第10話 一を覚え二三を課される
「また牢屋か……」
「また牢屋なのですね」
薄い灰色で塗り潰された壁が3方向を囲み、残りの1面を頑丈な鉄格子で蓋する。
バビロニア王国で殺されかけた死刑囚牢よりも余程面積があり、天井はここも鉄格子に覆われながらも吹き抜け。青空が見えるようなことはないのだが。
正直洞窟で寝泊まりするよりかは過ごすのに適した環境と言えよう。
なによりフィオと同じ牢屋だし。
――何故こんなことになったのか。
時はフィオと洞窟で再会した頃に遡る。
***
岩壁に張り付くファンタジー感丸出しの光るコケや、如何にもな見た目のキノコを眺めながら。奥へ、奥へと言う事を聞かない足をひきずっていた。
……なぜだか俺のことを殺しかけたオークと、右足に深い傷を負わせた白髪と一緒に。
意味不明である。何が悲しくて己の仇と洞窟に入り、今にも冒険を始めそうなパーティを形成しなければならないのか。
しかもメンバーの1人はオークだし。
まあフィオが言うには、これから俺たちは白髪の国に捕えられて、バビロニアとの交渉の道具にされるという。それなら納得がいくが、その割には白髪もオークも先頭をずんずんと進んでいく。
こいつらに逆らって引き返すことが出来ないのは重々承知済みだから、一矢報いてやろうなんて気は起きないが。
足を止めるようなことがあれば今度こそ致命傷が突き刺さるかもしれない。俺はともかく、フィオにまで攻撃が及ぶのは勘弁だ。
……いや、そうだ。最も不可解なのはそのフィオだった。
「お前……なんだその格好」
「こっちが聞きたいくらいなのですが」
「恐ろしく布面積が少ないな」
「言わないでください。仕方がないでしょう、これが入国に相応しい正装だと白髪が言うのですから」
フィオが服装について詮索されるのが嫌ならこれ以上無理に口に出したりしないが、それにしても、白ビキニに薄紫色の透けた布を被せただけってのは……。
まあ一言で言い表すならば天才である。RPGの踊り子を彷彿とさせるデザイン。男のロマンが大々的に詰め込まれているのだ。発明した人は天才に違いない。
どちらかというとスク水派俺でさえ、これを見るとビキニも悪くないなと思えてくるのだから、違いない。
「あまりジロジロ見ないでくれなのです。気持ち悪い」
……コホン、確かに。紳士の心を忘れてしまっていた。自分のことながら情けな――
「いや、こんなチャンスなかなかないからな。ゆっくり拝ませて――」
思わず声に出してしまったことを後悔する前に、飛んできたのは俺の腹を目掛けたドロップキック。見事なまでに腹筋を叩き割り、地に沈めた。
「ず、ずみません……」
手を貸してくれる様子もないフィオを尻目に、立ち上がるため腕を地面に突き立てる。微妙に湿っていて気分が悪いものだ。
だが右足が働かない今、身体を上げる術はこれしかない。
三本足でないと上手くいかないなんて、情けなさの骨頂である。みっともなさを承知しながら、両手と左足に、瞬間的に力を込め。
「って、は――」
疑問の答えが出る前に、身体が地面に沈む。
いや、違う。地面が抜け落ちた。
綿毛のように浮いたかと思えば、続いて訪れるのは、力の矛先を失くした重力。
落ちる身体に臓器は追いつかず、狭い体の中で上へ上へと追いやられる。どんな深さの落とし穴かなんて分からないはずなのに、煩く首周りを駆け巡る血流が、確実な死を予兆しているようだった。
予想を否定し、捨て去るため、いや、確信に変えるためだったのかもしれないが、頭を回して今から行き着くであろう、底を見下ろす。
しかしそれは想像していたような深穴や針山などでなく。
代わりに姿を見せたのは、溢れるほどの光と……都市。まさしくそこには、大都市と呼ばれるものがある。
「レンさん!」
と、遅れ気味のフィオの声。
同時に、無意識に上がっていた左腕を掴まれた。止まった息を吹き返すが、真下に広がる光景を目の当たりにしては、踏みしめていた地面を再度見ようなどと思えない。
宙ずりになりながら、目を見開いて、崩れ落ちた地面が落下していくのを追っていた。
「大丈夫なのですか!」
言葉に、やっと我に返る。
腕を掴まれても尚意識が蚊帳の外にあったのだが、途端に恐怖が押し寄せてきた。
「あ、ああ……ありがとう、助かったよフィオ……」
礼を言いつつ顔を上に。
そこにはニヤついたオークの顔面と、踏ん張る様子も見られない、余裕に満ちた片腕が見えた。
「お前かよ!!」
絶叫した俺の声が、洞窟内に響く。
何を思って俺を素直に助けたのか。ついさっきまで殺しあっていた間柄だというのに、力強く上へ引っ張られて洞窟の地面へと着地する。
「その……なんだ、ありがとうな」
ポリポリと頬を掻きながら、一応礼を。
ニヤついた顔が、頭頂部から花でも生えてきそうなほどに明るい笑顔となった。なんだこれ、意外と可愛い。
……と、しかしそんなことで気をそらせようもない。疑問が処理しきれず、脳内で飽和している。
隣では漏れでる光に勘づいたフィオが、俺が落ちた穴を覗き込んで絶句しているようだった。
「おい白髪。なんだよこれ」
「……すぐに分かる」
質問を受け流すと、奴は指揮者のように手を振りあげ、掌をゆっくりと握った。
それに呼応するかのように、穴は周りの土をかき集めてみるみるうちに塞がっていく。眼下でフィオが「ああ……」と残念そうな声を出した。
***
「あ、そういえば、オーク……さん。ケモ耳の女の子って……」
なんとなくモンスター相手に敬語を使ってしまった。こんなとこがコミュ障の称号を携えてしまう由縁なのだろう。
「オークに言葉が通じるわけないじゃないですか。てかケモ耳の女の子ってなんですか、浮気ですかレンさん」
浮気とは……フィオから意外な単語が飛び出た。ここはからかい混じりに、
「なんだ、妬いてるのか?」
と返答を。
「は、なんですかそれ?」
「あ、ごめんなさい……」
確かにここらの発言は軽率だった。
布面積が少ないとか。オークとフィオの手の感触を間違えたりだとか。特に2つ目は酷い。
ここらで少し好感度を上げておこうか。
「……ん? フィオ、耳赤いぞ。寒い中ずっと外に居たから風邪ひいたのか?」
「ああー! もう、少し黙ってくれなのです!」
フィオの顔を覗けば、耳だけでなく全体がほんのりと赤く染まっていた。
……やはり風邪のようだ。むくれた顔は綻びを見せないが。
まあこれ以上導火線に触れるようなことをしていては、フィオが疲れてしまうだろう。ここはフィオの言う通り黙って……
「なんでほんとに黙るですか」
「女ってメンドくせー!!」
心の底からの叫び。
なんなんだよ。黙れって言ったくせして従ったらそれを否定する。どうせ無視して話し続けたらそれを指摘されたんだろ?
いやまあそんなところも可愛いけどね?
でもこれが美少女じゃなければ殴ってたよ。理不尽極まりないもんな。
「なんですか、めんどくさいって!」
「まてまてフィオ、論点をずらしすぎじゃないか。俺は始めケモ耳の女の子の話をしていたんだ。とにかくその子のことについてはっきりさせよう」
我ながら良い切り返し。正論のど真ん中を突いている。
「もういいのですよ。レンさんなんか知らないのです」
そう言うとフィオは、もともとむくれていた顔をさらに膨らませて口を閉ざしてしまった。
おおう……やっぱり全然分かんねえ……。
乙女心は俺の手にあまってしまうようだ。これだけ難関なものなのならば、義務教育の教科の一つにメンタリズムでもいれてしまえばいいと思う。
「……話は終わったか?」
「……なんだよ横から」
「いや、質問に答えてやろうと思ったのだが。ポムリアならほら、そこに」
やつの指差す方向は、オークの背中だった。ぴったりとケモ耳少女――ポムリアが張り付いている。まるでおんぶされる子供だ。
とりあえずは無事みたいでよかった。てかポムリアって名前なのか。
「あ、そういえば白髪。何故俺がオークと対峙していた時、俺を捕えなかったんだ?」
白髪に洞窟で補導されてから、ずっと気になっていたことだ。
どうせ捕まえるつもりだったのなら、戦闘した時に、身を拘束すればよかったはずだ。俺がここに来てしまったのはたまたまだと言えるし……。
対して白髪は、それは……といいかけて、口を噤む。なにか言いづらいことでもあるのか。
咳払いを挟んで、仕切り直している。
「それはお前を追う必要がなかったからだ。ほら、着いたぞ」
「は――」
疑問符を掻き消すように、数メートル先の行き止まりとしか思えない大穴から上昇気流が発生した。
一番前方にいる白髪の細い髪の毛が、たなびくように揺れている。俺の少ない前髪も重力を押し切って、上へと流さたようだ。
そして俺が落ちた穴と同様、漏れ出る光が柱を造っていた。今さっき建設されたトラウマのせいか、呼吸が荒くなる。
「……なにか勘違いしていたようだが、お前は指名手配犯などではない。捕える理由など、お前がフィオラの居場所を王国に告げ口するのが心配なだけだ」
「……は? 俺が指名手配されていない? それにフィオラって――え、いや」
振り向いて見下ろすと、俯いたまま黙りこくるフィオの姿が目に映った。
疑問の答えを得たはずなのに、新たな疑問が積み重なってゆく。1つ解決したら2つ投げかけなきゃ気が済まないのか、この世界は。
その降り注ぐような、探究心が擽られることにもほら、
「……話したくないのです」
正解が発表されることは無さそうである。
本当の名前だと思われる、フィオラという呼び名も使うのは止めておこう。
「余計なことを口走ってしまったか」
「早く進めなのです。ちんたらしていると逃げるですよ」
「ここからは私が最後尾になるものでな。お前達がさっさと飛び込むことだ」
……飛び込むなんてそんな無茶な。都市がどれだけ深いところにあったか俺もフィオも知っているんだ。
しかし白髪の言葉をきっかけに、前にいたオークが大穴を目がけて走り出した。ポムリアを背中に乗せたまま、パラシュート無しのスカイダイビングを――。
オークの巨体が浮いている。目の前で起きている光景が信じられず、思わず目を擦って見つめ直すなんていう、漫画のような行動をとってしまった。
そんなにも気流の力が大きいものなのか。
もはや自然現象だとは思えない。
もしかしたら、浮くという言葉には語弊があるかもしれない。正確にはヘリウムの入っていない風船のように、ゆっくりと沈んでいっているのだから。
「これは……オークにしがみついて降りろってことか?」
「まあそれでもいいが、泳いだ方が効率がいいぞ。ともかく早く降りろ。お前らが行かないことには私も進めない」
おお……空気の中を泳げとは、地底都市は入国の仕方もファンタジーなのか。そういうのに疎かったバビロニア王国も見習って欲しいくらいだな。
まあ怖いからオークに掴まるけどね。
意を決して、穴のど真ん中に向かう。台風のような風を顔面に受けながら覗き込むと、やはり見えたのはきらびやかな都市だ。
数メートル下にオークとポムリアがふよふよと降りていく様子が伺える。
この境界線をまたげば捕まるのだと分かっていながら、沸き立つ興奮が歩む足を止めようとしない。
そのまま倒れ込むように――俺とフィオは手を繋いで身体を投げた。