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第3話 吸血貴族は澄んだ血がお好き

「……なんだ、もうすっかり暗いな」


 雄斗が家の外に出ると、日は完全に落ち、代わりに黄色く光る丸い月が顔を出していた。


 夜。多くの者が活動を終え、帰途に着く時間。

 雄斗はだらだらとクツをはき、外出しようとしていた。

 テレビを見終えた後、夕飯をつくろうとして冷蔵庫から材料を出し、食材の下ごしらえをしていよいよ調理というところで、醤油を切らしていたことを思い出したのだ。


 がらにもなく「ぶり大根」を作ろうと思ったのが間違いだったと雄斗は悔やんだ。

 いつもは素早く簡単にできる炒め物で済ますのだが、たまには煮物でもしてみるかと思ってブリと大根を適当な大きさに切って煮ようとしたところで、味付けに使う醤油がないことに気づいたのだった。


 頭の中にある数少ないレシピをひっくり返してみても、醤油を使わずブリと大根で作る料理が見つからない。

 せいぜい「ブリの塩焼き おろし大根添え」くらいのものだ。

 それにしたって、いま切った大根を全ておろせば、ブリより大根の方が多くなってしまう。「おろし大根 ブリの塩焼き添え」だ。

 そして大根に味を付ける醤油は無いのだから処遇に困る。


 ……余計なことは考えず買いに出かけよう。

 雄斗は入り口の扉を押し開け、まだ新緑の香る五月の町へ出ていった。


 家から徒歩十分ほどのところにあるスーパーで醤油だけを購入し、雄斗はやれやれと帰途につく。

 夕飯を食べたら宿題に手をつけて、あとはテレビかマンガでもながめながら寝る時間まで過ごす。

 いつもどおりの、かわり映えしない日々。

 特に面白いことがあるわけでもなく、必死に目指している何かがあるわけでもない。

 ただ無為に学生という時代を食いつぶしているだけだ。


 一応、高校くらい出ておかないとな。ただそのため――学歴のために通っているだけ。

 いや、学歴のため、とも考えていない。

 ただみんなが通っているから、なんとなく自分も通っているだけ。


 雄斗は力の無い瞳で、醤油の入ったビニール袋を手からさげて歩く。

 角を曲がり、ひとけの無い暗い道を進む。

 ここを抜ければ家に着く。そうすれば、いつもの食べて寝るだけの生活。

 自分を待っているのは、それだけだ。


「……疲れたな」


 なんとなくそんな言葉が雄斗の口をついた、そのとき。

 暗闇に、二つ並んだ光が妖しくきらめいた。


 開いた光は宙をさまようように雄斗の背後へふらふらと近づいてくる。

 力が無く、どこかうわついた動き。その気配に、雄斗は全く気づかない。

 うつむき加減でとぼとぼと歩く彼に、光る両の目が――その光は瞳だった――きゅっと細まる。

 狙いを定めたかのように雄斗の背中をにらみつけると、その瞳の主は、勢いよく地面を蹴り出し闇の中を突き進んだ。


 そして――

「それ」は、夜道を歩いていた雄斗へ背後から急に飛びかかった!


「おわっ!?」


 驚く雄斗。反射的に振り払おうとするが、「それ」は強く彼の肩に無理やりつかみかかる。


「いって……なにすんだよ!?」


 さきほどまで無気力に表情を沈ませていたのが一変、雄斗の顔は緊張でこわばる。

 つかまれた肩をふりほどこうと必死に力を込めるが、相当な腕力を有した男なのか、まるでびくともしない。

 変質者か? それとも通り魔か――。

 それにしたって、なんで俺なんかに――!

 雄斗の胸に不安がよぎる。

 どこかに連れ去ろうとしているのか、いや、それ以前に刃物で刺すつもりなのか――いずれにしろ、これは明らかに普通じゃない。

 胸を駆け上がる恐怖に、雄斗は襲いかかってきた謎の人物に上体を振り回して必死に抵抗する。

 だがその男は異常に強い力で彼の動きを徐々に封じていく。


 すると。

 雄斗の首筋に「チクッ」と針のようなものが刺さる感触があった。


「――っ!?」


 刺された――?

 雄斗はますますもがく。

 半分パニックのような状態になり、首を必死に振りながら離れようとする。

 だが今度は首の動きを抑えようと「それ」の手が動く。

 そのとき、わずかに雄斗の体を抑えていたもう片方の手が緩んだ。


「――!」


 拘束をふりほどき、雄斗はすぐさま駆け出す。

 十メートルほど走ったところで、彼は自分を拘束していた男が追いかけてこないか心配になり、少しだけ後ろを振り返った。


「――あれ?」


 そこで、恐怖に固まった表情から一転、雄斗の顔がきょとんとする。自然と足も止まる。

 彼の目に映った光景。

 暗闇の中で偶然そばにあった街灯に照らされた襲撃者の全身。

 一応、人並みに高校生男子の体力はある彼の体を無理やりつかんでいたのは、当然屈強な大人の男だと思っていた。

 だが、そこにいたのは――

 見た目にも華奢きゃしゃな、自分よりも背の低い赤髪の女の子だった。


 白のワンピースに、ヒールのやや高い水色のクツ。

 髪は肩まで伸びるつややかなセミロング。

 街灯の光では分かりにくいが、髪の色は赤黒いようだ。

 顔を見るとギラついた大きな猫目が目立つ。

 瞳の色は髪色と同じく暗い赤色。

 やや童顔だが、顔つきは雄斗と同じくらいの年齢に見える。


 あんな小さく細い子が、俺をはがいじめにしていたのか……?

 一瞬、雄斗は理解できなかった。

 確かにさっき、必死に抵抗したにもかかわらず、びくともしないくらいの強い力で押さえ込まれていた。

 それを、あの子が――。

 頭の理解が追いつかずあっけにとられる雄斗。

 その彼へ、女の子は大きな猫目を妖しくまたたかせた。


「――フム。この『味』は興味深い」


 初めて、彼女が口を開く。


「これまでのやつらの血はマズくて吸えたものではなかったからのう……。おぬしの血なら、わらわの舌を満足させることができるぞ」


「血……?」


 言われ、思い出したように雄斗は左の首筋を手でなでた。

 チクリと痛む傷が二箇所。手を見ると、少しだが血がついている。

 混乱のあまり首を刺されたと思っていたが、どうやら傷は浅いようだった。

 だが、この傷はどうやってつけたんだ。

 雄斗はその答えを、彼女の口元に見つけた。


「久しぶりに戻ってきたこの世界の風俗に戸惑うばかりであったが――フフフ。これでようやく腰を落ち着けることができるというものだ」


 なにやら意味不明の内容をつぶやいている彼女の「フフフ」のところで開いた口を見て、雄斗は気づいた。

 目立つ八重歯。長く伸びた犬歯の周りに、からみつくように赤い血が付着していた。

 雄斗は直感した。

 あれは俺の血だ。間違いない。

 あいつは、俺の首筋にかみついたんだ。

 暗闇の中で急に俺の背中に飛びかかり、あいつは俺の首に犬歯を突き立てた。

 まるで吸血鬼が獲物の血を吸うように。


 雄斗は青ざめた。

 なぜかこちらの顔を見てニヤニヤする彼女。

 見知らぬ他人の首筋にとつぜんかみつき、その血をなめて「おいしい」と笑う女。

 自分より小さい女の子だと分かりおさまりかけていたはずの恐怖のメーターが、再び上がり始めた。

 ――やっぱり、あいつは変質者だ。間違いない。


「む? どうした、わらわの顔に何かついておるか? やけに苦々しい顔をしておるな。――ちょ、ちょっとまて」


 逃げようと背を向ける雄斗を、彼女は呼び止めた。


「どこへいくのじゃ? 話はまだ終わっておらぬぞ?」


 戦国時代の姫君のような古くさい話口調。

 とつぜん見知らぬ人間に襲いかかり血を吸う行為。

 厨二病にしては度が過ぎている。

 雄斗はこれ以上関わらないでおこうと徐々に距離をとるが、そのたびに姫君は逆に距離をつめてくる。


「逃げずともよいでは――ははあ、なるほど。さてはわらわが何者なのか分からずに困惑しておるのじゃな? ま、このわらわの容ぼうで血を吸うといえばおおよそ察しがつくと思うが……仕方がない。おぬしにだけは特別に正体を明かしてやろう」


 そう言うと、彼女は誇るように胸を張って堂々と言い放った。


「わらわは吸血貴族シェーンベルク家の跡取り娘にして、トランシルヴァニア公国エミオール州の第一主権者、イオネラ・シェーンベルクなるぞ! どうじゃ、腰が抜けたであろう!」


 ハッハッハッハッハッ! と腰に手を当てて笑う。

 ――完全にアブナイやつだ。

 雄斗はその場からそっとはけようと後ずさった。


「ぬ。おぬし、その目はまだ信用しておらぬな? 魔法を操る吸血鬼・シェーンベルク一族はもはや庶民の間では伝説となりつつあるからのう。信じられぬのも無理はない」


 いや、伝説以前にそもそも他人の血を吸おうとする行為が信じられないんだが。

 雄斗の思いを知ってか知らずか、イオネラと名乗った女は心得たかのようにうなずいた。


「ならば、わらわの高貴な身分を証明すべく、その魔力の一端を見せてやろう。ありがたく思え」


 そう言うと、彼女の頭部――首から上が急に霧のようなものに包まれた。

 もやがかかったかのようにぼやける彼女の顔。

 だがそれも一瞬のことだった。

 霧が解け、そこに見えたのは――

 さきほどの彼女とは似ても似つかない、若い成人女性の顔だった。

 いや。成人女性の顔、というには語弊があった。

 確かに見た目は完全に女性だった。

 ショートヘアの黒い髪に、シャープな輪郭。やや茶色みがかった瞳。

 暗赤色の猫目だった最初とはまるで違う女性の顔がそこにはあった。

 しかし――


(あれ? これって……)


 雄斗には見覚えがあった。

 ついさっきまでテレビ画面に映し出されていた女性の顔。

 それが、彼の目の前に出現していた。


 人間、ではない女性。バイオロイドの顔が。


 間違いなくそれは、テレビ中継でリポーターのアイドルが紹介していたバイオロイドの顔だった。

 皮膚や骨、内蔵機能まで、人間と同じ形でつくられている世界初の人工人間。

 顔は人間そっくりに作られ、ただ座っているだけなら人間と何一つ変わらない。

 ただし自発的に話したり動いたりすることはできない、はずだった。

 それが、テレビでやっていたように、普通の人間と同じように目と口を動かしている。


「どうじゃ。このような変身能力をもつのは我ら吸血鬼の一族だけということは、おぬしも知っているじゃろう? フフ、あまりの衝撃に言葉を失ったか」


 変身能力があるかどうかよりもバイオロイドがしゃべっていることに驚きを感じている雄斗は、思わず本音を発した。


「……ってかお前、人間じゃなくてバイオロイドだろ?」


 雄斗がそうつぶやくと、彼女は首をかしげた。


「バイオロイド? 何をわけのわからぬことを。わらわはシェーンベルク家の跡取り娘にしてトランシルヴァニア公国エミオール州の第一主権者、イオネラ・シェーンベルクだと言っておろうに」


 いや、お前の言ってることの方がわけわからんのだが。雄斗は思った。


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