、暫くすると、
――フィーナの絶叫が、密室の房内に響いた。
「……さて、そろそろ会議の続きをしようか。ポムリアのジョブを教えてくれないか?」
俺の中の何かが満たされて、肌がツヤツヤした頃には、フィーナもポムリアも限界であった。両者共にゼェゼェと息を切らして、四つん這いになっている。
ポムリアに至っては舌をつってしまったようだ。
「ひゃ、ひゃの……ひょ、ひょうひょうひれふ……」
「なるほど、調教師か……」
「なんで分かるんですか!?」
フィーナの疑問には答えるまでもない。
ロリの言葉をこの俺が、聞き取れないわけないのだ。
それにしても調教師……か。
名前こそアレだが、モンスターを一時的に仲間にして、強さの優劣によっては主従関係を結べるという、特異なジョブである。
なるほど、それならあれほどの数のゴブリンを操っていたのにも納得がいく。しかし脱獄という面では……。
「中々有用が難しそうですよね」
……また未来を読んできたのか。
いい加減思考を読む能力と大差ない気がする。
「す、すいません……」
申し訳なさそうにしゅんとするポムリア。
しかしその空気を察してか、フィーナはその手を取り、慰めようとしている。こうして見ると姉妹のようだ。
「ポムリア、落ち込むことはありません。こんな時は、力技が一番です! それじゃあポムリア、ご一緒に……」
「「ゴッドファイヤー!!」」
ポムリアの手の平からのみ、轟々と滾る火炎が放出される。
……前言撤回。フィーナは、この技が見たかっただけのようだ。
慰めようとなんか、してなかった。