第9.5話 無計画な入れ替わり
6話、レンとフィオが分かれてからの続きです。
フィオ目線になっています。
走っている。
風景が歪むほどに走っている。
後ろではレンさんが、見えない釣竿でゴブリンの視線を釣っているかのように引き連れている。
レンさんを囮にして、自分だけ悠々と助かろうとしているのだ。
後悔が襲ってきている。でも振り向くわけにはいかない。勇者がカッコイイところを見せようとしているのだから、私は黙って期待しなければならないのだ。
しかしそれは見捨てたことと同じなのだろうか。どの選択を採っても全てが丸く収まるということはなさそうだ。気持ち悪い。
誰が追ってきているわけでもないのに、必死に息を切らしているのは何故だろう。見えない力に強制されているような、そんな感覚。
目を後ろにやるなんてことは、最早不可能なのだ。
救われるために置いていかれる。人生で2度目の経験だ。
1度目は思い出したくないほどに最悪の結末だった。しかしそれが、私の生活に延々と纏わりついてくる。
起き上がる時と、眠りにつく時。私の特性がはっきりと現れるのはそのためだ。父は原因を隠したがっているようだったけど、幼い目にも理解できるほどにこの物語は単純だった。
だから心配なのだ。
形こそ違えど、似た道を進んでいく田中蓮が。
「この道しか辿れないですか。勇者という存在は」
言葉とため息が、自然と零れてきた。
きっと焦燥からくるものだろう。ゴブリンに追われているかもしれない、なんて確かな理由ではない。まだ決定していない未来に、繰り返されるかもしれない恐怖を覚えているのだ。
……もう止めよう。
これ以上考えを捏ねていても解決に至るわけではない。むしろ気分が悪くなるだけだ。
今はとにかく、目の前の問題に集中しよう。レンさんに伝えるのも、これが解決しなければどうにもならない。
そうだ。手足を振り続ければいいだけの話だ。目線を上に向けて……。向けて……あれ?
「ここ……どこなのです?」
目の前にはどこまでも続くような木々が颯爽と生い茂るだけで、自分がどうやってここまで走ってきたのかも分からない。
考えてみれば当然のことだ。
偽ゴールドを生成してから宿につくまで、かろうじて意識はあったもののずっとレンさんの背中だった。来た道なんて知っているはずがない。
「……レンさん、作戦が甘すぎるのです」
まあそれはこの状況に陥るまで気づかなかった私にも当てはまることなのだが。
まずい事になった。これでは洞窟で落ち合うどころか、ここを抜け出せずに行き倒れなんてことも有り得る。
…………いや、迷子じゃないですよ? そんなに子供じゃないのです。
迷子は誰かに助けられるものであって、その点私は違います。自力で脱してみせるのです。
秘策があります。
することがまとまれば、どや顔をかましながら決めポーズ。
次の瞬間には木のうろにおしりを突っ込み、肘を膝に突き立てて項垂れた。傍から見ればどこかで見たことのあるような彫刻のような格好なのだろう。
まあそんなことは気にとめない。
数秒後には既に私じゃなくなっているのだから。
「交代なのですよ、お姉ちゃん」
意識の細い糸が途切れたと思うと、別の意識――私の意識が顔を覗かせます。
私たちの五感は常に共有されています。
文字通り、常にです。フィオちゃんが寝ている時も、私が寝ている時も。
体験してみないことにはどんな感覚なのか理解するのが難しいと思うのですが、強いて言うなら明晰夢みたいな。
まあフィオちゃんが動いている時に私の意志が干渉することはできないんですけどね。会話もお互いにすることができません。けど記憶の共有はできます。
例えば……そう、今森の中で迷っているからフィオちゃんが人任せにした、とか。
怒ってますよ? めんどくさい事だけ押し付けてくるんですから。
でもそんな感情は吹き飛んじゃったみたいです。
聞きました? フィオちゃんが「お姉ちゃん」って呼んでくれたんですよ。
最近じゃめっきり呼んでくれなくなってしまったというのに。不意打ちなので顔が染まりそうです。
お姉ちゃんと呼ぶのには少しの抵抗があるみたいで……私はそんなこと気にする必要ないと思うんですけどね。
「もっともっとお姉ちゃんって呼んでいいんだよ?」
フィオちゃんに聞こえるように、言葉にしました。これで少しは私の思いが伝わったでしょうか?
……おっと、今はそんなことしている場合じゃなかったですね。
この森から脱出してレンさんと約束した洞窟に向かわなきゃなりません。そのために占い師の私に交代したのです。
しっかりフィオちゃんの期待に応えないと!
***
……と、はりきったのはいいものの……。
どうするべきかと思案する時間が長く続いています。もう小一時間は悩んでるのではないでしょうか。
占いをして正解の道を導き出そうにも、それらしい占いは出来ませんし……。占い師にマップ検索機能とかついてたらいいんですけど。
フィオちゃんも私の能力の限界を考えずに交代したのでしょうか。いや、計算高いフィオちゃんにとってそんなことは有り得ないでしょう。
それじゃあ……そもそも私の能力を把握してない? ……こんなに長いこと一緒にいるのに?
やっぱりそれも無いですね。
なにかを見落としているはずなんです。
こういう時、一度フィオちゃんに交代してもらって答えを発表してもらえればいいのですが……。
生憎私、寝つきが悪いんです。
フィオちゃんのように、交代したい時に自由に寝られるなんてことは出来ないんです。
つまり、与えられた道は二つに一つ。
このまま解決の糸口さえ掴めない問を模索し続けるか、夜まで暇を潰して眠気を苛ませるか。
まあ後者はレンさんが早く着いていたら困りますから、難点が浮き彫りになってしまっていますけどね。
結局考えるしかないのでしょうか。
私、頭使うのがあんまり得意じゃないのに……。
「フィオちゃあん……ヒントでもちょうだいよおぉ……」
……まあ反応してくれるわけないですよね。
聞こえてることには聞こえてるはずなんですが、なかなかどうして声は聞けない。私ももどかしいですが、きっとフィオちゃんももどかしいはずです。
……一度寝るのに挑戦しましょうか。
いや、どうしても頭を使いたくないなんて思ってないですよ? 私は眠気のねの字も見えないのですが、体はフィオちゃんがこき使ったので憔悴しきってます。上手く行けば直ぐに眠りにつけるかもしれません!
ということで早速、同じ木のうろに腰を下ろし、目を瞑ります。
次にすることは、心を落ち着けて、水に沈んでいくように脱力――。脱力――。脱力ってどうやるんだろう?
「……無理みたいですね。分かってました」
何も考えないようにすると、何も考えてはいけない、ということが頭に浮かんできます。はい、無限ループの始まりです。
きっと他にいい方法があるでしょう。
何も見ることが出来ないというのも、退屈なものです。まあまだ数十秒しか経っていませんが、もう耐えられそうにないので開けてしまいます。
それでは次の選択肢を――
「ふぇ?」
予期せぬ出来事に、思わず間抜けな声が出てしまいました。どうやら森から脱する術を考えられる暇はないみたいです。
開いた眼に始めて飛び込んできたのは、岩石で作られたような迫力ある巨体。常にどこがが小さな土砂崩れを起こしています。
覗き込んでくる顔のような部分は乱雑に彫刻されたのか、はっきりと顔のパーツと認識できるものは無いです。
いつの間に、どこから私の側へとやってきたのか。でもこれだけは確信できます。自然から生まれるとは考えにくい風貌、これはモンスターじゃありません。誰かが作り、命を吹き込んだ『人形』です。
それにしてもまじまじと見つめてきますね……。眼球が見当たらないのでどこを向いているのか、正確な箇所は分かりません。しかしなんとなくむず痒い。そしてなにより怖いです。
このまま動く気配がないなら逃げ出してもいいのでしょうか。
うん、いいですよね。逃げるが勝ちだってレンさんも言ってましたし。
ここは思い切ってダッシュ……ん? え? あれ、嘘でしょ?
「おしりが、はまっちゃってる……」
さあぁーと、顔から血の気が引くのを感じます。脱力しようとして、腰まで吸い込ませてしまったのが原因でしょうか。
なんにせよ、一言で言えばピンチです。いっそのことフィオちゃんに任せてしまいましょうか……あ、寝れないんでした。
まさに八方塞がりというやつですね。物理的に。ついでに両手も木のうろに突っ込んでしまっています。幹に手をついて踏ん張ることも出来ません。せめて木の奥まで手を伸ばすことができれば……。
ん? これなんでしょうか?
綿のようにフワフワしていて、しかし叩くとバネのように形を戻します。姿は見えませんが変なものを触ってしまったようです。
「って、きゃっ!」
自己防衛をするように、今触っていたものがザラザラした砂を発したようです。
間髪入れず木の隙間から所狭しと……花粉のような、黄色……い……。
「うう……すぅ……」
フィーナの意識が遠ざかり、またもや私、フィオの登場です。まだ1時間も休めていないのですが。
いやそれよりも、
「…………なにやってるですか、フィーナ」
「……それを聞くのは私の方だ。何をさっきから一人でブツブツと」
誰だ!?
私が顔を出した途端に現れるのは、白髪の男。その背後には石人形の倍ほどもあるオークと、その手に握られた少女が見える。少女は項垂れていて意識がないようだが。なんともアンバランスなパーティだ。
男の声は横から栞を挟まれたように、間抜けていた空気をリセットして、張り詰めたものにした。息が止まりそうだ。
「誰ですか貴方。強引なナンパは嫌われるですよ」
「特にお前が私のことを知っている必要はない。私がお前の存在を確信できれば問題なのいのだ。間違い無いだろう、お前は……フィオネ=バ――」
「どこの誰だか存じませんが、その名前では呼ばないでくれなのです」
冷たい声に押し潰されないよう、こちらも思い切った声を出すよう努力した。態度も同様だ。
見くびられないように睨む。
「……まあいい。その反応ならば間違いはないようだ」
「解釈はご勝手に」
ふん、と鼻を鳴らし、舐められた態度に対して嫌悪感を顕にする男は、石人形の背中を叩いた。
「連れていけ」
と、ただ一言だけ声に出されたが最後、それ以上抵抗することは許されない。石人形は無理矢理に私の体を木から引き剥がすと、まるで土木工事の作業員かのように肩に担いだ。
扱い方は荷物である。
そのまま連れられた先は、洞窟だった。目的地に到着した途端、石人形は音をたてて崩れ去る。
ここはレンさんと一度来たことがある。つまりは合流場所だ。
都合が良いのか悪いのか。まあ良くはないだろう。なにせこの男に主導権を握られているのだ。そこに私がどうこう言えるような余地はない。
「で、私をどうするつもりなのですか」
「幽閉し、バビロニアとの交渉への道具、はたまた借りを作るのに使わせてもらう。お前も大人しくするのに越したことはない」
無味乾燥な言葉を吐き捨てる、感情を感じさせないほどに無表情な顔はまっすぐ私の目を見つめている。
そこはかとない威圧が私に影を被せているみたいだ。だが私とて表情を揺らげないのは同じこと。逃げ出す隙を見つけ出すまで、質問は途切れさせない。もちろん情報収集も念頭に置いてのことだが。
特に一国の王を相手に交渉できるとなれば、この男はただ懸賞金狙いの一般人とは言えないだろう。
「幽閉って、この何も無い洞窟に? いささか無理があるのではないのです?」
「いや、もうじきに分かる。だがお前の服装、入国には相応しくないな」
そう言うや否や、汚らしい囚人服をひん剥かれた。少女への陵辱を疑うが、そんな色を見せる気配はない。もはや興味がなさそうに、作業をするように囚人服を投げ捨てる。
その顔を目前にしてしまえば、なにするんだ、などといった非難の言葉は出てこなかった。
「服は身を清めてから渡そう。そこの湧き水にでも浸かってくるといい」
昨夜風呂に入ったばかりなのだが……なんて言い訳は効かなさそうだ。言われたとおりに男の指さす湧き水へと向かう。
場所は洞窟の入り口付近である。チャンスがあれば逃げ出せる可能性も無きにしはあらず、だ。
ガコッ、ガッ、ボロボロ……
湧き水へ向かう矢先、突然目の前に別の石人形が現れたと思うと、それが直ぐに崩れ出す。ちょうど私が乗せられた石人形と同じようなところでだ。
舞う土煙の中から出てきたのは……ああ、やっぱり。
「最悪のタイミングでの主人公の登場ですね」