2 ぜんぶナポリタンのせいで
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どうしてわたしが大学を中退してしまったのか、理由を話してもまともに受け取ってくれる人はほとんどいない。
大学の真正面には一軒の軽食店があった。煉瓦造りのレトロな様相で、学生たちには好評だった。結局最後まで入店することはなかったけど、そこのパスタは値段のわりにけっこう美味しいと友人が言っていた。
受験の際、初めてキャンパスへ訪れたときから、わたしはこの存在を認識していた。入学してからも、登校するたびにそれを意識せずにはいられなかった。何故ならあの軽食店からは、ひどく特徴的な、ナポリタンの香りがしたからだ。最初はなんとも思っていなかったのに、毎日嗅いでいくうちだんだん不快な気分になり、やがてはっきりと、わたしはこの匂いが嫌いなんだ、と確信するようになった。
もちろん生まれついてナポリタンが嫌いなわけじゃない。むしろ好きな部類に入る食べ物だった。母の作るお昼といえば焼きそばかナポリタンのほぼニ択ってくらいで、何度食べても飽きない料理だった。わたし自身、友だちや親戚の子にもよく作ってあげたことがある。
それがどうしてか、あの軽食店のナポリタンだけは駄目だった。いや、実際その店が出すナポリタンを食べたことはないから、正確に言えばらあの店から漂う匂いが駄目だったということになる。
避けては通れない道にあり、あのすっぱいような、鼻の粘膜を痺れさせるようなまろやかな香りを、わたしは毎日嗅がされた。それを嗅ぐと一日中お腹の底がじくじくと痛み、昼食ではサンドイッチを一個口につめ込むのがやっとなほど、食欲を減退させた。帰り際もそのナポリタンの匂いが鼻先にまとわりついた。ときには、近くのコンビニに駆け込み昼食の残骸を吐き出すことも少なくなかった。それとなく鼻をつまんだり、季節問わずマスクを着けてきたこともあったけれど、なぜだか効果はほとんどなかった。その香りは漂っているというより、まるでこちらへ向けて一直線に、矢のように突き刺さってくるようだった。
学校へ続く道のりは、わたしを憂鬱にさせた。またあれを嗅ぎながら大学の門をくぐるのかと思うと足が重い。たまに道中で引き返してそのまま授業をさぼってしまうことが多くなってしまう。どうにか我慢してキャンパス内に入ったとしても、ふと窓を開けたとき、中庭のベンチでリラックスしているときなど、風に乗ってあの匂いがやってくると、どうにも死にたい気分になった。気づけばわたしは、半年間の休学を挟んだ後、事務所で退学届けを提出していたのだった。
この話をした相手なんて片手で数えるくらいしかいない。話したところで冗談だろうと笑われるだけだし。
何かの間違いで(飲み会のノリとか)、退学の理由を語ったことが二度ほどあるけど、「生田さんって、真面目に見えておもしろいこと言うね」と苦笑され、あげく「で、ほんとはどんな理由だったの?」と、やっぱりバカにされてしまう。仙台の実家へ、電話で辞めることを話したときなど、母は「ゆかちゃんも、東京でやりたいこと見つけたっちゃね」と自己完結にこっちの話も聞かなかった。しかしどこかショックを隠しきれない声色で、届け出用の署名と捺印を送るとだけ言った。
「父ちゃんに代わるね?」
「いや……やめとく」
それでも久しぶりにかかってきた娘からの電話だからと、母は送音口を手で覆う。くぐもった音から、父を呼んでいることが分かる。うっすらと聞こえてくる会話が徐々に口げんかになっていくのを悟って、いたたまれなくなったわたしは、そこで受話器を置いてしまった。
もしあのとき『ぜんぶナポリタンのせいで』なんて口を滑らせていたらどうなっていたか。強制的に田舎へ連れ戻され、父に頬を叩かれ、実家の畑を手伝わされた挙げ句お見合いでもさせられていたかもしれない。
ただ一人、この『ナポリタンの匂い』の話を信じてくれたのが、同居人の葉菜だった。
母との電話を終えたあと、飲めもしないビールを二缶も空けながら、勢い余って一連の出来事を葉菜に語った。葉菜はアスパラの豚巻きを作りながら黙って聞いたが、途中から笑いを堪えるようになり、母との電話のくだりで「コントかよっ」と腹を抱えた。ひとしきり笑ったあと目もとの涙を拭い、「まぁそういうこともあるよね」と、フライパンを手に取って調理に戻った。あまりにもあっさりした反応だった。まるで世間話か、ちょっとしたお笑い話のような扱いだ。こっちは真剣な悩みを打ち明けたんだぞ、といささか憤慨もしたけれど、よくよく考えてみれば確かに「まぁそういうこともあるか」という結論に落ち着き、酔った流れでそのまま眠りに落ちた。




