第7話 吸血貴族は世界地図がお好き
わけのわからないまま、ただなりゆきと勢いで女の子を自宅に住まわせる羽目になった不幸な高校生・柊雄斗。
その女の子が「普通の」子だったなら、彼も無気力な人間とはいえ年頃の男子だ。異性との「同棲」の中で胸の高鳴ることも緊張することもあったろう。
だがその女の子は「わらわと一緒にいられることをありがたく思え」と高慢この上ない態度で接してくる、食事の変わりに雄斗の血液を一日一回吸う、人造の人体「バイオロイド」だったのだ。
――何度思い返しても、彼女の成り立ちが理解できない。雄斗の胸にはいまだ数多くの疑問がうずまいていた。
イオネラ・シェーンベルク。
一四〇八年にトランシルヴァニアとかいう東欧の国で命を奪われた、吸血鬼一族の末裔らしい。彼女の言葉をそのまま信用するならば。
年齢は雄斗と同じ十六歳。
正確には生まれた日から数えれば六〇五歳ということになるのだが、亡くなって棺に閉じ込められてから、再びその魂が解放されるまではほとんど「眠っていた」ということだから、この世を生きてきた年齢はやはり十六歳、ということになる。
髪は肩まで長く、毛先にかけて動脈血のような明るい赤色から、静脈血のような暗い赤色へとグラデーションがかっている。
大きく開いた瞳は髪と同じ赤い猫目で、口を開くと血を吸うための八重歯がのぞく。
耳も心なしか、通常の人間よりも細くとがっているようにみえる。
だがそれもイオネラが「魔力」で生前の自分の顔立ちを形作っているだけで、元の顔はバイオロイド――ショートヘアの黒い髪に、シャープな輪郭、やや茶色みがかった瞳の、日本人女性に近いもののはずだった。
「だから魔力で変えておるのだと言っておろうに。疑り深いやつじゃな。人を信用できぬやつは、だれからも信用されぬぞ」
「だからって、いきなり『魔力』なんてものが信じられるかよ。そんなもの、架空の話の中だけの代物だっての」
「それならいくらでも変えて見せるぞ。ほれほれ」
そう言ってイオネラは雄斗に見せつけるように自分の顔とバイオロイドの顔を交互してみせる。
バカバカしい光景だが、これが手品でないことくらいは雄斗にも何となく分かった。
ただ、これまで彼がつちかってきた「常識」が「魔力」というものの存在を認めようとしないのだった。
「どうじゃ? これでもわらわが魔法を使っていないと言えるのか? ん?」
「ああ、もういい。分かったよ。魔力かどうかはわかんねえけど、とりあえずお前が自由自在に顔を変えられるのだけは認めるよ」
「それだけではないぞ? 本来なら人間をコウモリに変えたり、地獄の業火で物を焼き尽くすこともできるのじゃ。ま、わらわがこの体でしばらく暮らしておればしだいに魔力も戻ってこようから、そのときはおぬしをコウモリにでも変えてやろう。さすればおぬしも魔力の存在を全面的に認めることになるじゃろ」
「それは勘弁してくれって。……ってか何でお前、日本語がしゃべれるんだ? トランシルヴァニアとかいう国の言葉はどこいったんだ?」
「言霊じゃ」イオネラはニッと笑う。
「魔法の一種で、わらわの話す言葉の意をくんで相手の理解できる言語に変換するのじゃ。便利じゃろう? わらわも諸国を外遊する際にはよく利用しておる」
よく見ると、イオネラの言葉は彼女の口の動きと若干ずれている。
「い」と発音したのに口は「あ」になっていたり、「ん」と口を閉じても「え」と声が聞こえたり。
魔法がイオネラの言葉を変換する機能を備えている、と考えるしかなかった。
「まあ、わらわの魔力のことはどうでもよい。それよりも大事なことがある」
「大事なこと?」
「ここの主にあいさつをせねばならぬ。住むからには、先に面を通しておく必要があろう。この屋敷の主はどこじゃ?」
だから屋敷じゃないんだが、と思いながら雄斗は答えた。
「主はいねえよ。いまは一応、俺がこの家の主になってる」
「なぬ? それは驚きじゃな。その若さでこのような立派な屋敷に住んでいるとは……おぬし、もしや貴族の出か?」
「だからこの国に貴族とか無いんだって。まあ、金持ちですげえ豪邸に住んでるやつとかはいるけど、俺の家は普通だし。周りにもこれくらいの家はずっと並んでるだろ」
「まあ、そういわれればそうじゃな……。じゃが、『いまは一応』とはどういうことじゃ? おぬしのほかにこの家の主がおるのか?」
「俺の親父。いまはいねえけど」
「父君か。ふむ、なるほど。その父君はどこにおるのじゃ」
「仕事で海外赴任中。母さんもそれについていってる」
「なに……!?」
なぜかイオネラが驚愕の表情を浮かべる。いぶかしむ雄斗。
「どうかしたか? まあ、親父が海外にいくなんて俺も思ってなかったから、聞いたときはびっくりしたけど――」
「か、海外に……海の外ということは、こ、この国は島国なのか……!?」
「驚いてたのそこかよ! ああ島だよ。日本は島国だ」
「なるほど……読めたぞ! この国は『黒海』に浮かんでいるのじゃな! どうりでわらわのみたことのない文化が発達しているはずじゃ。そういうことなら納得じゃな!」
うんうんとうなずいて改めて周りを見るイオネラ。
こっかい、と聞いて雄斗は近くの壁に飾ってあった世界地図――小学生のとき父親が買ってきたものだ――を指差しながら少し探すと、イオネラに告げた。
「黒海ってのはこれか?」
「む? ……おお、書かれている字は分からぬが、海岸線と周りの地形から見ておそらくこれじゃ」
「ルーマニアがここだから、お前の国もこのへんだな」
「国境線がわらわの時代と違うが、おそらくそうじゃな。わらわの国は西のほうにあって、黒海には面しておらぬが。
……それにしても、この地図はスケールが大きいのう。わらわの使っていたものよりずいぶん黒海が小さく見える。世界がこのようになっているとは知らなんだ。……ところで、わらわのいるこの『ニホン』という国はどこにあるのじゃ?」
「ここだ」
雄斗が指差す先に、弓なりの列をなした島々が並んでいる。
それを見て、イオネラはきょとんとした。
「…………これはどこじゃ」
「だから日本だって」
「……この途方も無く広い海はなんじゃ?」
「太平洋だ」
「……このニホンの左にある巨大な国はなんじゃ?」
「中国だ」
「……この国は黒海にあるのではなかったのか?」
「そんなことはひとことも言ってねえよ」
「……わらわの国からこの国までは、馬車で何日ほどかかるのじゃろう」
雄斗は答えに窮した。
「いや……何日くらい、かな。たぶん半年とか……そのくらい」
「半年!? たわけ、そんな場所までわらわの棺をどうやって運んだというのじゃ? バカバカしい……平民の分際でわらわをだまそうとしても、そうはいかぬからな!」
ビシッ! と雄斗を指差すイオネラ。しかし雄斗は平然と言い返す。
「たぶん飛行機で運んだんだと思うけど」
「ヒコウキ? なんじゃそれは」
「空を飛ぶ輸送用の機械、って言えば分かるか」
その瞬間、イオネラはふき出した。
「プッ。そ、空を飛ぶなどと……ではその『ヒコウキ』とかいうものが、わらわの国からこの国まで空を飛んで運んできたというのか? あの大きな棺を?
ハハハッ、おぬしも面白い冗談を思いつくのう。空想の才能があるぞ。空を飛べるのは神と鳥だけと決まっておるのに」
……こいつ面倒くさい。雄斗は心底そう思った。
だが「ヒコウキ」について詳しく説明し出すとよけい話がややこしくなるだろうと、雄斗は自重して言葉を飲んだ。
「それより『あるじにあいさつ』とかは、もういいだろ。親父は海外なんだから」
「おお、そういえばそうじゃ。母君もご一緒なのじゃな。では仕方あるまい……。では、この家にはおぬし一人で住んでおるのか?」
「いや……一応、妹がいるには……いる」
と、雄斗の顔が急に複雑になる。イオネラはそれにかまわず好奇の目を向ける。
「妹がおるのか? ではぜひあいさつにうかがおう。いかに平民といえども、ともに暮らす者として面を合わせないのは気が悪かろう。早速案内せよ」
そう命令するイオネラに、雄斗はごまかし笑いをしつつ目をそらす。
「あー、妹は、いいよ。あいさつしなくても。大丈夫」
「なぜじゃ? いま家におるのじゃろう? 同居人と交流を図るのも、われら吸血貴族としての務めじゃ」
「その勤めを忘れて、今日のところはそっとしておいてくれねえかな」
明らかに態度が変わった雄斗に、イオネラは全く配慮することなくズカズカと迫る。
「妹がどうかしたのか? 何かわらわに会わせたくない理由でもあるなら聞くが……むっ! もしや重篤な病気にかかっているのではないじゃろうな?」
「いや、そういうわけじゃないんだが……いや、ある意味そうかもしれないけど……」
「? おぬし、急に言葉の歯切れが悪くなったぞ」
「そ、そんなことねえよ……気のせいだって」
うろたえる雄斗を、イオネラは細くした猫の目でじっと見つめる。
「怪しいのう……妹は隣の部屋か? とにかく一度会うことにしよう」
「ま、待て!」部屋を出ようとするイオネラを、雄斗が止める。
「いまは多分クエスト中だから、機嫌が悪いっつーか、なんつーか」
「くえすと? 何を意味不明なことを。言霊もうまく変換できておらんぞ」そうしてイオネラは部屋を出て、隣へ足を運ぶ。雄斗はすぐにその後を追いかけた。
「だから今はよくないんだって。また今度にした方が」
「ええい。ただ顔を合わせるだけじゃろうが。何をそんなに難しい顔をしておる。開けるぞ」
そしてイオネラは、雄斗の制止もきかず隣にある部屋の扉を開けた。
すると――
そこには、電気の消えた暗い部屋で、イスに三角座りの状態でひとりパソコンに向かう女の子の姿があった。




