第11話 3秒クッキング
「また牢屋か……」
「また牢屋なのですね……」
俺の言葉に、フィオがため息混じりの呼応をする。気の抜けたような返事はフィオにしては珍しい。口を開けば罵倒のコンボを繰り広げてくるからな、この子は。
しかしそれが、今は虚空を見つめて、放心してしまっている。何故か。牢屋に幽閉されているからという理由ではないだろう。
「フィオ、そろそろ落ち着いたか?」
「いや、思い出すだけでも吐きそうなのです」
激しく同感である。正直なところ俺ももう思い出したくない。
まさか一度ならず二度までも、垂直落下の恐怖を覚えることになろうとは考えていなかった。
つまりは、
「まさか風が吹き止むとはな……」
てなわけである。
ここが二次元世界の産物ならば、是非回想シーンを交えて語りたいものだ。
この国の玄関口であった上昇気流はどうやら自然に起こるものらしく、入国と出国はその気まぐれに左右されるようだ。
てっきり魔導師たちが地上から一生懸命に風魔法の詠唱を唱えているものだと考えていたのだが、的外れもいいところである。
とまあ、そんな気流様のきまぐれに見事翻弄されたということで、降り始めてから5分くらいのところでピタリと風は止んだ。そこからどこぞの遊園地のアトラクションのように10数メートル飛行したというわけである。
落下中、地下都市の蜂の巣のような家や、光の差し込まない天井を照らしてしまうくらいの密集した灯り、なんとも言葉にしがたいほどの幻想的な景色が目に映ったのだが、そんなものにいちいち感動している余裕はなかった。
なんとかオークの肥えた腹がクッションになって大事には至らなかったのだが、
「言わないでください、思い出すだけでも吐き気がって……おえっぷ」
おかげでフィオがこの有様なのだ。
「仮にもヒロインから聞こえちゃいけない音が聞こえたんだが」
「大丈夫なのです、かれこれ3日間は何も食べてないので、出てくるものはないのです」
引きつった笑顔で親指を上に突き立てる。
グッジョブのサインだが、吐瀉物を噴出しなければゲェゲェ言っていても問題ないのか。もはやヒロインであること以前に、女の子としてどうなのか。
まあたしかに脱獄してからというもの、俺もフィオも何一つ口にしていない。吐くものがないのもそうなのだが、当然腹は鳴った。
――不意に考えてしまったせいで、疲労がどっと溢れ出し、思い出したように倒れ込む。
エネルギーの供給無しにずっと走ったり、戦ったり……これがクエストだったならば先1ヶ月はニート生活を満喫できるほどの奨励を望んでも、バチは当たらないだろう。
……いやまあ、ジョブは遊び人なのだが。
「お腹へったですね……」
「そうだな……」
空虚な腹の音が牢屋に響き渡ると、二人の覇気がさらに損なわれた。
音が自らのスタミナを、腹から吐き出してしまっているようだ。
「そこに放ってある緑フードでも取って喰いますか」
冗談めいた言葉でありながら、空気が一転、ピリつく。
「洞窟の中では暗くて気づきませんでしたが、この子供、ゴブリンを操って私たちに剣先と矢尻を突き立てたでしょう。レンさんも気づいているはずなのです」
続けざまに緑フード――ポムリアを指差しながら、問い詰めるように俺へと目を向ける。
対してポムリアは寝息をたてて、絶賛お休み中だ。その緊張感の無さもフィオの琴線に触れたらしく、チラリと状態を一瞥するなり、いっそう雰囲気が重苦しくなった。
『お兄ちゃん』と呼ばれて思わず助けてしまい、そのせいで洞窟に行くのが遅れたなんて、口が裂けても言えない。
「しかもさっき、その子のことを心配していたですよね?」
トドメの一撃。
将棋で言えば、散々王手を刺された上でついに詰んでしまったような気分だ。そうなれば俺の打つ手はどこになる? このまま投了を決め込むか、無意味に足掻いて玉将に王手をし返すか、はたまた――
「そんなことよりもフィオさん、上を見てください…………良いお天気ですね。まるでフィオさんの美心のようだ……」
王将を盤外に逃がすか。
言わずもがな王将には盤外でもお構いなしに、盤内からのドロップキックと、思いつく限りの罵声が贈呈されたのだが。
***
――吹き抜けになっている天井からは、雲ひとつ覗かせることがない。だが晴天というには空はあまりに暗く、そして黄土色なのだ。
この都市の空というものは普段俺達が踏みしめていた地面なのだと理解してしまえば、納得がいくものであるが、何故柱が見当たらなかったのに落ちてこないのかは不思議である。
監獄の中にいることを忘れてしまえば、ファンタジーのど真ん中にいるのだという自覚が冒険心をくすぐる、良い気分と言えよう。
……こんなに悠長でいられるのも、監獄からフィオの力で脱出出来たという前例があるからだ。幸い今回も牢屋はごついだけの南京錠で施錠がしてあるだけだし、機を見計らえば簡単であろう。
となれば……問題はフィオである。
気を損ねてしまってからというもの、壁の方を向いて、ふて寝してしまったのだ。
フィオからフィーナに交代するタイミングは、眠りについてから直ぐであるはずなのだ。宿屋では俺がいなかった数分のうちに入れ替わっていたはずだから、実証済みである。
つまり今のフィオは狸寝入りで間違いない。
今すぐに脱出を決め込めるような状態ではないのだ。
「おいフィオ。脱獄する気がないのか?」
返事はない。
無視をするとは、いよいよ嫌われてしまったのだろうか。余裕があれば、脱獄がバレる前にこの都市を少し観光してみたかったのだが。
なにせ地下都市なんて夢のような場所だ。
どんな家の作りなのか、電気や水なんかはどうしているのか、興味は尽きるところを知らない。
「返事がないなら俺にも考えが――」
「や、やめてください!」
……フィーナだったのか。
声だけで簡単に聞き分けることができてしまう。同一人物だというのに声帯まで変化したようだ。
本当はこのまま反応が無ければ、くすぐって無理やり起こそうと思ったのだが。懐いてくれているようであるフィーナに対してそんなことをするのは、気が引けてしまう。
「私のうなじを視姦して、ゴクリと喉を唸らせる勇者様の未来が見えましたよ!」
「いや、うん。その……なんだ。その未来は無くなったことだし……」
「貴様幼女趣味だったのか」
いつの間にやってきたのか、白髪が鉄格子の向こうに姿を見せる。それにしても幼女趣味とは、心外である。もう少しオブラートに包んだ言い方があるだろう。
「夕飯を運んできたやっただけのつもりだったのだが。ポムリアのために貴様を独房に移す必要があるようだ。本当は使用人なんかにこの飯を運ばせる手もあったのだが、私が来て正解だったな」
おお、夕飯。
俺を移してやろうなんて話はどうせ冗談だろうからスルーするとして、少しだけ期待していた流れだ。
どうせ臭いムショのメシとやらなのだろうが、今の俺ではなにが来たとしても美味しく完食できる自信がある。
なにせ食事といえば、勇者として酒場で祝って貰った時以来だ。とりあえず味は二の次……え?
「なんですか、これ」
「見ての通り、卵だが」
「え、いや知ってるけど。バカにしてんの?」
フィーナの疑問に、さらに俺が上乗せする。
驚きなのはその量だ。
まったく調理の施されていない生卵が人数分、小さくて底の深い皿に置かれている。
それと瓶詰めされた牛乳が、格子の隙間を通って転がされた。
いっそこの卵を白髪の顔をめがけて投げつけてやりたい。……勿体無いからそんなことしないが。
そんな反応は気に留めることもなく、白髪は何食わぬ顔で去っていく。
こんなに腹が立つ経験もなかなか得られるものでない。ということで、今絶対に投げないと心に決めたはずの卵を白髪の後頭部に投げつける。
まあ結果は、
「貴様、私が温厚でなければ今頃は空腹に悶えてたぞ?」
と、キャッチされてそのまま投げ返されていたのだが。俺の顔面に着地した卵は意外と頑丈で、殻に少しヒビが入っただけだった。
まだ食べられると安心している自分が恥ずかしい。
「――これは、フィオちゃんなら上手く使えるんですけど……」
うまく使えるとはなんだろうか。
フィオがこの卵を錬金術の材料にでも使った上で、白髪に確実に命中する嫌がらせアイテムでも生成するのだろうか。
「違いますよ! 何考えてるんですか!」
……どうやら未来の俺はフィーナに質問していたらしい。やっぱり形はどうであれ、思考を読まれるというのはくすぐったい。
しかも返答に困るのだ。突然先手を打たれてしまっても、どう反応するべきかという考えがまとまっていないのだから。
言葉に詰まってしまう。
「ちょっとだけフィオちゃんに交代しますね」
そう言ってフィーナが取り出したのは、握りつぶされた跡がある、黄色い百合のような形の花。
すかさずトントンと軽く揺らすと、少量の花粉が出てきた。花粉症である俺は、慌てて離れる。しかし何を思ったものか、フィーナはそれを鼻からモロに吸い込んだのだ。
いくら花粉に耐性があるとしても、わざわざそれを体内に入れるなんて正気の沙汰ではない。
あまりの痛々しさから「ちょっ」と自然に口が動く。しかしその声が届いたのはフィーナではなかった。
「……こんなことで起こさないでくださいよ。生卵くらい直接口に放り込めばいいでしょう」
なんてワイルドなセリフ。
眠ったようには見えなかったが、どうやら今の花粉には睡眠作用があるようだ。やはり吸い込まなくて良かった。
……それにしても便利な花があることですね。
「いや、久々の食事が生卵と牛乳って。ケーキかよ。ケーキ作れってか」
「作りますか?」
冗談だったつもりなのだが。
卵と瓶詰め牛乳を両手に1つずつ持ち、なにやら唱え始めた。
体力の消耗が激しいから錬金術はあまりしてほしくないのだが、少しだけ結果が気になってしまう。本当にケーキが出来るのか。
様々な工程をすべて無視した上でケーキを数秒で作ってしまうのなら、是非とも全国のパティシエの方々に謝ってほしいくらいである。
「おおっ!」
と、思わず感嘆の声が漏れる。
いつの間にか、牛乳が入っていたはずの瓶はカラになってしまっていたのだ。きっと卵の中身も消失したのだろう。
そして目の前の卵が入っていた皿には――ケーキだ。
誰がなんと言おうとケーキである。
スポンジや苺はどこから出したんだよと、ツッコミどころは多々あるが、皿の大きさに見合わないくらいのホールケーキが置いてある現状に、俺はとにかく目を光らせた。
「お、俺の分も作ってくれませんかね……」
機嫌のこともあり、少し下から物を言う。
この世界でケーキなど、そうそうお目にかかれるものではないのだ。それこそ王族、貴族のおやつと謳われる高級菓子に位置づけられているから。
現世でもそれなりに値が張っていたが、その比ではない。
今逃してしまえばもしかしたら二度と再開は望めないかもしれないのだ。
しかし錬金術というものは何気に燃費が悪いものである。てっきり断られるとばかり思ったが、
「ちょいと待ってくださいね」
と、快い返事を得られた。頭が割れた卵と、栓の開けられていない牛乳を手に取ると、再度詠唱を始める。
なにがフィオを乗り気にさせてくれたのか。やはり宿で身を呈してフィオを逃がしたのは高評価だったのだろうか。あの時の俺はなかなかイケてたからなあ……。
「はい、完成なのです」
「……なんですか、これ?」
「ゴプリンですよ? まさか食べたことないですか?」
いや、それは知っているのだが。
目の前に置かれたのは、ゴブリンを象った気色の悪いプリン。
そのリアルな造形に子供が泣き叫ぶ、ネタ商品という悲惨なレッテルを貼られた、いわゆるゴプリンであったのだ。
「あ、いやー、フィオさんと同じケーキが食べたかったなー、なんて……」
「私だってこの間だけで2回も錬金術を行ったです。ふらふらなので後はフィーナに任せます」
「ご、ごめんなさい……」
むくれるようにフィオは横になってしまった。今度は花を使わないで眠りにつくところを見ると、フィオは寝つきがいいのか。
ん、いや、まて。
これって俺が謝るべきことなのか? たしかに生卵よりかはこのゴプリンのほうが食欲は……あ、削がれるわ。
やっぱり確信犯だろ、この子。
「あの……わ、わたしの夕ご飯って……」
ケーキにがっつくフィーナを横目に、諦めてゴプリンに手を伸ばす。
しかしいつの間にか起きてしまったポムリアに、その腕を揺り動かされてしまった。
そしてその純真無垢な目は、残った生卵と俺が掴むゴプリンを、交互に忙しく見比べている。
おい、やめてくれよ。そのうるうるした目を俺に向けないでくれ。
助けを求めるようにフィーナの方を向くが、首を振っては申し訳なさそうな表情をするばかりだ。だったらそのケーキを分けてくれよと思うのだが。
フィーナのジョブは占い師であるから、ケーキを作ってくれと懇願しても仕方がない。
「ああっ! もう、幼女の好だからな! 今回だけだぞ!」
と、ゴプリンという名の茶碗蒸しをポムリアに差し出すほかなかった。