第21話 吸血貴族はCSOがお好き
イオネラはすぐさまリビングを出て、階段の下で待つ。
はたして、ツグミが心底うんざりしているというような目つきでイオネラの方をにらんだまま下りてきた。
「……なに」
ニヤニヤしているイオネラの顔を、気味悪そうに見やるツグミ。
その顔はいつもにも増して血色が悪く、目のクマはもはや肌の模様になりそうなくらい定着していた。
桃色の髪はセットもされずぼさぼさで、唯一オッドアイの瞳だけが最後の光をぎりぎり保っていた。
そんな彼女へ、イオネラは好奇心に満ちた赤い猫目を向ける。
「おぬしがやっておるゲームはたしか『クライシスソード・オンライン』じゃったな?」
「そうだけど……それがなに」
「ふむ。偶然の一致とはおそろしいものじゃ」イオネラはクククとおかしさをかみころしたような笑みを浮かべる。
「なにその気持ち悪い笑い。……用が無いならもう私、疲れているからサプリとりにいきたいんだけど」
「待て待て。そのゲームの進行役の妖精に、新たな声優が加わるという話は知っておるか?」
訊かれ、ツグミは少しの間、思い出すようにしてから答えた。
「……ああ。ミナミナ、だっけ。最近売り出し中のアイドル。よく知らないけど。それがどうかしたの」
「ククク……聞いて驚くな」
イオネラはわざとらしく間をあけてから、堂々と声を上げた。
「わらわは、その妖精を演じるミナミナと友だちなのじゃ!!」
ハッハッハッハッハッ!! と勝ち誇ったように笑うイオネラ。
「どうじゃ! 腰が抜けたであろう!! わらわの人脈の広さにせいぜい戸惑うがよい!!」
「……いや、あなたの話で腰が抜けたこと、ないんだけど」
イオネラの期待を裏切り、冷めた表情のまま平然と通り過ぎるツグミ。
「ちょ、ちょっと待つのじゃ! なぜ驚かぬ!?」
「別に……ミナミナとか、どうでもいいし」
「どうでも? おぬしのゲームで出てくるのじゃぞ? どうして気にならぬ?」
「そのアイドルがやる妖精って、初心者用のだし。どうせ客寄せでしょ? 私がお目にかかることなんてたぶんないよ。それに――」
ツグミがイオネラを振り返る。
「ミナミナが友だちだなんて話、信じるわけないじゃん。またそうやって私に話を合わせようとしてるだけでしょ。みえみえだよ」
はき捨てるように言うツグミに、イオネラは憤然とした。
「おぬしもとことん疑り深いのう。魔術師には人を疑ってかかる者が多いとはいえ、あまりに極端じゃぞ。もう少し人を信じることに勇気をもたぬか。人を信じぬ者は、他人からも信用されぬぞ」
「バカじゃないの。そんな話、私じゃなくても信じないって」
そう言ってツグミは台所の棚から錠剤の入ったビンを二種類ほど持ち出し、冷蔵庫をあけてスポーツドリンク・ペカリスエットのペットボトルを取り出すと、イオネラには目もくれずすたすたとまた階段をのぼっていく。
「ツグミよ」
イオネラが呼ぶ。ツグミがわざとらしくため息をつきながら、イオネラを見下ろした。
「なに? もういい加減にしてよ。私、いまから大切な最終クエストが――」
「おぬしは『クライシスソード・オンライン』の三大魔術師の一人なのじゃな? そっちの名はなんというのじゃ?
たしか、魔術師となる者には親からつけられたもの以外に別の魔術師としての名『師名』が与えられるはずじゃ」
「なんであなたにそんなこと答えなきゃいけないの」
「ただの興味じゃ」
そう答えるイオネラの顔を、ツグミは見る。
なにかを企んでいる様子でもなく、なにかを探ろうという雰囲気でもない。
イオネラの目はいつも純粋に自分の心を探ろうとする。それは小さな子供がたまに問いかける素朴な質問に似ていた。
ツグミにはそんなイオネラの心が、ひどく純心で、ゆえに残酷なものに感じられた。
一瞬迷ってから、ツグミは小さくつぶやいた。
「……クローディア、だけど」
「クローディア、か。よい名じゃな。せいぜい大切にするがよい」
「なんであなたにそんなこと言われなきゃ――やば、クエスト始まる」
ツグミは気がついたように顔を上げると、すぐさま階段を駆け上がっていった。
そして自分の部屋に入ると急いで扉を閉じる。
イオネラはその後姿を見上げながら、うなずいた。
「――前よりは、あやつもわらわと話してくれるようになったのう。以前はまるきり無視するだけじゃったのに」
ツグミと少しでも話せたことに手ごたえを感じつつ、イオネラはリビングに戻る。
だが結局のところ、「クライシスソード・オンライン」についてはいまだによく分からないままだった。
ツグミが狭い自分の部屋で一日中取り組んでいるのは「パソコン」という代物を使って、遠く離れた人間たちと連絡をとりながら、仮想空間でおこなう「ゲーム」。
イオネラに把握できているのは、いまのところそこまでだった。
「もう少し詳しく知る方法はないものか……」
考えにふけりつつ、リビングに戻るイオネラ。
ついたままのテレビでは、まだミナミナが出演していた。ゲームの宣伝から引き続きミナミナが次のコーナーの対応をしている。
画面の右下には、「最近気になる人は? ミナミナの場合」の文字があった。
「最近気になっている人は、じゃあ浪山さん、ってことでいいのかな?」
いつのまにかスタジオのイスに座り、細いカウンターのような白いテーブルにひじを置きながら、ちりちり頭の司会の男性が尋ねる。
それに対し、ミナミナは珍しく神妙な面持ちで答えた。
「それがそうじゃないんです~。もちろん浪山さんは声優さんとして気になりますけどー……それとは別で、もっと気になってる人が最近急浮上してきたんですよー!」
「へえ! それはだれかな?」
「イオちゃんです」
「……イオちゃん?」
「はい! イオネラ・シェーンベルクっていう人で、この前、偶然アキバのコスプレショップで会ったんですけど、もうミナミナのハート、全部もっていかれたんですよ~!」
「イオネラ・シェーンベルク……外国人の方かな?」
「東欧の人らしいんです。それもものすごく身分の高い人だって……それよりミナミナが魅かれちゃったのは、イオちゃんが、吸血鬼ってことなんです~!」
「吸血鬼?」
「はい! ほんとなんですよ? ほんとに実在する吸血鬼なんですよ? すごいでしょ?」
ミナミナの発言に、司会の男は明らかに困ったような表情をみせた。
「あ~、なるほどわかったぞ。何かのアニメのキャラなのかな?」
「違います! ほんとに吸血鬼で、それも貴族なんですよ~! 東欧の……なんだっけ、国名は忘れましたけど、とにかくすごい人なんです!」
「吸血鬼って……いやいや。それはミナミナの妄想じゃないの?」
「妄想なんかじゃありませんよー! イオちゃんはほんとにほんとに吸血鬼なんです!! だからミナミナ、真っ先に連絡先を交換して――まあ、でも連絡しても返事くれないんですけど」
「そうなの? メールとか?」
「はい。出会ってからミナミナ、毎日イオちゃんにメール送ってるのに、全然返事くれないんです。それでも送り続けていたら、先日メルアド変えられちゃったみたいで、返送されてきちゃうんです。
……ミナミナ、嫌われたのかな。それも含めて、すごく気になる人なんです……」
沈んだ表情のミナミナに、司会の男性は顔を引きつらせている。
「えー、深刻な感じになってるけど……あ、もう時間?
ではとりあえずミナミナはいったんここまでだけど、またあとのコーナーにも来てくれるから、みなさんお楽しみに! じゃあCMいこうか!」
多少無理やりな感じで、テレビ画面はCMへ移った。
イオネラはそれをながめてから、雄斗の置き忘れたスマホに目を移す。
「……メールを毎日送っている、と言っておったが、履歴には無いのう。ぬう、ユウトめ。どういうことか問いたださねば。
それより――クライシスソード・オンラインについて、ミナミナに訊くという手もあるな。いままで思いつかなんだ。よし、こちらから連絡をとってみるとしよう」
イオネラは雄斗のスマホを手に取ると、スマホを指で上へ下へなで、ミナミナの電話番号をたどった。
「通話」のボタンを押し、イオネラは耳にスマホをあてる。
最初はスマホで電話をする際、イオネラはスマホ相手に正面から話しかけるような持ち方で使用していたが、いまでは彼女も現代人にならったスマホの持ち方を覚えていた。
ガチャッ、という音が聞こえる。相手が電話をとったことを確かめると、イオネラは口を開いた。
「ミナミナか。ひさしぶりじゃのう。イオネラじゃ――」
「キャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
通話が切れた。
あまりの嬌声に思わずイオネラはスマホから耳をよける。
しばらく時間をおいていると、今度はミナミナの方からイオネラへ電話がかかってきた。
「うむ。イオネラじゃぞ」
「ほんとにイオちゃんだ!! ひさしぶりーーーーーー! 元気? 元気? 元気だった!?」
「そんなにうるさく騒がずとも、わらわは変わらぬぞ。それよりさっき切ったのはなんじゃ」
「ごめーん! 生放送中の出待ちだったのに大声だしちゃったからみんなに止められて……でもイオちゃんからかけてきてくれるなんて思わなかったよ~!
っていうか、もしかしていまの放送みてくれてた? もう話しても大丈夫なところにいるからいくら話しても平気だよ?」
「うむ。ところでさっきテレビで言っておったが、本当にわらわに毎日メールを送ってくれていたのか?」
「うんそう。でも返事が無かったから、ミナミナはイオちゃんに嫌われたんだと思って悲しかったのですシクシク……」
「それは悪いことをしたのう。おそらくわらわの下僕のせいじゃな。帰宅したらこっぴどくしかってやらねば」
「ううん。ミナミナの方こそイオちゃんを疑ったりしてごめんね……。で、何か用事だった?」
「うむ。じつはひとつ訊きたいことがあって電話したのじゃ」
「なになに? ニホンのアニメ事情とか? それならミナミナ、五時間以上フリートークできるよ?」
「いや、そうではない。おぬしが今回声優になったという、クライシスソード・オンラインについて、教えてほしいのじゃ」
「クライシスソード・オンライン?
じつはミナミナ、声優には抜擢されたけど、そのゲームほとんどやってないんだ……。勉強のために最近やっとやり始めたの。それでもいいなら答えるよ」
「うむ。では、そのゲームが一体どのようなルールで成り立っているのか、というところからじゃ」
それから五分程度、イオネラはミナミナからの講義を受けた。
「……なるほど。仮想の自分を仮想の世界につくりだし、同じように仮想の自分をつくった他の者と擬似冒険をする、というゲームなのじゃな?」
「まあ、CSOだけじゃなくて、ネットで他人と協力してやるゲームは全般的にそうだけどね。
で、なになに? イオちゃんももしかしてCSOに興味あるの? ならミナミナとパーティ組もうよ! ミナミナもゲームは初心者だし」
「いや、すまぬがわらわがやるわけではないのじゃ」
「ええ!? そんなぁ。ミナミナ、がっかりなんですけどぉ……。
イオちゃんは『種族:吸血鬼』の放浪者で、ミナミナはイオちゃんにかまれていいなりになった女アサシンっていう設定、考えてたのに……」
「……どういうことかよく分からぬが」イオネラが真面目に答える。
「もうひとつ訊きたい。CSOには三大魔術師という者が存在するのか?」
「三大魔術師? あー……たぶん、『放浪者』の中でいつもスコアの高い三人のプレイヤーのことだと思うんだけど。たしか『camus』と『ドスパロ』と『クローディア』さんだったかな。いつもこの三人は『放浪者』ランクのトップを争ってるの」
「ランクでトップに立つと、何か報酬でもあるのかえ?」
「貴重な武器をもらえたりとか、ゲーム内で使える通貨をもらえたりとかはたまにあるけど、たいていは何も無いよ。半分名誉みたいなものだと思う。
でもランク上位を維持するのって本当に難しいみたいだよ。CSOってお金をかけてもパーティ編成次第ではクリアできないクエストがいっぱいあるし、本当に実力がないと上位には上がれないの。
三大魔術師は、CSOにすごく心血を注いでるんじゃないかな。だからCSOの中でもその三人は尊敬されてて、もう伝説の人みたいになってるよ。でもたしか第三部のクエストがもう終盤だから、それが終わって第四部が始まったらまた上位の人が入れ変わるかもしれない」
ミナミナの解説を聞き、イオネラはいつも二階から降りてくる疲れた表情の少女を思い浮かべた。
「なるほど。ミナミナの説明は分かりやすいのう。おかげて胸のつかえがとれた気分じゃ」
「ありがと~。でもこんなこと訊いてどうするの? イオちゃんがこのゲームをプレイするわけじゃないんでしょ?」
「そうなのじゃが、同居人がCSOをやっておってな。名前が『クローディア』だというのじゃ」
「えっ……イオちゃん、ほんとに? それ、衝撃ハンパないんですけど?」
「三大魔術師の一人だと言うておったし、おそらく間違いないじゃろう。なるほど、一日中部屋にこもっていたのは、それだけ大変な労力をかけておったのじゃな。わらわもツグミに対する態度を改めねばならぬな……」
「えっ、ツグミって? その、クローディアさんのこと? ――ああっ、出番が迫ってる! ごめん、またメールするよ~!」
「そうか。忙しいところ悪かったな。おぬしはほんによい働きをしてくれた。誉めてつかわすぞ」
「お褒めに預かり恐縮です~、なんて! ああ、ほんとにヤバイかも! イオちゃん、また今度ミナミナの血を吸ってね~!!」
それだけ言い残すと、ミナミナは通話を切った。
イオネラはスマホを耳から離すと、ひとつ息をついた。
「なるほど……。ツグミが自室で秘密裏にいそしんでいるゲームについて、その一端を知ることができたぞ。やはりもつべきものは友じゃな。それにしても――」
イオネラはソファに座り、考えに沈んだ。
「ツグミがそれほど大変なゲームをやっているとは思わなんだ。他のプレイヤーの尊敬を集めるほどの腕前、確かに認めたぞ。形はどうあれ、他人に尊ばれることは、それ自体容易に真似できぬ貴重な才能じゃからな」
それから、イオネラは口元を引き上げて笑みをつくった。
「ククク……。オッドアイソーサラー・ツグミを手中に納める意義がこれでより高まったというものじゃ。
あやつはネットとかいう世界で他人の尊敬を集める術を心得ておる。ネットは世界中に張り巡らされている。ということは、ツグミを支配すれば世界はもはやわらわのもの――ハハ、ハハハ、ハハハハハハハ!!」
かなり飛躍した自身の考えをかえりみることもなく、イオネラは世界征服への道を着実に進めつつあるという確信を深めたのだった。




