第4話 吸血貴族はにぎりつぶすのがお好き
雄斗が思う間に、彼女は顔を「変身」させる。
するとまた、さきほどの猫目で赤黒い髪の顔に戻った。
動かないはずのバイオロイドがなぜか動いてしゃべっていること、手品のように一瞬にして全く違う顔になること、吸血貴族のシェーンベルク家とかなんとかよく分からない家柄を主張すること。
ひとつとして雄斗に理解できるものは無かった。
一体なんなんだこいつは……。
雄斗は対応に困り果てていた。その上。
「さて。おぬしの血はわらわの口に合うということが分かったから、いまから特別におぬしを召し抱えてやるぞ。ありがたく思え。おぬしは本当に幸運じゃな」
この太い態度。
ふだん温厚な、というより無気力な雄斗も、次第に腹が立ってきていた。
いきなり襲いかかってきてかみついておきながら、なにくわぬ顔で召し抱えてやるとか……一体どういう了見だ?
「……イオネラだか誰だかしらねえけど、他人にケガさせといてその言葉づかいはねえだろ」
「ケガ? おぬし、ケガをしておるのか? わらわにとっておぬしは大切な栄養源じゃからな。ここで倒れられても困るのう。どれ、わらわが一度みてやろう」
「だからここだよ、ここ!」
言いながら、雄斗は自分の首元を指差した。
もう血は止まっていたが、そこにはくっきりと二つ並んだ小さな赤い点が残っていた。
「ぬ? ケガらしきものは何も見えんが……鎖骨にヒビでも入っておるのか?」
「だから、お前にかまれたところだって!」
「なんじゃ、それのことか」
イオネラは蚊に吸われた痕でも見るような目つきで軽く息をつく。
「わらわがかんだところは薄い膜ができ、すぐに血が止まるようになっておる。再び吸うときだけまた血が出るから、心配せんでもいいぞ?」
「なにもう一度吸う気になってんだよ! もう吸わせるわけねえだろ!」
「ほほう、おぬしがそんなことを言える立場なのかな? わらわの力にかかれば、おぬしなど赤子の手をひねるようなものじゃぞ?」
イオネラが見せつけるように右手を振ってくる。
さきほど女性とは思えないほど尋常ならざる力で押さえ込まれた雄斗は、力に訴えてこようとする彼女に最大限警戒した。
今度は何をやってくるつもりだ。つかみかかられれば、こっちは抵抗できない。
常に一定の距離を意識して、雄斗はイオネラと対峙する。
そんな彼に対しイオネラは、雄斗の考えていることなど特段気にせず、ただ振っていた右手をとつぜん前へ突き出した。
「わらわの力ならば、このようなものでも簡単ににぎりつぶすことができるのじゃ」
そう言う彼女の手には、いつのまにか醤油のボトルがにぎられていた。
「――! おま、いつの間に!?」
さっき血を吸われたときだろうか。
雄斗は慌てていてすっかり手に持っていた醤油の存在を忘れていた。
「さて、実演して見せよう。これがおぬしだとすればどうなるか、想像してみるがいい!」
「やめろ! せっかく買ってきた醤油を――」
雄斗の制止も聞かず、イオネラは手にしていた醤油のボトルを一気ににぎり――
一気ににぎり――
一気――
「……ぬ」
イオネラが必死に握る。
だが醤油は、へこみはするものの、全くつぶれるようすがない。
「この……まさか魔力切れか……このっ、このっ……!」
右手だけでなく左手も使って押しつぶそうとする。
だが、べこべこいうだけでやはりなんともならない。
やがて、イオネラは額の汗を腕でぬぐった。
「ふう……これは何か非常に固く強力な材質でできているようじゃな。まさかわらわの魔力に耐え切るとは。おぬし、なかなかにとんでもないものを所持していたのじゃな。フ、しかしおぬしの体をとらえるくらいは造作もないことじゃ――」
「ってかお前、魔力切れなんだろ?」
「なっ!? おぬし、どうしてそれを……」
「今、それをつぶそうとしたときにぼそっと言ってたじゃねえか」
「わらわが? そんなまさか……そ、そんなことはありえぬ! 口からでまかせを言いおって! 誇り高き我ら吸血貴族が、おぬしのような平民ごときに弱みを見せることなどあろうはずが無い!」
と強がりながらも、イオネラの視線は右へ左へ泳いでいる。
どうやら彼女は想定外のことが起きるとすぐに周りが見えなくなるらしい。
エラそうな口調のくせにテンパるの早いなと雄斗は思った。
「なら、その醤油をつぶして見せろよ。自分で言ったんだろ」
「……だからこの醤油は、特殊な材質でできておるから簡単には」
「『魔力』とかいうのが無いからつぶせないんだろ。じゃあ、もう俺を取り押さえることもできないってことだな」
「な、なにを……決してそんなことは……」
「そんなことは?」
「そんなことは…………」
雄斗の詰問に苦し紛れの返答をしつつ、イオネラは視線を横にやる。
そして、急にせき払いを始めた。
「――あー、ゴホン。ウ、ウム。魔力が無いことは認めよう。しかしそれでわらわの尊厳が失われるわけでは決して」
「これ、もういいか」
あたふたとしているイオネラの手から醤油を奪うと、雄斗はそのままくるりと背を向けた。
「ま、まておぬし! わらわの許可無くどこへいく気じゃ!」
「家に帰るんだよ。じゃあな」
歩き始める雄斗。
最初はイオネラに対して「変質者?」や「妄執者?」など危険なイメージがあったが、いま明らかに焦っている彼女をみて、雄斗は危険性は無いと判断した。
さっきまでの怪力はなんだったのかとか、どうやって顔を一瞬で変えたのかとか、なんでバイオロイドの顔が出てきたのかなど、色々気になることはあるが、せん索するのは面倒だ。
自分と全く関係のない人間のことを探っても無意味だし。関わらないことが賢明だ。
無気力高校生の雄斗はそう思い、さっさと家に帰ることに決めたのだった。
「まつのじゃ!」
そこへ――
すがるように、イオネラが声をかける。雄斗が振り返る。
「んだよ。もういいだろ。お前にかまってるヒマはないんだって」
明らかに面倒くさそうな表情を浮かべる雄斗。
それに対し、イオネラはまたもやエラそうに胸をそらし、おまけに堂々と腕まで組んだ。
「フフ――仕方ない。そうまで言うなら、わらわがおぬしの家に住んでやってもよいぞ」
「は?」
急転直下。
予期せぬ言葉に一瞬何を言われたのか分からない雄斗。
だがイオネラはさきほどまでの戸惑っていた様子から持ち直し、尊大な態度で雄斗に相対する。
「本来なら最上級の身分であるわらわが、おぬしのような下せんの家には近づくことすら許されぬのじゃが、今回ばかりは事情が事情じゃ。どうしてもというなら、おぬしの家に住んでやってもよいと言っておる」
雄斗は聞かなかったことにして再び歩き出した。
「ちょ、ちょっと待て! 待つのじゃ!!」
振り返った雄斗に、イオネラは焦りの表情をなんとか隠して言い放った。
「フ、フフ……。緊張するのはよく分かる。わらわのような由緒正しい家柄の者が平民の家に住むなど、全く前例のないこと。じゃが、わらわは寛大な心でおぬしと、おぬしの家族に接することを約束しよう。
なに、少々のことでは罪には問わん。簡単なことじゃ。一日一回、おぬしの血を吸わせてくれればそれで――」
雄斗は聞かなかったことにして再び歩き出した。
「ちょ、ちょっと待て! 待つのじゃ!!」
振り返った雄斗に、イオネラはさっきより強い焦りの表情をなんとか隠して言い放った。
「フ、フフフ……。わらわは別におぬしの家でなくてもよいのだ。他にも候補はいくらでもおるからのう。じゃが、そこまで言うのなら住まぬわけにはいくまい。
ちょうどわらわもこの体にとりついてから拠点となる場所が見つからず困っておったのだ。おぬしにとっては幸運じゃったのう。そういうわけじゃから」
雄斗は聞かなかったことにして再び歩き出した。
「ちょ、ちょっと待て! 待つのじゃ!!」
イオネラはついに雄斗の前に回りこんだ。
その顔にはもはや隠し切れない焦りの色が浮かんでいる。
「住んでやってもいいと言っておるのに、なぜ無視するのじゃ?」
「は? だれが住んでほしいと言った?」
「おぬしが頼むなら住んでやってもよいぞ」
「だから頼んでねえって! ってかおかしいだろ。お前が勝手に住みたいって言ってるだけだろ」
「住みたいなどとは言っておらぬ。住んでやってもよいと言っておる」
「じゃあ別に住んでくれなくていいし」
「住んでやってもよいのじゃぞ」
「住みたいんだろ? そう言えよ」
「住んでやってもよいぞ」
「だから住みたいんだろ?」
「住んでやってもよい」
どうやっても偉そうな言葉づかいを変えないイオネラ。
無気力高校生の雄斗はだんだん対応が面倒くさくなってきていた。
「ってか簡単に住むなんていうけど、そんなすぐに知らない他人を自分の家に上げられるかって」
「なにを勘違いしておるのじゃ。由緒正しき吸血貴族であるわらわが下民のおぬしらの家でわざわざ足を汚そうと言っておるのじゃぞ。これほどありがたい話はないじゃろう」
「勘違いしてるのはお前だ。お前が何者か知らねえけど、この国じゃ貴族とか下民なんて身分は無いし、いくら家名を叫んだところでお前に頭を下げるやつなんていねえっつーの。
だいたいお前、さっき周りの人間につかまえられそうになって逃げてただろ。ホントに最上級の貴族とかいうんなら、なんでいきなり大勢の人間に襲われるんだ、とか考えなかったのかよ?」
「襲われる? ……おお、何のことかと思ったら、この体にとりついてすぐのことじゃな。あれは皆、わらわの圧倒的な魔力にあやかりたくて体に触れようと近づいてきただけじゃろう? あまりに急じゃったからつい何人か投げ飛ばしてしまったがのう」
こいつ、危機感ゼロだ。雄斗は心の中で嘆息した。
「それよりなぜそのことをおぬしが知っておる? あの場におったのか? しかしおぬしのような若い男は見なかったがのう」
「テレビで見たんだよ」
「テレビ? テレビとはなんぞや?」
テレビを知らない、とか。
これはいよいよほんとに古代から来た人間か、厨二病の行き過ぎたただの危ないやつかどっちかだな、と雄斗は思い始めていた。
「テレビは――遠くからでも現場の映像が自宅で見られる機械だ」
「遠くから……おお、もしや水晶玉のことか? おぬし、平民のくせにずいぶんと高価なものを所持しておるのじゃな。うむ、意外に商売に励む意識の高い平民じゃのう。感心感心」
だから平民じゃねえって、と雄斗は口にしようとしてやめた。
「おぬしの家にますます興味が湧いてきたぞ。これはぜひともおぬしの家に住みたい――」
「あ、いま『住みたい』って言ったな」
「……す、住んでやってもよいぞ」
ただの意地っぱりだな……。
だんだん面倒になってきて、雄斗は半分ため息まじりに告げた。
「……なら、とりあえずうちで事情だけは聞くけど」
「事情? わらわはおぬしの家に住んでやってもよいと言っているだけじゃぞ?」
「……そのへんも含めて、もろもろのことだ」
雄斗が答えると、イオネラはフフンと鼻を鳴らす。
「ようやくわらわを住まわせる気になったか。ま、当然のことじゃのう。おぬしの平民にしては失礼な態度は気に食わぬが、今回はわらわの寛大な心において見逃そう。よし、ひとまずおぬしの住まいにいくぞ」
それは全くもってこっちのセリフだと思いつつ、雄斗は色んな意味で正体不明の彼女を家まで連れていった。
――何でこんなことになったんだ、と心からのため息をつきながら。