8 今日はナポリタンの日だもんね
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――昨日、大阪市○○の河原で絞殺された男性の死体が遺棄されていた事件で、現在県警では暴力団の男数名が死体を遺棄したとして疑いを強めています。なお男性の身元については死体の損壊が激しいため、現在DNA鑑定をしているところですが、身につけていた衣服や装飾品から、先月六本木で起きた暴力事件の関係者ではないかと見て調査を行っています。
番組司会者がイラストボードを使い、被害者の様子を解説し始めた。
「こちらが亡くなった男性が身につけていたイルカ型のピアスです。先月の六本木事件のバーで防犯カメラに映っていた男性のものと非常によく似ていて」という説明のところで、葉菜がテレビの電源を切った。
モーガンが我が家にやってきて一週間。相変わらずわたしにとってハムスターなんて台所の裏を駆け回る鼠の一種でしかなくて、回し車のカタカタという音を聞くたびに目を背けるような生活を送っていた。せっかくナポリタンの脅威から逃げたと思ったら、今度はこんな小動物に頭を悩ませるなんて。しかも今度は自宅。
これまで葉菜に世話を任せっきりだった。でも、わたしだってこのままじゃいけないってなんとなく思ってる。葉菜もずっと家にいるわけじゃないし、そうなったときわたしが何も出来ないじゃ、この子がかわいそうだ。苦手だけど、死なれちゃうのも後味が悪いし。
葉菜はテレビを消したっきり、手元の楽譜を眺めていた。彼が置いていったギターケースのポケットに入っていたものだ。横から盗み見ると、楽譜には歌詞が添えられていた。
「永遠を誓ったきみが、何も言わず去っていく」
口に出して読んでみる。葉菜が振り返り目を細めて笑った。
「だっせえ歌詞だよね。マコトちゃんって作詞センスないのかな? ねえ、これ本当にマコトちゃんが作ったんだよね」
「マコトくんが作った歌かは知らないけど、彼がくれたことは本当だよ」
へえ、と言って葉菜はギターを膝に乗せた。慣れない手つきでピックを握り、一弦をぽんと弾いた。部屋の空気中に、雑音じみた音が浮き上がる。
「弾き方、ぜんぜん分かんないや」
「頑張りなさいよ。その曲が弾けるようになるまで」
ひまわりの種をつまんだ指を震わせて、モーガンの顔に近づける。鼻をひくひくさせるのを見ただけで、わたしは思わず手を引っ込めてしまう。
「そだね」でたらめに、いい加減に、しかし楽しそうに彼女は音を鳴らしていく。「弾けるようになって、メロディまでだせえって、証明してやる。マコトちゃん、最初から最後までださかったねって」
モーガンは名残惜しそうに、ひまわりの種を見上げた。深呼吸をする。もう一度近づけると、今度は機敏に近寄ってきて、熱心にわたしの指を嗅いだ。匂いを覚えようとしているんだろう。身を固くして我慢する。
「由香里ちゃん、今日の夕飯さ」
「あっ」
変な声が出た。でたらめなピッキングを止めて、葉菜が何事かとこちらを見る。
「どうしたの」
「モーガンが、わたしの餌、食べた」
頬袋が種の形状に合わせて突き出ている。もっとちょうだいって言ってるみたいに、指に鼻を擦りつけたり、爪でちょんとつついたりしている。
なんだ、むやみに噛んだりしない子なんだって、いたずら気分に指を差しだしつづける。そんなわたしに葉菜は声をあげて笑った。
「どう、ハムスター?」
「うーん。なんか」
「なんか?」
「なんか、ちょっとかわいいかも」
調子に乗って遊んでたら、思いっきり噛まれた。
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自宅の最寄り駅に到着した頃にはもう辺りは真っ暗だった。斜め後ろを歩く従妹の表情は逆に明るい。憑き物が取れたようなっていうと、この場合は不謹慎になるのかな。
朝からまともな食事を取っていないし、いい加減お腹が空いてきた。冷蔵庫にあるものを思い出しながら、何を作ろうかなと考える。余ってるのは、ソーセージとマッシュルーム、あとは玉葱が半分くらい――ろくなものがない。
「由香里ちゃんってさ、このままずっとフリーターやるつもり?」
葉菜が隣に追いついてくる。
「どうだろ。でも、ずっとフリーターやってたら親に何か言われるだろうし。いつかは定職就かなきゃなんだよね」
「大学って、楽しかった?」
「それわたしに聞く?」
苦笑して夜空を見上げる。星がちかちかと煌めいている。あれは何光年先からやってきたんだろうと想像を巡らせていると、あぁ、わたし何で学校辞めちゃったんだろうって思う。夜空ってずるい。おおきな悩みを吹き飛ばしたかと思えば、今度はちっちゃな悩みを再燃させる。
「あたしね、高認受けようかなって思うんだ」
驚いて足を止める。
「仙台、帰るの?」
「そうだね。通信か予備校通うかもしれないし、勉強にも集中しなきゃいけないから」
わたしが立ち止まったままなのに気付いて、葉菜はぷっと吹き出した。腕を絡ませてきて、仲のいい男女みたいにくっついて歩を進める。
「そんな顔しないでよ。うそだようそ。帰るわけないじゃん。あたし、この生活けっこう気に入ってるんだから」
そう言ってわたしの腕に顔をうずめる。なんか、やけに懐いてくるなあ。
「バイトしながらでも、こっちで通う。そんで大学も受けて、超楽しいキャンパスライフ送るの。由香里ちゃんが『辞めなきゃ良かった』って後悔するくらい」
「実はすでに、ちょっと後悔してるんだけどね」
わたしたちは顔を見合わせて、同じタイミングで笑いだした。それで葉菜は前を全然見てなくて、側溝のわずかな隙間につまずいて転んだ。腕を絡ませていたからわたしもよろけて倒れそうになる。
「もう、なにしてんのよ」
ブーツの片方がすっぽ抜けて、溝に落ちてしまっていた。手を取って起きあがらせようとしたが、顔を地面に突っ伏したまま彼女は動こうとしない。そんなに派手な転び方じゃなかったから、怪我はしていないと思うけど。
「ねえ、大丈夫?」
「いたい」
声は元気そうなので安心する。脱げたブーツを拾い上げる。溝が乾いていたから、濡れてはいないみたい。
わたしは、葉菜が自分で起きあがるのを待っていた。しかしいくら待っても彼女はぐったりしたままだった。タイツだけになった片足を、側溝に投げ出して。
「足、いたい」
「おんぶでもしてほしいの?」
小馬鹿にするみたいに言ってみる。ちょっとつまずいたくらいで起きあがれないなんて、おふざけしてるんだろうと思ったから。
やがて彼女はその顔をあげる。涙でぐしゃぐしゃになっていた。膝を地面で擦らせながら、なんとか身体を起こす。本当に立ち上がる気力もないみたいで、両手をつき、地面にツインテールを垂れ下げた。
「いたいよ、お姉ちゃん」
外灯に照らされながら、ひたひたと、涙がコンクリートに染みていく。
「お姉ちゃあん……」
どれだけ我慢したらこんな風になるだろうってくらい、葉菜は大声をあげて泣いた。そっか、とわたしは思う。泣き方は子供そのものなのに、子供にしては、背負わされたものが大き過ぎたんだ。
ポケットからハンカチを出し、葉菜のそばで屈む。丁寧に涙を拭ってあげた。
「いたいよね」
両手の砂も払うと、葉菜の前で背を向けた。彼女は疲れた猫みたいにわたしの背中に寄りかかる。足に力を込めて立ち上がる。自慢じゃないけどわたしは人一倍力がない。自分とあまり体格の変わらない女の子をおぶって立ち上がるのだって一苦労だ。
だけど、一度立ち上がってしまえばそれなりに歩ける。まあ、いつまで持つかは分からないけど。とりあえず今はお姉ちゃんって呼ばれて力がみなぎってる感じ。
「今日は葉菜が食べたいもの、なんでも作ってあげる」
「ナポリタン」
即答だった。うなじに鼻先が触れる。くすぐったい。
「そっか。今日はナポリタンの日だもんね」
葉菜がうなずくのが感触で伝わる。今日くらいは我慢してあげよう。わたしは冷蔵庫の食材を思い出す。
「玉葱とマッシュルームとソーセージ、それからパスタと、トマトケチャップも余ってたよね。あとは……」
「コンソメ」
「やっぱいる?」
「いる。コンビニいこ」
「うん」
コンビニは、もうとっくに通り過ぎてしまっていた。葉菜を背負いなおして振り返ってみるけれど、そろそろ、足が限界みたい。
「ねえ、葉菜」
「なに?」
「もう一回お姉ちゃんって言って」
「やだ、もう恥ずかしい」
完結です。
最後までありがとうございました。




