1 永遠を誓ったきみが、何も言わず去っていく
第17回文学フリマ出展『ふたりがある』収録作品。
現在 → ♬
過去 → ♪
永遠を誓ったきみが 何も言わず去っていく
ずるかったあの日 いつか伝わればいいと願って
ah景色がうつりゆく 指のすき間からこぼれる
どれだけ経っても私たちの
ともに過ごした時間が干からびて――
♬
自分の暮らす賃貸マンションの一室から、へたくそな唄が聞こえてくる。金属に爪を立てたような粗いギターのせいで、それが自分の部屋からだと分かった。焦るよりも先に別の感情が胸を締めつけ、わたしはしばらくそこから動けなかった。駐車場から夜空を見上げる。カーテン越しにゆらゆらと、同居人とギターの影が揺れていた。
同居人であり、居候であり、わたしの母方の従妹である葉菜。
今日は叔父の葬式に参列した帰りだった。手にしたキャリーバッグの中には乱暴に折り畳んだ喪服が入っている。荒んだ気持ちで無理に押し込めたから、しわくちゃのそれを自室で広げるのが憂鬱だった。叔父の遺体を火葬したあとの、骨だけとなった彼の光景が頭から離れない。それまで退屈としか思っていなかったわたしが、そこではじめて『かなしい』と思ってしまったのだ。喪主の叔母に箸渡しで叔父の一部を向けたとき、粉が端のほうからこぼれ落ちて、思わず目から涙が溢れた。どうしてこんなに泣けるのか不思議なくらい泣いてしまった。数年ぶりに過呼吸の持病が再発しそうだったから、周りから心配されてしまったけど、なんとか骨上げを終えて叔母から離れた。
わたしは、叔父の死を『かなしい』と思えるほど、叔父との思い出がない。棺桶越しの彼を見てから顔を思い出したくらい。だから不思議なのだ。なにがあそこまでわたしを悲しめたのか。
マンションのたもとから彼女の演奏を聞いていると、また違う意味で泣けてくる。叔父さんの娘のくせに葬式にも来ないで、なんであんたは暢気にギターなんか弾いてんのよ、と。
エレベーターを上がって進むと、隣に住む一人暮らしの若いサラリーマンがわたしを見つけた。わたしの部屋のドアをノックするところだったらしい。パジャマ姿の彼は騒音漏れ出すわたしの部屋を親指でさし、「たのむよ、明日早起きしなくちゃなんだから」と言った。
「ごめんなさい。すぐに黙らせます」
わたしは頭を下げてドアを開けた。ちょうどそのとき、弾き語りが終わった。キャリーバッグを玄関に投げ出してリビングを開ける。葉菜は振り返り、額に浮かんだ汗を拭った。
「どうしたのよ、葉菜。もう部屋では弾かないって約束したでしょ」
彼女は魂を抜かれたような顔をして、はっと手元のピックを見下ろした。我に返ったというような仕草だった。言い訳しようとして息を呑むが、呼吸が弾んでうまく言葉が絞り出せないようだった。きつく叱ってやろうと高ぶっていた怒りが、そのせいで抜かれてしまう。
「ねえ、何があったの。モーガンが嫌がるじゃない」
モーガンっていうのは二人で飼っているハムスターのことだ。わが家に来た当初、葉菜のギターの音でやけにびくつくので自宅演奏を禁止していた。もともと近所から苦情が来ていたのもあっていい機会だったのに。
そこで気づいた。いつもはリビングのケージで丸まっているはずのモーガンがいないことに。視線を落とすと、食卓の上にモーガンが居た。ハンカチの上で、静かに目を閉じている。どうしてこんなところで寝かせているんだろうと、最初は思った。けど、ただ眠っているんじゃないってことは、葬儀帰りのわたしにはすぐに検討がついた。
葉菜はツインテールの髪を解いた。ペットボトルの水を一口飲み、モーガンの毛並みを梳くように撫でる。その細くて短い毛先は、白色灯の明かりで、つやめいて映る。わたしも葉菜と同じようにモーガンを撫でた。冬の鉄柵みたいに冷たく、固かった。心地よさそうな寝顔とその手触りが残酷に対比し、軽い衝撃を受ける。そっか、こんな風になるんだね、って。悲観だとか喪失感だとかは浮かんでこない。どちらかというと――認めたくないけれど、不快感の方が先にやってくる。
「お別れの唄のつもりだったんだけどね、さっきの」
葉菜は少女っぽい笑みをする。彼女が失敗したときにする照れ笑いに近かった。こういう顔をされると、わたしはどうも弱いみたい。
「今日は、もう寝なよ」
そのあとは交互にシャワーを浴び、食卓を挟んで二人分の布団を敷いた。互いに言葉を交わさず。葉菜はバイトがあったからか、それとも騒音まがいの弾き語りに熱中していたからか。ともかくひどく疲れていたみたいで、すぐに寝息が聞こえてきた。わたしはといえば、乗り物疲れでぐったりしていたはずなのに、妙に目が冴えていた。ときおり布団から身体を起こしてモーガンを眺める。瞼はどことなく重そう。いつものように三本髭とかピンクの鼻がひくひく動いた気がしたけれど、たぶん、錯覚にちがいない。
モーガンと暮らし始めて半年。葉菜がうちに転がり込んで同居するようになったのは一年前だから、わたしは二名もの居候を短い間に抱えてしまったことになる。小動物が大の苦手なわたしがまさかハムスターを飼うだなんて当時は想像もしていなかった。けれど結局、わたしは小動物嫌いを克服するどころかモーガンを好きになってしまっていた。
そのはずなのに、なんでかな。
布団から手を出してもう一度撫でてみる。死骸に触れるときの他人行儀なあの不快感は、好きだったはずのモーガンから、いつまでも剥がれてくれない。