転落橋
「ここが噂の橋か」
いわくつきの場所というのは全国各地に存在する。
眼鏡をかけた青年が足を踏み入れようとしているこの橋も、そんないわくつきの場所だ。
山間部の谷間にかかった一本の吊り橋。木製でレトロな印象だが、ワイヤーなどで補強されており安定感は十分。ただし橋の幅は狭く、対岸から来る人間とすれ違うのは難しそうだ。対岸に人がいる場合は、どちらかが渡り切るまで待つ必要がある。
12メートルほど下には流れの早い大きな川が流れ、河原にはごつごつとした大きな岩が点在している。どちらへと落下しても無事では済まないだろう。
この橋はオカルトマニアたちの間では「転落橋」と呼ばれ、その名の通り過去に数件の転落死が発生している。
最初に転落死が確認されたのは4年前。自身の所有する山小屋へと向かっていた高齢の男性が河原へと転落し死亡した。
当時は晴天で風もほとんど吹いてはいなかったが、被害者が高齢ということもあり、不意にバランスを崩し転落したのだと結論づけられた。
二件目の転落死は3年前。橋の点検へと訪れていた30代の男性作業員が川へと転落。翌日、川下で遺体が発見された。やはりこの日も天候に恵まれており、30代とまだ若い男性が誤って転落するとは考えらない。また、男性は公私ともに順調で自殺をするような理由も無かった。オカルトマニア達の間でこの橋が話題に上るようになったのもこの頃からである。
三件目の転落死はに2年前。近くのキャンプ場に遊びに来ていた二人組の若い男性が共に河原へと転落し即死。雲行きは多少怪しかったが、やはり誤って転落する程の天候ではなかった。
この一件を機に、この橋は危険な場所だと本格的に認識されるようになる。キャンプに遊びに来た若者二人が自殺するとは思えないし、二人ともバランスを崩して落下したと考えるのも少し無理がある。
これら三つの事例が揃ったことで転落死にはある共通点が見つかった。
全ての転落死が7月14日に発生。それ以外の日に橋を渡った人には何の異常も起きてはいない。
決まった日にだけ起こる謎の転落死。オカルト的な要素は十分であった。
そして四件目の転落死は昨年の7月14日に発生。「転落橋」の噂の真相を確かめるべく一組のカップルがこの場所を訪れ、男性が川へと転落し死亡。怖いからと橋へ足を踏み入れなかった女性は難を逃れた。
後に女性は恋人が転落した際の状況を証言しており、男性は橋の中心までいったところで血相を変え、慌てて引き返そうとしたが、突然絶望したような表情で立ち止まり、そのまま誰かに投げ落とされたかのような不自然な体勢で落ちていったのだという。
以上、計四回。この橋では不自然な転落死が発生している。
そして今日は最後の事故から1年が経った7月14日。
「ただの吊り橋に見えるけどな」
眼鏡の青年は、恐る恐る橋へと一歩足を踏み出す。
好奇心旺盛なオカルトマニアである眼鏡の青年は、自身の目で真実を確かめるべくこの「転落橋」までやってきた。これまでにも様々な心霊スポットやいわくつきの土地を訪れて来たが、今のところは霊的な現象に遭遇した経験はない。
初めて霊的な体験を出来るのではという期待を胸に、青年は歩を進めていく。
橋の中頃まで来たところで一度立ち止まり、下方を覗き込んでみた。
「これは、落ちたら痛いじゃすまないね」
高い所は平気だが、もしも落ちたらと想像すると流石に背筋が冷える。死を想像させるには十分な高さだ。
苦笑いを浮かべながら青年が面を上げると、、
「えっ?」
対岸に血まみれの女が立っており眼が合ってしまう。
突然のことに青年の思考は追いつかない。下を覗き込んでいたのはほんの数秒間だけ、それまではあんな人物はいなかったはず。
――まさか、幽霊?
よく見ると女は血まみれなだけではなく、首や腕が不自然な方向に折れ曲がっている。とても生者とは思えない。
女が霊的な存在だと、瞬時に悟った。
『落ちろ! 落ちろ! 落ちろ! 落ちろ!』
「うわあああ!」
唸り声を上げた血まみれの女が、鬼のような形相で青年目掛けて駈け出してきた。
捕まれば自分もこれまでの犠牲者と同じ結末を辿ってしまう。
死の恐怖を感じた青年は慌てて身を翻し、元来た道を戻ろうとするが、
『落ちろ! 落ちろ! 落ちろ! 落ちろ!』
――そんな……
絶望感に打ちひしがれ、青年は足を止めてしまった。自分が元来た側からは、血まみれの男がこちらへと向かって駈けて来ていた。この橋はすれ違う余裕も無いほどに幅が狭く、挟み撃ちにされてしまったら逃げ場など無い。
この瞬間、青年の頭の中で全てがつながった。
挟み撃ちにされてしまったから、カップルの男性は足を止めてしまったのだ。
霊が二体いるのなら、キャンプに来ていた若者が二人同時に落ちたのも納得出来る。
――みんな、こいつらに落とされたのか……
確信すると同時に、青年の体は橋から放り出されていた。
了
逃げ場の無い恐怖をテーマに一作書いてみました。
一応は橋に現れた二人組の幽霊に関する設定も考えてはいたのですが、正体不明のままというのもホラーっぽくっていいかなと思い。正体については触れないことにしました。