表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/5

義妹帰る

 クソ親父が再婚してはや2ヶ月、新しい家族との生活にもようやく慣れ始めた頃に、ソイツはやって来た。

 それまでの2ヶ月だって、別に順風満帆だった訳でもない。新しく出来た義母は料理が微妙に残念だったから台所の主導権を波風立てないように譲渡して貰うのに苦心したり、新しい義弟と年が10歳も離れていて仲良くなるのに少し苦労したり、その程度のなんやかやはあった。

 ただ、聡子(さとこ)さん――義母の名だ。ちなみに旧姓は愛川(あいかわ)――は親父と再婚したのが何かの罰ゲームじゃないかって位にはデキるキャリアウーマンだったので俺が家事を引き受けることを喜んでくれたし、義弟の龍樹(たつき)は人見知りしないタイプで一旦仲良くなれば良く懐いてくれてこちらも楽しい。元々父子家庭で家事は俺がやっていたから、慣れていると言えば慣れてる。まあ、多少飯を作る量が増えたり洗濯の頻度が増えたりしたものの、幸い新しい家族は二人とも協力的で助かっている。クソ親父が家事に非協力的なのは別に再婚前後で変わらないので、もう諦めるしかない。

 相手方の家に移ることになったので高校が前より遠くなった上に行きはチャリで坂を登らなきゃいけないとか、趣味のボトルシップに割ける時間が減ったとか、細かい不満がないではないがそれだって別に特別我慢が必要なほどでもない。

 そんなわけで俺――(おか) 祐介(ゆうすけ)の新生活は、おおむね順調と言って良い滑り出しだったのだ。あの金曜の夜までは。



「しゅごごごごーー、どかーん!」

「たっくーん、たっくんさーん。ボトルシップはそうやって兄ちゃんに突撃するような漢らしい玩具じゃないからなー。んなことしてると壊れるぞー。

あと、揚げ物してるときは体当たり勘弁なー」


 岡 龍樹くん7歳の最近のトレンドは、義兄から貰ったボトルシップで遊ぶことだ。あれだけ気に入って貰えればプレゼントした側としても冥利に尽きるというものだが、台所で遊ぶのは勘弁して欲しい。一応、事故を防ぐために包丁などは出しっ放しにしないようにしてはいるものの、中華鍋の中で良い音を立てている唐揚げは如何ともし難い。

 以前に一度妨害に負けて遊んでやったことで要らぬ知恵を付けてしまっており、これをどうするかは目下の最重要案件である。リビングに居るクソ親父と聡子さんはTVを見ながら仲良く談笑しており、この件に関してはまったく役に立たない。聡子さんは再婚前は炊事を殆どしない人だったらしく、自然と龍樹も台所にはあまり立ち入らなかったようなのだが、義兄が食事の用意をしていると構って欲しくてやってくるようになってしまったそうな。「いや、そこは注意して下さいよ」と何度か言ってはいるのだがこの家の人間は総じて龍樹に甘く、俺としても顔を合わせてから半年経っていない7歳児をぶん殴って躾ける気概は持ち合わせていないため、龍樹が諦めるまで口頭で注意するくらいしか出来ることが無い。

 龍樹水軍からの攻撃は徐々に激化しており、瓶の口がゴツゴツ当たって地味に痛え。そもそもボトルシップはそんな頑丈な物でもないのでこのまま行くと内部崩壊の危険性もあり、仕方がないので一旦唐揚げを全て鍋から出して火を止めた。これは低温で揚げた唐揚げを一度油から出して余熱で中まで火を通し、その後高温で揚げることでカラッと美味しく仕上げる2度揚げの技法であって、決して龍樹の圧力に屈したわけではない。そうに決まっている。

 一転逃げに入る龍樹の胴体をガバっと抱き上げ、そのまま台所から持ち出す。


「こら、たつきー。言うこと聞けない悪い子は、リビングで父ちゃんの髪の毛を数える刑だー」

「きゃー! にー、いち、ぜろー!」

「いや、まだアルヨ!? まだまだアルヨ!!」


 明るい人が何か言ってるが眩しくてよく聞こえない。クソ親父の遺伝子を受け継いでいない龍樹は、こういう時どこまでも残酷になれる。俺は海藻入りのおかずを増やすことで来たるべき近未来に備えているが、さてどれだけ効果があるやら。まあ、今はまだフサフサだけどな!

 とりあえず龍樹をリビングの聡子さんに預け、調理を再開する。余熱で火の通った唐揚げを再び鍋の中に放り込むと、程なくして良い色になった。大皿に盛った千切りキャベツの上に唐揚げを載せ、テーブルに運ぶ。レモンは各人が取り分けた後、かけたい奴だけかける。イカと里芋の煮っ転がしを鍋から大鉢に移し、白菜の浅漬けを入れた容器を冷蔵庫から取り出した所で、ピンポーンと言う音と共に玄関チャイムが来訪者の存在を知らせた。


「あら、お客さんかしら?」


 聡子さんが訝しげな顔をする。時刻は既に7時を回っており、誰か来るには少し遅い時間だ。どうしたもんかと思っていると、再びチャイムがピンポーンと音を立てる。

 このまま籠城するのもなんだか気味が悪いし、もしご近所さんだったりしたら申し訳ないことになる。ここが再婚前の愛川家であれば、母子家庭の防衛策として居留守を決め込んだのだろうが、ここは新婚さんの岡家である。龍樹を抜かしても、男手が二人分あるのだ。


「おい、祐介。お前出てこい」

「チッ、てめーで行けよクソ親父。あ、先にご飯とお味噌汁よそっといて下さい」


 前半は親父、後半は聡子さんに対する台詞である。資本主義社会においては金を稼いでる方が圧倒的に強いのは道理で、サラリーマンと学生兼家事手伝いでは力関係は一目瞭然だ。飯の準備もほぼ整っているので、俺が居なくても他の奴は飯が食えるというのも大きい。

 3度目のチャイムが鳴る。どうやら、来訪者は諦める気は無いようだ。まあ、外から見れば普通に灯りついてるしな。仕方なしに玄関まで行き、サンダルを履いて土間に降りる。何もないとは思うが、一応ドアチェーンが掛かっていることを確認してからドアを開ける。

 果たしてドアの外に立っていたのは、不審者だった。なんつーか、背は低いが玄関の限られた光量でも分かるくらいボロボロのマントにフードを被り、無言でこちらを見つめている。どっかの見本誌から切り抜いてきたんじゃないかってくらい「ザ・不審者」であり、声を掛けるのも忘れて数秒見つめ合ってしまった。


「えーっと……」


 どちらさん? という質問を投げかける前に、変化は起きた。不審者の意外に細い指がドアチェーンに掛かったかと思うとあっさりとチェーンを引きちぎり、そのまま侵入してきたのだ。

 侵入者は驚きで頭が真っ白になった俺の首を掴むと、細腕からは想像も出来ないような力でそのまま持ち上げる。人生初の片手ネックハンギングツリー体験である。嬉しくないしまったく自慢できないが。


「あなた、誰?」

「がっ…… かひゅっ」


 抑揚のない声で問いかけられるが、首を絞められた状態で質問されても回答という選択肢は存在しえねーとかそういうようなことを強く言いてぇ!! なんとかこう相手の手を引き剥がそうと頑張ってはみるのだが、細腕の何処にそんな力があるのかビクともしない。

 首を絞めていたら声を出せないことにようやく気付いたのか、はたまた飽きたのか。俺が玄関灯の上辺りに旅立つ直前で、侵入者は手を離す。俺は無様に尻餅をつき、新鮮な空気を求めてゼイゼイと喘いだ。


「にいちゃーん。ごはんたべよー」

「ばっ…… だづっ、ぃげっ」


 間の悪いことに、龍樹が俺を呼びに顔を出す。俺はと言えば情けないことに、「馬鹿、龍樹逃げろ」と言いたかったのが今だ喉が潰れてて変な声しか出ない。

 それでも、なんとか侵入者の邪魔をしようと足下に体をずらした――腰が抜けて立ち塞がるとか無理――のだが、蹴り飛ばされてゴムボールみたいに床を転がる羽目になった。そのまま鳩尾を踏んづけられて呼吸が止まり、意識が急速に遠のいていく。

 ああ、やっぱ親父に応対を任せれば良かった……



「祐介さん、本当に申し訳ありませんでした」

「ごめんなさい」


 俺が目覚めると、そこは天国でも地獄でもなくてそろそろ見慣れてきた我が家のリビングだった。んでもって、聡子さんが俺に深々と土下座し、侵入者も一応は頭を下げているという訳の分からん状況になっている。

 ヒトを殺しかけといてゴメンで済むと思っとるのかねチミィ!! とか言いたいが侵入者の眼光が鋭すぎて何も言えぬ。俺がビビりなのではない、奴の眼光が鋭すぎるのだということを強く主張しておく。

 侵入者はどうやら聡子さんの言うことは素直に聞くようで、強く促されるともう少しだけ頭を低く下げ直した。まさか義母に不審者テイマーの能力があるとは、この岡の祐介の目を持ってしても見抜けなんだわ。

 親父と龍樹はテーブルの前から遠巻きにこちらを伺っている。親父もこの状況を上手く理解できていないようで、ビビり半分でこちらを眺めていた。一方、龍樹の興味は既にテーブルの上の唐揚げに移っており、今にもつまみ食いを始めそうだ。たっくん、義兄ちゃんもうちょっと心配してくれても罰当たらないと思うなぁ。

 総じて分かったことは、全く訳が分からんということである。ぶっちゃけ、謝罪とかよりも状況説明が欲しい。んでもって、たっくんがつまみ食いを始める前に事態の収拾を図りたい。

 つーわけで、とりあえず事情を知ってる人に聞いてみた。


「全く訳がわからないんで、出来れば一から事情を説明して欲しいんですが」

「実は……」


 聡子さん曰く、侵入者の名を(おか) 真琴(まこと)――旧名:愛川 真琴――と言い、約1年半前に行方知れずになっていた愛川家の長女だそうである。で、1年半ぶりに帰ってきた我が家に不審な男(つまり俺だ)が居たため、思わず手を出してしまったと言うことらしい。俺が気絶した後、龍樹が俺を庇ったのとその後の聡子さんの説明により誤解が解け、こうして謝罪しているとのこと。なんだ、たっくん心配してくれてんじゃん。

 行方知れずの娘さんが居るというのは、前もって聞いてはいた。元々こちらに引っ越すことになったのは、娘が戻ってきた時に路頭に迷わないようにと言う聡子さんの主張を受け入れたからでもある。一応、写真も見せて貰ったことはあるが、そこに写っていたのは入学したばかりの中学の制服に身を包み肩まである髪を後ろで纏めたはにかみ顔の女の子である。間違っても、ボロのマントに身を包んだ男みたいなベリーショートで眼光鋭い女暗殺者ではなかった。

 そもそもドアチェーンを引きちぎる時点で、好意的に解釈しても龍樹=コナーを守りに来た殺戮兵器である。俺の知る女子中学生からは何もかもが違っていると言わざるを得ない。聡子さんは騙されているんじゃないかと半ば本気で疑ったが、真琴ちゃん(仮)に睨まれて沈黙した。元コマンドーにガンくれられて勝てる奴だけが、俺を罵って良い。


「ま、まあ、とりあえず飯にしないか? 真琴ちゃんも帰ってきて、折角の一家揃っての食事なんだし、冷めたらもったいない」

「ねーちゃんとごはんー!!」


 親父が無理に頭と同じくらい明るい声を出す。聡子さんに対する配慮かはたまた恐怖からか、彼女を岡 真琴(New!!)と認めることにしたらしい。

 まあ、龍樹の方も彼女を姉と認めているようなので、恐らく血縁にしか分からない何かがあるのだろうと思っておく。後に5人の愛川 真琴候補が現れないことを祈るばかりだ。

 反対する大義名分も特にないので、誰とも無しにテーブルへと移動し、席に着く。普段俺が座っている場所をあっさりとボロマントが占拠したので、俺だけ半端なお誕生日席だ。先住者はあっちなので、その点について不満はない。親父と二人並んでいると、文字通り光と影のようである。どちらがどうとは言わないが。

 冷めてしまったご飯と味噌汁は温め直し、おかずは元々多めに用意してあったので各々好きなように取り分ける。使わないので奧に仕舞ってあった愛娘の食器を取り出す聡子さんの顔は、はっきり言って親父と結婚したときよりも嬉しそうだ。

 いただきますの挨拶の後に、みんな好きな物を食べ始めた。


「お母さんのご飯、おいしい……」


 真琴ちゃんが初めて感情らしき物を表に出した。約1年半ぶりの家族との食事であるから、纏っているのがボロマントであることを差し引いてもなかなかに感動的なシーンであろう。それは正に聖書に記された放蕩息子の帰還の一節にも似て、実際に食事を作ったのが誰かなんてのは小さな問題である。


「あ、それ私じゃなくて祐介さんが作ってくれたのよ。祐介さん、私より全然料理が上手くって、台所追い出されちゃった」

「にーちゃんのごはん、おいしー!」

「…………」


 感動のシーン、あっさり終了。聡子さんの気遣いとたっくんの無邪気さが五臓六腑に染み渡るでぇ。主に胃の辺りに。てか、そのネタバレ今必要ないよね?

 真琴ちゃんはギギギと音が聞こえてきそうな仕草で俺を睨みつけてくる。アカン、俺を見る目が、クサフグを見る釣り人の目だわ。「とりあえずムカツクからコンクリに叩き付けて殺しとくか」ってそういう目をしてらっしゃる。

 これは普段働いている聡子さんの負担を減らすために行っている義理の息子としての家族奉仕の一環であって、決して母娘の再会シーンに水を差さんが為の工作ではないことを主張したい。と言うか、誰かに主張していただきたい!


「おいしい」

「ああ、うん。それは良かった。今日はもう作っちゃったけど、リクエストがあれば明日にでも応えるよ」

「そう」


 精一杯の愛想笑いも、氷の仮面にはじき返される。おかしい、俺は家族のために食事を用意しただけなのに、どうしてこうなった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ