第2話 吸血貴族は自我のない体がお好き
とつぜんのハプニング。周りが一気にざわつく。
初老の男性が彼女に駆け寄っている。彼が後でヴァンパイアについて解説するはずだった学者なのだろう。
雄斗には何が起きたのか分からなかったが、どうやらカメラが棺の内部を映している最中にミナミナが急に気を失ったらしい、という推測はできた。
「君。しっかりしたまえ、君!」
学者がミナミナの体を揺さぶる。番組のプロデューサーらしき男性も彼女のそばに走る。
その映像を、カメラはずっと中継していた。
ほどなくして、ミナミナは目を開けた。どうやら気がついたようだ。
ミイラを見たショックで倒れたんだろ。雄斗にはそうみえた。
皮に引っ張られたようなしわだらけの体。落ちくぼんだ目。浮き出たろっ骨。
あんな風になった人間を間近でみれば、火葬された骸骨をみるよりインパクトは強いかもしれない。
後ろ手で床を押し、彼女は上体を上げた。
さきほどまでの陽気な顔つきとはうってかわり、何が起きたか分からないような、どこか寝ぼけたままの表情。
「ミナミナ、だいじょうぶか?」
プロデューサーらしき男性が、心配そうにミナミナの肩に手を置こうとする。
だが。
「――さわるな!」
突然――
ミナミナは強い口調で言い放ち、男性の手を払いのけた。
周囲が一瞬ざわつく。だがそれにかまわず、彼女は目の前の男に告げた。
「わらわの体に気安く触れるとは……おぬし、わらわをシェーンベルク家の跡取りと知っての狼藉か?」
元気系アイドルの雰囲気から一転、どこかの貴族令嬢ででもあるかのような尊大な態度。
そして、周囲の人間を寄せ付けない警戒心に満ちた目つき。
明るいみんなのアイドル・ミナミナは、まるで人が変わってしまったかのような厳しい表情であたりをにらみつける。
「ど、どうしたんだ、ミナミナ。急に怒り出したりして……」
「なれなれしい顔で近寄るな! おぬしらなど、わらわの魔力でいますぐ全員コウモリに変えてやってもよいのだぞ!」
豹変した彼女に戸惑う関係者ら。「きゃー! これですかぁ? ってか鬼サイズなんですけど!?」などと言っていたさっきまでとは明らかに様子が違う。
いったい彼女の身に何が起きたのか。
周囲の人間が心配する前で、今度は急に彼女が胸を押さえ始めた。
「ウ゛っ……苦し……い……」
前へかがみ込むミナミナ。
呼吸が乱れているのか、口を開いたまま一気に顔が青ざめる。
「この体はだめじゃ……意志が……強すぎる……。違う……体に……」
肩を小刻みにふるわせながら、弱々しく彼女が立ち上がる。そして必死の形相で辺りをうかがう。
何か命に関わるほどの重要なものを探し求めるように。
……この映像は一体なんなんだ?
雄斗はリモコンの電源ボタンを押すのも忘れ、すっかり興味を引かれていた。
これは彼女の芝居だろうか。視聴者へのドッキリ企画とか。本当のトラブルならそろそろ中継を中断してもいいはずだ。
だがテレビは豹変したミナミナの様子をいつまでも克明に映し出している。
雄斗がクギづけになっている目の先で、ミナミナはいきなり走り出した。
周りの人たちが止めようとするが、それを素早くかいくぐって会場の外へ出る。
辺りを見回し、何かをみつけたように目を見開くと、彼女はそれへ向けて一直線に駆けていく。
彼女の走る先には、日本とアメリカの合同研究により開発された、人間そっくりのバイオロイドがあった。
直立した状態で展示されているその人造人間は、何度見ても普通の女性にしか見えない。
こんなのが将来、街中を歩いているのかと思うと、すごいことだと感じると同時に少し怖い気もする。雄斗はそんな感想を抱いた。
カメラがミナミナを追う。
彼女は吸血鬼のコーナーとは正反対の真っ白な展示室へ足を踏み入れると、そのまま最新技術の叡智が詰まったロボットのところへ――
行こうとし、そのバイオロイドを囲んでいる侵入防止のロープに引っかかって派手にすっころんだ。
どんがらがっしゃん! と展示品を巻き込み、倒れ込むミナミナ。
周りの解説用看板も、付属の部品も、ロープに引き込まれて地面に落ちる。
バイオロイドのいた台は元々やわな素材でできていたためか、ミナミナの突撃でぐしゃっと押しつぶされていた。
倒れた衝撃からか、ばったりと気を失ったミナミナ。
バイオロイドの体を押し倒した格好で、ぴくりとも動かない。
カメラがようやくバイオロイドの展示場に到着する。走って激しく揺れていた映像がようやく落ち着く。
番組のプロデューサーはまだ若く、この事態にどう対応すればよいのか分からないようで、ひとまずミナミナに駆け寄っているがかなりぼう然としていた。
本来なら中継を戻すべきところが、その決断もつかないでいるようだった。
「ミナミナ、大丈夫ですか? えっと、これは……とりあえずスタジオにいったん戻しましょうか?」
アナウンサーの男性の心配そうな声が入る。
「そうですね、いったんこちらに……ミナミナ、そうとうショックだったんでしょうか」
とアシスタントの女子アナの声も入る。
現場は混乱し、ひとまずミナミナの唐突な行動の収拾に追われているようだった。
そして中継からスタジオへ画面が切り替わるか、というところで――
むっくりと、ミナミナが起き上がった。
「あっ、気がついたようですね。ミナミナ? こちらの声は届いているでしょうか?」
スタジオの男性アナが呼びかける。
現場のプロデューサーも小声で「ミナミナ、ミナミナ!」と声をかけているようだ。
すると――
「いっっっっったーーーーーーーーーーーーーーーーーい!!」
ミナミナが額を両手で押さえつつ、盛大にさけんだ。
「頭になにかぶつけたんですけどー!? ってあれ? ヴァンパイアの棺はどこに……うわ、なにこれ、さっきのば、ばいおろいど? の展示場が無茶苦茶に……こ、これどういうことですかっ!?」
戸惑った様子でミナミナが周囲を見回す。
自分のしでかしたことを把握していないような、何もかも記憶にないといった様子で。
中継はまだ続いている。
雄斗は普段テレビをよく見るほうだ。授業が終わってまっすぐ家に帰り、宿題もろくにしないで、マンガを読むでもなく、ゲームをするでもなく、パソコンに向かうでもない彼が夕食をつくる時間までやることといえば、テレビを観ることくらいしかないのだった。
その彼が観て、いまの映像はあきらかにトラブルであり、異常だった。
アキバ近くの多目的商業施設「りんかなシティ」で行われる二つのイベントの告知。この中継はただそれだけのものだったはずだ。
だが事態は「ヴァンパイアの棺をあけたとたん失神し、目が覚めたかと思ったら人が変わったように周りをにらみつけ、いきなり苦しみ出して隣の会場のバイオロイドにつっこんだ」というミナミナの行動によってあらぬ方向へ突き進んでいる。
そして当の本人は――
「ヴァンパイアのミイラはどこに――きゃーっ!? 展示品がめちゃくちゃに……ああ、看板も折れ曲がって……っていうかバイオロイドがミナミナの下敷きにっ!? ……す、すみません! すぐにどきますっ!!」
何が起きたのか全く分かっていないという状況。
(演技……じゃねえよな)
雄斗は彼女の様子を見て、そう感じた。
あれは素だ。わざとじゃない。
ミナミナは本当に、記憶を失っているらしい。
じゃあ、さっきのあれは、一体なんだったんだ?
そう雄斗が思っていたら――
「えっ……?」
立ち上がったミナミナが驚く。
彼女の目の前で、もう一人起き上がった者がいた。
上体を起こし、片ひざを曲げ、そのまますっと立ち上がる。
――バイオロイド。
「あのー……バイオロイドさん?」
ミナミナが首を傾げながらつぶやく前で、人間そのものの人造人間が立ち上がっている。
そして「彼女」は両手の感触を確かめるように、ぐっぱ、ぐっぱさせる。
「――この体なら、大丈夫じゃな」
声が――
バイオロイドから、高くしっかりとした「声」が発せられた。
口が動き、言葉がつむぎ出された。
その「声」を、周囲の人間は確かに聞いた。
そして、この放送を視聴している者――雄斗の耳にも、確かに入った。
バイオロイドが――しゃべった。
「ふむ。この体には驚くぐらい自我が無いな。これならわらわも心地よくおれるというものだ」
ふふっと微笑む。動かないはずの人造人間に、人間特有の感情が宿っていた。
「さて。体は手に入ったことだし、これからどうする――」
とたん、彼女が顔をしかめた。
「う……どうしたことじゃ。こ、この体は……血が極端に少ないではないか……すでに餓死寸前になっておる。一体どうなっておるんじゃ……」
今度は顔を引きつらせ、よろよろと歩き出す。
周りはただあっけにとられているだけ。動くはずのないバイオロイドが、表情をつくって、しゃべっているのだから、それも当然だ。
人間とほぼ同じ構造――内臓や、血管を再現している点では、人に近い。
だが言葉を発したり、表情を変えたりすることは、この人造人間――バイオロイドには組み込まれていない機能のはずだった。
そんなとんでもないものを前にして、ミナミナはつぶやいていた。
「体とか、血とか……バイオロイドさんは、もしかしてホラー系ですかっ?」
「ほらあけい? ほらあけいとはなんじゃ――ぬ? おぬし、さきほどわらわが取り入り損ねた体ではないか。おぬしのような自我の強い者を相手にしていては――」
バイオロイドがさも人間のように応答していると――
いつのまにか周りをスタッフが囲んでいた。
彼らの背後では「あれ、しゃべるんでしたっけ?」「いや、そもそも動かないですし……」「じゃああれは一体どういう……?」「とりあえず取り押さえた方がいいな」というつぶやきが聞こえる。どうやらお偉い方の声らしかった。
「む? もしや、お前たちはわらわをとらえようというのか?」
そういうと、バイオロイドは動くはずのない表情を不敵な笑みに変えた。
「フフ……人間とは無能よのう。お前たちごときが崇高なるヴァンパイアであるわらわにかなうはずがないではないか。それ、みせしめにお前たち全員をコウモリに変えてやろう。わらわの偉大な魔力の前にひれ伏すがよい。
――メディウロスキアデル・オウファ・デ・ミロ・テルーズガ・ロキルリア!」
突如として言い放つと、彼女は右手を勢いよく突き出した!
完全に決まったという顔つきの自称・ヴァンパイア。
これで周囲の人間は全員コウモリに――
――だが、なにも起こらない。
「……ぬっ」
彼女が目をぱちくりさせる。
「どういうことじゃ。魔力が……ガーネットの力が出ないではないか」
何度も右手をえいえいとばかりに突き出す。しかし手先からはいっこうに何も出てくる様子はない。
彼女が自分の掌を広げてながめる。手の甲に返して見る。だがそこにはただ人に限りなく近い皮膚があるだけだった。
「手は普通の手じゃのう。魔力を阻害するような手袋などはめてはおらぬ。ではわらわの魔力自体が少ないのか」
「取り押さえろ!」
おそらくさきほどつぶやいていた「お偉い方」の一声で、周りのスタッフはいっせいにバイオロイドを押さえにかかった。
「ぬおっ!? おぬしら、いきなり襲い掛かってくるとはひきょうじゃぞ! わらわは一人なのに――こら、やめんか痴れ者め!」
やっと騒動がおさまるか。そう雄斗が思っていたら――
バイオロイドはスタッフの一人をもちあげ、軽々と投げ飛ばした。
次に近づいたスタッフの腕をつかみ、引っ張り投げる。
宙を舞う二人の男。びったーん、と床に倒される。
一瞬、その場の空気が凍る。だがバイオロイドだけは当然だとでもいうように顔をしかめる。
「おぬしらなど、魔力を使わずとも勝てるわ。人間ふぜいがわらわに触れようとするなどもってのほかじゃ。力量の差を思い知り――こら、おぬしらよってたかってわらわを取り押さえようなどとは……や、やめんか!」
周囲のスタッフらとバイオロイドがもみあいになる。
戦況は一方的かと思いきや、バイオロイドは驚異的な力でつっかかってきた男たちを放り投げ、張り倒していく。
そうした攻防が続いていたところで――
中継が終わった。
画面がスタジオに戻る。
明らかに戸惑った表情のメインキャスターとアナウンサーが、番組を取りまとめようとしてたいしたことも言えずそのままCMに移った。
――いったいなんだったんだ、今の。
雄斗はぽかんとしたままCMをながめる。
そこには、いまレポーターを務めていたミナミナが白のキャミソール姿で「プリスト! バニラウエハース『キャラメリゼ』新発売♪」と笑顔でお菓子を食べる映像がうつっていた。