義妹 ショッピングモールへ行く
日曜日は7時過ぎまで寝ていても誰にも迷惑を掛けない、夢のような曜日である。
朝食は龍樹の大好きな特撮番組が終わった8時半から始まるので、それまでに食事の用意と洗濯風呂掃除を済ませておけば良い。こればっかりは、休日朝からせっせと子供向け番組を放映しているTV局に感謝せねばなるまい。
ちなみに、岡家ではTVを見ながらの食事は禁止だ。何故なら、龍樹が番組に夢中になっていつまでも食事が終わらないから。流石に龍樹に「TVを見るな」と言うのも可哀想なので、大人側が配慮して食事時間をずらすことで対応している。
俺が起きたときには、既に龍樹と真琴ちゃんは仲良くTVを見ていた。見慣れない光景に少し驚いたが、失踪前は主に真琴ちゃんが龍樹の面倒を見ていたそうなので、愛川家ではこれが普通の状態だったのだろう。俺としても家事に専念できるのはありがたい。声を掛ける度に、殺気を放つのはやめて欲しいが。
「真琴ちゃんって、朝からガッツリ食う方?」
「ん…… 今朝はあまり要らない」
「あー、何か具合悪いとか? 常備薬なら、リビングに置いてあるけど」
「ゆうべ食べ過ぎた」
成る程。流石に一人で5合近くを消費すれば、胃にもたれるらしい。宇宙空間に繋がっているとかでなくて、ホッとする。
幸い時間に余裕はあるから、何か消化に良い物を作った方が良いかと思い、一応訪ねてみた。
「何かリクエストある? お粥とか、胃に優しい物も用意できるけど」
「焼きおにぎり」
「あー、まあ、良いけど。大きさはどのくらい?」
「昨日と同じで」
焼きおにぎりは特に胃に優しい食べ物ではないのだが。気に入って貰えたなら、それはそれで良かろう。昨日と同じ大きさと言うことは丼一杯くらいの量はあるのだが、それも深くは考えないことにした。
少なくとも、朝から5合を越える飯を炊かなくて良いことに安堵する。鍋の大きさの都合上、5合を超えると炊飯を2度に分ける必要があるのだ。ガスコンロを一口、長時間占有され続けるのも困るので、何か対策を考えねばなるまい。まあ、それは後だ。
「ねーちゃんばっかオニギリくって、ずるいー!」
「わかったわかった、今日はたっくんの分も焼きおにぎりするから。
具は何が良い? 鮭? 梅?」
「鮭」
「うめー!」
焼きおにぎり権を不当に剥奪された過去を思い出した龍樹が抗議の声を上げたので、結局2人分の焼きおにぎりを用意することになった。多少手間ではあるが、それでも粥を作るよりはずっと楽だ。
朝食は非常に穏やかに終わった。
おかずとして用意した目玉焼きに昨日のキンピラの残り、白菜の浅漬けと味噌汁は余すことなく消費され、俺としても大助かりだ。
出来事と言えば真琴ちゃんの大おにぎりを見た聡子さんが、「あなた、朝からそんなに食べるの?」と驚いていたくらいで、大した事はない。「昨晩は一人で5合を食べていましたよ」と指摘しないだけの防衛本能は、俺にも存在した。
「たっくん、焼きおにぎり美味しかったか?」
「うん!」
「そうか、良かった」
「龍樹、あなた梅干し嫌いじゃなかった?」
「にーちゃんのは、すき」
いつの間にか弟の嫌いな物がひとつ減ったことに、真琴ちゃんが少し驚いていた。
ちなみに、龍樹が嫌いなのはスーパーで売ってる安いパック入りの梅干しであって、自家製のはよく食べる。塩分過多が心配されるので、半分とかにして残りは俺が処分することになるのだが。
俺も新婚家庭に漬け物持ち込むほど空気が読めない訳ではなく、岡家の梅干しは再婚と同時に処分される予定だったのだが、龍樹の好き嫌いを直した功績に免じて存続を許されている。別に秘伝があるとか俺が漬け物名人だとか言うわけではなく、減塩だのの余計なことをせず、カビにさえ気をつけていれば梅干しというのは美味いものが出来るのだ。
洗い物も程なくして済み、ひとまず必要な家事は全て終わった。また昼を過ぎれば昼食の用意だの晩飯の買い物だのに追われる事になるが、今だけは自由の身である。久しぶりに、ボトルシップに取りかかろう。完成間近の奴が自室のテーブルの一画をずっと占拠し続けており、部屋に戻る度に気になっていたのだ。
晴れやかに気分で自分の部屋に戻ろうとした所で、クソ親父が声を掛けてきた。
「おい、祐介。真琴ちゃんの服買いにショッピングモール行くぞ」
「あっそ、行ってらっしゃい。今からなら、昼飯要らないな?」
「お前も行くんだよ、馬鹿たれ」
分かってはいた。クソ親父に、こちらの都合を慮るような高度な知能がないことは。だが、こちらとしても折角手に入れた自由であり、手放す気は毛頭ない。
「折角家族になったんだから、一度くらいは一緒に買い物行っといた方が良いだろうが」
「そのイベントは既に消化済みですぅー。昨日たっくんと3人で仲良くお買い物行きましたぁー。真琴ちゃんに上着貸してあげたりして、めっちゃイチャイチャしてましたぁー」
「イチャイチャしてない」
横から真琴ちゃんの冷徹なツッコミが入るが、でも今は、そんな事はどうでもいいんだ。重要な事じゃない。口喧嘩の要諦は、相手の冷静さを失わせて反論を封じることにある。事実関係などクソ食らえだ。
そもそも、俺に女子中学生のファッションが分かる筈も無く、付いて行ったとしても暇になることは目に見えている。労苦の末に手に入れた自由を、そんな悲しいイベントで浪費するのは嫌だ。運転手としての親父は必要でも、俺は別に必須というわけではない。論理武装は完璧だ。……が。
「にーちゃん、かいものいこー」
「祐介さん。折角だから、一緒に行きましょうよ」
「……はぁ、分かりました。着替えてくるんで、ちょっと待って貰えますか」
龍樹と聡子さんからの誘いもあって、結局は陥落した。流石に、これを断れるほど俺も冷血漢ではない。家族サービスは大事だ。
クソ親父の「最初っからそう言えっつーの」という負け惜しみを聞き流し、着替える為に自室に向かう。ボトルシップの完成はまた延びそうだった。
郊外の大型ショッピングモールは自宅から車で30分程度行った所にあり、大型デパートと専門店が一つの建物に纏まっていて、それに映画館等の娯楽施設が併設されている。
田舎のショッピングモールとしてはありがちだが、休日には周囲の暇な人間がこぞって訪れるので周囲に渋滞が起きる。それを知っている人間は開店より早めに来て、渋滞を越えて駐車場に着く頃に丁度開店になるよう調節したりする。まあそんな場所だ。
田舎だから皆暇なのか、はたまた皆が暇するような場所だから田舎なのかは分からないが、今日もショッピングモールは大盛況だった。正直、人が多すぎてテンションが下がる。
俺はまだテンションが下がるだけで済むが、龍樹は下手すると迷子になって館内放送で呼び出される危険性もあるため、俺が肩車している。たっくんは高い所に居るとそれだけでご機嫌だし、単に手を繋いでいるだけだと人混みに押されて手を離してしまう危険もあるのだ。
真琴ちゃんは俺(の上に居る龍樹)の横を歩き、少し後ろには親父と聡子さんが並んで歩いている。まあ、どこにでもあるような一家団欒の図だと思う。ふと、聡子さんが笑い声を上げた。
「ふふふ……」
「どうかしました?」
「いえ、大した事じゃないんだけどね。以前は、龍樹ったらお姉ちゃんにベッタリだったのに、いつの間にかお兄ちゃん子になったなぁ、って思って」
ああうん。つい3日前までは、そんなことは思っても口に出せなかったろうし、ましてやそれを笑うなんて不可能だっただろう。真琴ちゃんが帰ってきた今だからこそ、微笑ましい光景として捕らえることも出来るのだ。
だが、聡子さんにはもう少し考えた発言をお願いしたい。真琴ちゃんの俺を見る目が冷たい。何かもう、痛みすら感じそうな冷たさである。いや、これは違うんです。俺はたっくんのリクエストに義兄として応えたまでで、決して姉から引き離そうとかいうアレではないんです。
「たっくん、久しぶりに姉ちゃんに肩車して貰えよ」
「えー」
「ほら龍樹、おいで」
「やだ。にーちゃんがいい」
そりゃ背の高い乗り物と少し背の低い乗り物があったら、子供なら背の高い方を選ぶわな。でも、たっくんさん、出来ればもう少しお姉さんにサービスしてあげてくれませんか。義弟を取り合って義妹と三角関係とか築き上げたくないんです!
隣の少女から発せられる眼光は既に殺人光線の域にまで達しており、そろそろ俺の薄い胃壁を貫通しそうである。一刻も早くこの圧力から逃れるべく、俺は婦人服売り場へと急いだ。
婦人服売り場は広大だった。どうにも、いくつかの専門店も周りに配置することで、フロア一帯を全て婦人服で統一しているらしい。聡子さんと真琴ちゃんは、売り場に着くなり商品を手にとって色やサイズなどをチェックしていた。今年の流行はどうだ、こっちの方が似合うんじゃないか等と、2人とも楽しそうだ。
一方、男3人はと言えば、見事に暇を持て余している。龍樹は勿論のこと、俺も親父も女の子の服装には詳しくない。口出しは出来ないし、そもそもあの母娘の会話に割って入るのは、それだけで些か勇気が要る。
売り場が固まっていると言うことは、周囲は全て婦人服売り場だと言うことである。当然、俺達が見て楽しい物など無い。俺はまだ今日の晩飯どうしようかとか、そんなことを考えてれば暇をつぶせるのだが、龍樹はそうは行かない。先程から、どこかへ行きたくてうずうずしている。
このまま放置して癇癪を起こされても困るので、先手を打つことにした。
「なー、たっくん。兄ちゃん飽きちゃった。どっか面白い所連れてってよ」
「んー、しょうがないなー」
こういう時、素直に「暇だろうから、どっか行くか?」とか聞くと、龍樹は我慢してしまう。あくまで、俺の我が儘を龍樹に叶えて貰う、というシチュエーションが大事なのだ。俺が飽きてしまっているのは事実なので、それを言い出すことに何の躊躇もない。
親父も龍樹には甘いので、一声掛けると「何かあったら携帯に掛けるから」とだけ言って送り出してくれた。ちなみに、親父が休日に携帯電話を携帯しないのは、岡家では常識である。
婦人服売り場の隣は紳士服売り場とスポーツ用品売り場になっており、特に見るべき物は無かった。まあ、ショッピングモールなんてそんなもんである。別の階に行けば玩具売り場等もあるのだが、そこに足を踏み入れてしまうと脱出できなくなる危険性が高い。主にたっくんが。
その龍樹は義兄を意のままに操縦することで一応は満足したらしく、エスカレーター隣の休憩所で一休みする頃には何かをやり遂げた顔をしていた。俺としても、「家に帰りたい」等と言い出されなくて一安心である。
カップの自販機で龍樹にホットココアを買い与え、自分は冷たいウーロン茶を買って、ベンチに2人並んで座る。口の中で氷をボリボリ噛み砕きながら、ココアを飲んでる龍樹を眺めていたのだが、そう言えば気になったことがあって訪ねてみた。
「龍樹、姉ちゃんと喧嘩でもしたん?」
「んー…… べつに」
何とも歯切れの悪い返答だ。
さっき聡子さんに指摘されて気付いたのだが、そう言えば昨日から真琴ちゃんの方はしきりに龍樹を構いたがっていたが、龍樹の方はどことなく姉を避けているようだった。元はお姉ちゃん子だったと言うなら、もうちょっと帰ってきた姉に甘えても良いと思うのだが。
ただまあ、俺は2ヶ月前まで一人っ子だったので、その辺の距離感が今ひとつ分からない。龍樹は龍樹なりに、俺と真琴ちゃんの間でバランスを取っているのかも知れないが。
「姉ちゃん嫌いか?」
「きらいじゃない」
「放っておかれたから拗ねてんのか?」
「すねてない」
「しばらく見ない内に変わっちゃって、怖くなった?」
「…………」
嘘や隠し事の苦手なお子さんである。まあ、助かるのだが。
ベンチから腰を上げ、龍樹の目の前に膝を付いて目線を合わせる。「大事なことを話すときは、ちゃんと相手の目を見ろ」というのは、祖父ちゃんに散々言われたことだ。
「知ってる人がさ、急に変わっちゃうと、何だか知らない人になっちゃったみたいで怖いよな。兄ちゃんも、昔そうだった」
「にーちゃんも?」
「兄ちゃんのお母さん…… えと、聡子さんの前のお母さんな。その人、背中まで届くくらい髪を伸ばしてたんだけどさ、それがある日、いきなりツルッパゲになっちゃったんだ」
「うっそだぁー」
龍樹は全く信じてない顔してる。ここら辺、いつも適当なことばっかり言ってるのがアダになったか。いやいや、今回ばかりは嘘じゃないんですよ。
「お薬の所為なんだってさ。本人は、『お父さんとお揃いになっちゃった』とかって笑ってたけどな。でも、俺は、そのお母さんは全然お母さんじゃないみたいに思えて、すっごい、怖かった」
あの時の感情をどう表現すれば良いのか、今でも分からない。ただ怖くて、何もかもが怖くて、叫び出したいくらい怖いのに、母は笑っていた。それが、何よりの恐怖だった。
龍樹は、俺の言葉を信じたと言うよりは雰囲気に気圧された様子で、黙って俺の言葉を聞いている。
「怖くなって、逃げて、でも少しすると寂しくなってお母さんに会いに行ってな。俺はハゲじゃないお母さんに会いたいんだけど、居るのはハゲのお母さんだけで、また怖くなって逃げるんだ。で、また少しすると寂しくなって会いに行く。
……ばっかみたいだろ?」
みたいじゃない。本当に馬鹿だった。どうしようもなく、俺は馬鹿だった。
努めて明るい口調で話しているつもりなのだが、それが成功していないのは龍樹の顔を見れば分かる。こんな事を7歳の子供に話してどうするんだとも思うが、今更後悔しても遅い。
あの頃から変わらず、俺は現在進行形で馬鹿だった。
「……それで、どうしたの?」
「んー。お母さんは、ハゲてても俺のお母さんで、何もしてないのに許してくれて、んでもってご飯の作り方とか教えてくれた。で、俺はその時になって、その人が俺のお母さんだって分かって、仲直りしようとした」
「できた?」
「超バッチリ! 龍樹が毎日食べてるご飯は、お母さんに作り方教えて貰ったんだ。他にも、掃除に洗濯、買い物の仕方とかお裁縫とか、一杯一杯教えてくれた」
「そっか。よかったね」
あの時の出来事があったから、俺は今こうして龍樹と向き合っている。それを考えれば、悪いことばかりでもないんだろう。……それを7歳児に言うのは、流石に憚られたが。
にっ、と作り笑いをして龍樹の肩をパンパンと叩く。つい話が暗い方へ行ってしまったが、話したいのはそこではないのだ。
「ま、たっくんの姉ちゃんは髪の毛フサフサだからな。まだまだ、全然イケるって」
「……そうかな?」
「抱きついて『好きだよ』とか言ってやりゃ余裕よ、よ・ゆ・う」
「そっか。んじゃ、やってみる」
「おっし、偉いぞ!」
大げさに言って、手本を示すように龍樹を抱きしめる。龍樹の方も意図を察したのか、抱き返してきた。
体を離して頭をなでてやると、照れくさそうに笑っている。うんうん、子供は笑顔が一番だ。
龍樹から空になった紙コップを受け取り、ゴミ箱に放り込む。
携帯で時刻を確認すると、既に売り場から離れて1時間ほど経っていた。女の子の買い物がどの程度掛かるのか分からないが、龍樹の仲直り作戦を決行するためにも戻った方が良かろう。
一声掛けようと向き直ると、龍樹が見知らぬ女の子に話しかけられていた。
「あれ、タツキ君じゃん。久しぶりー」
「…………?」
女の子の方は龍樹に親しげに話しかけているのだが、龍樹の方は相手に見覚えが無いらしく、首をかしげている。いや、兄ちゃんの方を見てもヒントは出せないからな。
女の子は、見た目は俺より年下で恐らくは中学生くらいだろうと思われる。龍樹の名前を知っているから、知らない人間が知人の振りをして声を掛けているという事もないのだろうが、どうしたものか。
「えーと、お姉ちゃんのこと、忘れちゃった? ミッチーだよー?」
「…………! みっちー!」
「あ、思い出してくれた? 良かったー」
どうやら、記憶のサルベージに成功したらしい。まあ、年の頃から想像するに真琴ちゃんの知り合いだろうから、龍樹とはしばらく会っていなかったのだろう。
義弟の誘拐未遂現場に立ち会わずに済んだ事に、心の中だけで胸をなで下ろす。
「たっくん、知り合い?」
「んっとね、みっちー」
龍樹に訪ねてみたが、情報量が限り無くゼロに近い答えが返ってきた。
どう質問したものか考えていると、見かねたのか女の子の方から自己紹介をしてくれる。
「あ、初めまして島村と言います。えっと、タツキ君の親戚の方ですか?」
「初めまして、岡 祐介と言います。龍樹の義理の兄…… えーと、聡子さんの再婚相手の息子って言えば分かります?」
「あ、そうなんですか……」
島村さんの眉が、不快げに顰められる。何か失礼をしたかと思ったが、すぐ勘違いに気付いた。友達が行方不明になってるのに、友達の母親が再婚してたら、そら気分は良くないだろう。
真琴ちゃんの居ない間に再婚することについては、再婚の話が持ち上がった当初に問題になったらしいのだが、大人達の間で何やかや決着が付いたらしい。俺はその点に関して終始蚊帳の外だったので、よく知らないが。
「もしかして、真琴ちゃんのお友達?」
「あ、知ってるんですか。そうです。小学生の頃から、何度か一緒のクラスになったんですけど……」
「真琴ちゃん、今日ここに来てるよ」
「そうですか。私はもう去年の4月からずっと…… え?」
「今なら婦人服売り場で買い物してる筈だから、行けば会えるんじゃないかな」
島村さんはしばらく呆けたような顔をしていたが、やがて俺の言葉が理解できたらしく、脇目も振らずに駆けだした。
冬物のコートを羽織っているのに、素晴らしいスピードで遠ざかっていく。あの動き、もしやジョー?
女子中学生の背中を見送っていても仕方が無いので、俺達は俺達で家族に合流すべく、龍樹を肩車して歩き出す。少し言った所で、去って行ったときと同じくらいのスピードで、島村さんが戻ってきた。
「ちょ、お兄さん、場所分かんない。案内して、早く! 早く!」
「ああうん、分かったから落ち着いて」
島村さんはこちらを急かすように「早く早く」を連呼するのだが、俺の体に加速装置は無く、代わりに搭載されているのはたっくんである。スピードが出せよう筈もない。
それでもテレテレ走って行くと、元居た試着室にほど近い位置に、親父達3人の姿を見つけた。どうやら、1時間の間ずっとあそこで服選びをしていたようだ。女の子の買い物、恐るべし。
「ラブ!!」
「え…… あ、ミッチー!?」
真琴ちゃんの姿を見るが早いか、猛スピードで駆け出す島村さん。そのままスピードを落とさず、真琴ちゃんに抱きつく。あのスピードでぶつかれば、女の子の体重でもかなりの衝撃になると思われるが、真琴ちゃんの方は特によろめいたりせず受け止めた。最近の女子中学生は、サイボーグ手術がデフォなのだろうか?
俺の益体も無い考えはさておき、目の前では旧友同士の感動の再会シーンが繰り広げられている。
「もー、帰ってきたなら連絡してよー」
「あ、ゴメン。携帯なくしちゃって……」
抱き合いながら、久々の再会を喜ぶ二人。真琴ちゃんの表情も、いつになく柔らかくなっている。何だかんだで、昔の知り合いに会えば地が出るのだろう。
肩の上の龍樹を見上げ、小声で「ほら、ああすりゃ良いんだって」と言ってやると、龍樹の方も頷きを返してきた。こっちの意味でも、このタイミングで島村さんの登場は、実にありがたい。
ひそひそ話していることに気付いた真琴ちゃんが、こちらを睨んでくる。何故、俺に対しては敵意剥き出しなんですかね……
「……なに?」
「ああいや、『ラブ』って呼ばれてんだなーって」
まさか、「龍樹と真琴ちゃんの仲直りのための方策を練っています」とは言えず、適当に誤魔化そうとする。
名前の由来については大体想像が付くが、この冷たい視線にラブはどの程度含まれているのか検証をお願いしたい。それとも、絶対零度だからラブなのだろうか。テニス的な意味で。
一通り再会の感動を堪能したのか、島村さんも体を離し、こちらに向き直った。
「この娘、小3の時に名字変わって、それが『愛川』とかめっちゃアイドルっぽいのだったから、最初『ラブかわ』とか呼ばれてたんですよ」
「あー、成る程、成る程」
『愛川』ってアイドルっぽいか? いや、俺もそんなにアイドルに詳しい訳ではないので、業界の愛川率がどの程度なのかは知らないが。
ただまあ、その呼び名には少しばかり問題がある。
「たっくん、自己紹介できる?」
「はい! おか たつき、7さいです!」
「うん、元気があってよろしい。あ、さっきも自己紹介したけど、岡 祐介。17歳です」
兄弟揃って自己紹介する。島村さんは俺の意図に気付いたのか、真琴ちゃんの方に視線を向けた。岡 龍樹君の中学生の姉が、愛川 真琴なのは少し不自然なわけだ。
「オカ マコト……」
「……何?」
島村さんは何かを思案した様子で、真琴ちゃんの全身を注意深く観察している。
視線はやがて真琴ちゃんのベリーショートの髪に行き、かと思えばそのまま下って平らな胸の辺りを彷徨い、また髪に戻って、胸に行って、髪、胸、髪、胸、胸、胸…… いや、ちょっと胸見過ぎじゃね?
やがて何かを納得した様で、深い溜息と共にこちらに問いかけてきた。
「えー、お兄さん、アレだ。いくら何でも、オカマコトは酷くない?」
「それについての全責任は、あそこのレフ板係にあるから、そっちに言ってくれ」
正直、それを俺に言われても困るので、親父に丸投げする。実際問題、名字について決めたのは親父と聡子さんだ。俺も「なるべくなら岡のままが良い」という希望は出したが、それが決定にどの程度影響したかは分からない。愛川 祐介とか名前負けも甚だしいので、良かったとは思うが。
親父の方も、何を言われたのか気付いたようで、弁解をしてきた。
「あー、いや。一応、真琴ちゃんが不在の間に名字変わるのは可哀想だとは思ったし、愛川姓のままで行こうかと提案はしたんだが。聡子の方があまり乗り気じゃなくてな……」
「だって、愛川より岡の方が書くの簡単なんですもの。それに、他の所で色々と譲歩して貰ったし、あまりそちらにばかり負担を掛けるのも、ねぇ」
聡子さんの理由は、シンプルなのか複雑なのか今ひとつ判断に困る。てか、譲歩したような事ってあったっけ? 全く思い浮かばない。
まあ、中学生にもなって名前ネタでからかうような人間もそう居ないだろうから、聡子さんもその辺はあまり気にしなかったのかも知れない。
「うん、まあ、良いんじゃない。似合ってるよオカマコト。イメージぴったりよオカマコト。だいじょーぶ、性別変わってもアタシ達は友達だよオカマコト」
「ひっぱたくよ」
と思ったら、スゲー身近に居た。
明日の地方欄に「女子中学生、元同級生に撲殺される」とか見出しが載るのだけは避けたいのだが。島村さんは気にした様子もなく、真琴ちゃんの肩をバシバシ叩いている。なんとなく、過去の二人の関係が垣間見えたような気がした。
真琴ちゃんの買い物は、それからもう1時間ほど続いた。
島村さんという現役女子中学生の視点が入ったことで、よりイマドキの中学生向けのアイテムが追加されたためである。パンツルックが多かったのは、流行を取り入れた結果であると信じたい。確かに、真琴ちゃんには似合っていたが。
時刻は既に1時を回っており、俺と親父は何もしていないのにヘロヘロである。反面、女性の方々は非常に楽しげにお喋りしてらっしゃるが。
で、肝心の龍樹はと言えば、俺の肩の上でずっとマゴマゴしている。島村さんと真琴ちゃんが終始楽しそうにしているので、逆に間に割って入りづらいのだろう。まあ、気持ちは分からんでもないが、ずっとこのままでも困る。
仕方がないので、強引に背中を押すことにした。
「たっくん。兄ちゃん疲れたから、肩車終了な」
「えー、やだー」
ジタバタと暴れるのを、慎重に肩から下ろす。地面に降りた龍樹は、恨めしげな顔で俺を見上げていた。いつまでも最初の一歩を踏み出せない、君が悪いのだよ。
7歳児でそこまで体重がないとは言え、ずっと肩車をしていれば肩も凝る。首を回して凝りを解しながら、わざと追い払うように「しっしっ」と手を振ってやった。
「ほら、龍樹。お姉ちゃんが抱っこしてあげるから、おいで」
「ねえちゃーん」
見かねた様子の真琴ちゃんが声を掛けると、龍樹はあっさりとそちらの方へ走っていく。いやはや、ようやく肩の荷が下りたね。物理的な意味で。
真琴ちゃんは、両手に持った荷物の重さなど無いかのように、あっさりと龍樹を抱き上げた。見た目のパワフルっぷりを差っ引いても、まあ仲良し姉弟の図と言って良かろう。
「あら、龍樹。結局お姉ちゃん子に逆戻りしちゃったの?」
「龍樹は元からお姉ちゃん子だもん。ねー?」
「ねー?」
聡子さんのからかいの言葉に、笑顔で返す二人。結局、俺なんかが何かせんでも、放っときゃ勝手に元の鞘に戻るのだ。
肩をもんで凝りを解す俺の耳に、姉弟の会話が入ってくる。
「ねー、ねえちゃん」
「ん、何?」
「ハゲないでね?」
岡家の空気が凍った。ああ、うん。たっくん、話をちゃんと聞いててくれて、兄ちゃん嬉しいよ。でも、重要なのはそこじゃなかったんだよなー。
岡家でない人間は、口元を押さえて必死で笑いをこらえている。
「ぷっ…… だいじょーぶ、アタシ達、ハゲても友達…… くくくっ……」
いや君、ちょっと受けすぎじゃね? 1年半ぶりに会った友達がハゲかけてるとか、実際は笑い事じゃないだろ。いやまあ、俺でも笑うけど。
真琴ちゃんは事の元凶が誰なのかすぐに思い至ったようで、こちらを睨んできた。その迫力たるや、伝説にあるゴルゴンの魔女の如しである。気の弱い俺が見れば、恐怖のあまり石化しかねない。
いや、違うんです。違わないけど、違うんです。僕は君達に仲良し姉弟に戻って貰いたいなーとか思っただけなんです。だから、その、そんなに、睨ま…… ない…… で…………
間が開いて申し訳ありません。
師走を舐めてました。