第13話 無気力男子は過去のことに触れられるのが嫌い
胸のわだかまりが、いつまでも晴れない。
小詩と話すと『あのこと』を思わずにはいられない。
雄斗の胸は、まるで重い鉄球がくくりつけられた振り子に打たれているかのように、しつこく響く痛みを感じていた。
雄斗にはその原因がよく分かっている。
だがどうすることもできないまま、その「痛み」と向き合わざるを得ない日々を送り続けている。
物思いにふけっていると、いつのまにか家に着いていた。
雄斗は力なく扉を開ける。
するとそこには、見せつけるかのように堂々とポーズを決めたイオネラが立っていた。
「おお、戻ったか。どうじゃ雄斗、このコスチュームは? わらわもなかなかのセンスじゃろう?」
驚かせるつもりだったのか、そう言ったイオネラはこれまで着用していた白い清楚な肩ひものワンピースから、左胸に雛罌粟のブローチをつけた、タイトなVネックの黒いワンピースに着替えていた。
左足に重心を置き左手を腰にあながら、誘うような目つきで胸をそらす。
「おぬしの母君はなかなか流行に準じた服装を学ぶことに傾倒しておったのじゃな。雑誌に載っていたものと同じものやそれに近いものがクローゼットの中にいくつも入っておったぞ。わらわなりにこの『ニホン』で流行とおぼしき服装を選んだのじゃが、どうじゃ? 似合っておるじゃろう?」
言いつつ玄関でくるくる回り始めるイオネラ。
確かに彼女の着こなしはなかなかのもので、見た目はすっかり現代女性のそれにとけ込んでいた。
いままで緩めの服装だったので目立たなかったが、体の線をみるとスタイルもよく、整った顔立ちの彼女ならそのまま雑誌のモデルとして十分通用しそうだった。中世の貴族めいた言動さえなければ。
しかし雄斗はイオネラの方に一瞥もくれることなく靴を脱ぎ散らかすと、すぐにリビングへ向かった。
「ちょ、ちょっと待つのじゃ!」
イオネラの呼びかけを無視し、ソファに座るとリモコンでテレビの電源を入れる。
イオネラはなんとか雄斗の注意を引こうと、髪を一回かき上げてからまた胸をそらす。
「どうじゃと聞いておるのに、無視して通り過ぎるとは無礼千万じゃな。おぬしに語彙力がないことくらい知っておるが、せめてひとことくらい感想を申せ。それともあまりの美しさにあっけにとられて言葉も出ぬのか?」
流し目で雄斗を見るイオネラ。そこでようやく雄斗はイオネラの方に目をやった。
「……おきれいでございますお嬢様」
気の無い声でそう告げると、また視線をテレビの方へ戻す。
イオネラは一応満足したのか、自慢するように腰に手を当てた。
「うむ。おぬしもわらわのような美しい主人をもてて幸せじゃろう。なぜこのようなことが可能なのか。それは、わらわは一流のセンスをもった貴族であり、そこいらの平民とは根本的なところで才能が違うからじゃ。
それが例え遠く離れた異国であっても、その場所の流行をたくみにとりいれ自分のものにするだけの稀有な力がわらわには備わっておるのじゃぞ。それに――」
ナルシズムに富んだ発言に終始するイオネラを雄斗はまるで無視し、色の無い目でテレビに映るバラエティ番組を流し見る。
「……ユウトよ。聞いておるか?」
返事をしない雄斗に、イオネラはふてくされた。
「全く、わらわがこれだけ自分の才能について熱弁をふるっておるのに無視するとは、しもべとしてあるまじき行為じゃぞ!」
それでも雄斗は何も答えず、ただ無気力にソファへ体をあずけているだけだった。
それをみて「フッ。しょせん平民にはこの偉大さが理解できぬようじゃな」などとつぶやいてから、イオネラは話題を変えた。
「ところでユウトよ。ひとつ聞きたいことがあるのじゃが」
雄斗はテレビを見たまま反応しない。イオネラはかまわず続けた。
「おぬし、いつも学校で何を勉強しておるのじゃ? 前から気になっておったのじゃ。わらわの国ではすでに大人である歳になってからもまだ学ぶこととは一体何なのか、ユウト、わらわに説明せよ」
「……別に何でもいいだろ」
「何でもよくはない。わらわもこの国に住まうからには平民がどのような教育水準にあるのか知っておかねばならぬ。それが貴族としての務めじゃ」
それに対しても、雄斗は返事をせず会話を切った。イオネラは思わず眉根を寄せる。
「……おぬし、家にいてもただのんびりしてるだけじゃのう。そんなだらだらとしていては、いつか体が――おお、そうじゃ!」
いかにも名案を思いついたというように、イオネラは赤い目を開く。
「することがないのなら、これから外へいくぞ。わらわもこの国のことをさらに勉強せねばならぬからな。テレビで見ておるだけではどうにも理解しがたいことばかりなのじゃ。
『デンシャ』や『クルマ』、あれはいったい何なのか、『コンビニ』には何が売っておるのか、『すまーとふぉん』とは何ぞ? ユウトよ、これら全てを解決すべく、外を案内せい。まずはわらわが先日通った『アキバハラ』とかいうところからじゃ」
イオネラの言葉にも、やはり雄斗は全く動く気配を見せない。
「ユウト、何をしておる。おぬしの主人であるこのイオネラ・シェーンベルク様の命令じゃ。さあ、敵はアキバハラにあり。いざゆかん!」
ビシッ! と玄関の方向を指差すイオネラ。だが雄斗の返事はそっけなかった。
「……勝手に行ってきたらいいだろ」
「ぬ……平民のくせになまいきな。口答えする気か」
「ひとりで行けよ。面倒くせえ」
「き、貴様! それでもわらわの忠実なるしもべか!」
「しもべになった覚えもねえし、忠実でもねえよ」
「わらわのような高貴な者がこの家に住んでやっておるというのに、なんという言い草じゃ。おぬし、そろそろ立場というものをわきまえたほうがよいぞ。わらわは貴族。おぬしは平民。身分の違いは明らかじゃ。いい加減、わらわの言うことを聞き入れ――」
「ああもううるせえな! それはこっちのセリフだ! 俺は行かねえっつってんだろ!!」
突然――
雄斗は怒鳴り散らした。
ソファから振り返り、眉間に青筋を立てている。
イオネラの体が一瞬、こわばる。わずかの間、おとずれる静寂。沈む空気。
イオネラは戸惑った表情を浮かべ、口を開いた。
「……ど、どうしたのじゃ、急に声を荒げて……まて、どこへ行く気じゃ」
イオネラが呼びかける前で、雄斗はぶ然とした表情のままテレビを消してソファから立ち上がった。
「自分の部屋に戻る」
「自分の部屋? ユウト、わらわは外へ行きたいと申して――」
その言葉を無視し、雄斗はすたすたとイオネラの前を通り過ぎ、二階へ続く階段に足をかける。
イオネラはあわてた様子で言い直した。
「ま、待て、ユウト。夕食はどうするのじゃ」
「食欲ねえから今日はいい」
「いや、わらわの夕食じゃ」
「……」
雄斗は少しだけイオネラの方を振り返る。そのときはじめてイオネラは彼と目が合った。
彼の無骨な黒い瞳に、濃い影が差している。
これまでの彼の目には見られなかった暗い色が、雄斗の目ににじんでいる。
イオネラにはそう見えた。
雄斗はひとこともいわずに、また階段を上り始める。
イオネラもそれに黙ってついていった。
自室に入ると、雄斗はいつも通り床にあぐらをかいてから、右肩のTシャツを脱いで首元をあらわにした。
イオネラは後ろに回ると、昨日までやっていたように二本の犬歯を突き立てて雄斗の血を吸い始める。
重い沈黙が、二人の間を流れる。
ふだんと同じ。血を吸われている間は雄斗は何もしゃべらず、イオネラも当然しゃべることはできない。だから沈黙は必然だった。
だが今日はそれが、イオネラにはひどく重苦しいものに感じられた。
時間にして二分弱。イオネラはそっと、歯を抜いた。
少しだけにじみ出る血を桃色の舌先でやさしくなめとると、すぐに血は止まった。
「……ごちそうさま」
イオネラが「夕食」を終えると、雄斗はすぐに右肩をもとのように着直す。
イオネラは立ち上がる彼を見上げながら口を開いた。
「ユウト、今日はいつになく不機嫌じゃな」
雄斗は答えない。不安にかられた顔で、イオネラは伝えた。
「……もしや、わらわが知らぬ間に何かおぬしを傷つけるようなことを言ったのか? なら謝るぞ。それも主君としてのわらわのつとめじゃ」
「別に。何も言ってねえよ」
「じゃが、おぬしの今日の態度は明らかにおかし……」
「だったら、もう俺のことは放っておいてくれ」
ぶっきらぼうにそういうと、雄斗はベッドに仰向けになった。
両足を広げ、手は枕代わりに頭の下に置き、目を閉じる。
それから全く動く様子をみせない雄斗に、イオネラは怪訝な顔のまま話しかけた。
「……ユウトよ。学校で何かあったのか? 相談ならわらわがのってやるぞ。何しろわらわはおぬしより人生経験豊富じゃからのう。日常の機微が感情を左右することはよく知っておる。わらわに全てを預けて告白するがいい。さすればおぬしの悩みなど風が雲を散らすかのごとく解決するじゃろう。さあ、話してみい」
フフフと微笑するイオネラ。だが雄斗はベッドから全く動く様子がない。
しびれを切らしたイオネラはベッドに近寄りしゃがみこむと、横になっている雄斗の横腹をこついた。
「こら、ユウト。寝るでない。主人であるわらわが直々におぬしの話を聞いてやろうと言っておるのじゃぞ。少しは返事せい」
つんつん、とイオネラは人差し指で雄斗を不満そうにつつく。
だが雄斗は壁のほうに体を向け、イオネラを無視しようとする。
「むう……とことんわらわをのけ者にしようという腹づもりか。ふてくされるにもほどがあるぞ」
イオネラはついにベッドに上がると、ひざ立ちになり、後ろを向いた雄斗の背中を両手で揺さぶる。
「ユウトよ。黙っていては何も解決せぬぞ。何が気にいらぬのだ? 眠ったところで現実は変わらぬ。ならば、わらわに事を話してみるのもよかろう。少しは気分が楽になるやもしれぬぞ」
ゆっさゆっさ。イオネラは雄斗の体を揺らし続けるが、ぴくりとも動かない。
意地でも反応しないつもりのようだった。
「このままではらちが明かぬのう……ぬっ?」
すると、イオネラは部屋の角に立てかけられていたものに目をとめた。
そこには、筒に入れられたカーボン製の矢があった。
イオネラはおもむろにベッドから下りると、四本ある矢のうちの一本を右手で抜き取り、再び雄斗のベッドに上がった。
「これは矢ではないか。この時代にもわらわの国に共通した武具があるのじゃな。やや材質は違うようじゃが、これは確かに矢じゃ。いままで気がつかなかったが、もしやおぬし、弓兵か?」
イオネラはニヤニヤしながら、つんつんと彼の背中を矢じりで小突く。
「しかしよく見れば、この矢じりでは殺傷能力はないのう。模擬矢か。じゃが、おぬしが来るべき戦いに備えて弓矢の腕を磨いておったとは……。
隠すことはない。むしろ主人であるわらわとしては鼻が高いぞ。いつもだらだらとしてばかりいると思ったが、戦士として体を日々鍛えておったのじゃな? 感心じゃ。で、弓はどこにあるのじゃ? わらわも一度おぬしの弓兵としての腕を見てみたいのう――」
そのとき。
いままで微動だにしなかった雄斗が、急に身を起こしてふり返った。
かと思うと、すぐさま後ろにいたイオネラの両肩をつかみ、ベッドに押さえつける。
「なっ――!?」
抵抗する間もなく、イオネラは右手の矢をふり落とし、雄斗に押さえ込まれた格好になった。
激しく戸惑うイオネラ。
焦る彼女の目に、憤怒の形相でにらみつけてくる雄斗の顔が映る。
「あっ……」
あまりに急な雄斗の変貌に、イオネラは声を出すことすらままならない。
彼から発せられる言い知れない恐怖に、魔力を使って怪力を得ることさえ、イオネラの頭からは消し飛んでいた。
雄斗の突き刺すような視線に、全身をしばりつけられる感覚に襲われるイオネラ。
まるで杭を打ち込まれたかのように、きつく押さえられた両肩が痛い。
かと思うと、雄斗はとつぜん右手で彼女の胸倉をつかみ上げた。
「ゆ、ユウ、トっ……!」
薄いワンピースの生地が引っ張られ、イオネラの胸でしわをつくる。
上体がわずかに持ち上げられ、息が苦しくなる。
イオネラは首を思わず左右にふる。
それが何に対してなのか、彼女自身にも分からなかった。
ただ、いつもぶっきらぼうだがそれなりに優しいはずの雄斗が、いまは怒りに満ちた目で自分のことを激しく威圧するようににらんでいる。
その現実を否定するかのように、彼女はおびえた顔で首をふり続けた。
「ユウ……ト……やめるのじゃ…………やめ……て……」
そのとき、雄斗の口から低くうめくような声がもれた。
「……出てけ」
地の底から響いてきたような言葉が、イオネラにぶつけられる。
雄斗はそのまま左手で、すぐに彼女の右腕をつかんだ。
そしてベッドからむりやり立ち上がらせると、部屋の外まで引っ張っていく。
廊下にイオネラを放り出すと、雄斗はすぐさま自室のドアをしめ、鍵をかけた。
ぽつんとひとり残されるイオネラ。
ぼうぜんとした表情で、静かな二階の廊下にたたずむ。
雄斗はまたすぐにベッドへ戻ったようで、ドアの向こうからはもう一切の音がしない。
かろうじて、隣の部屋で妹のツグミがキーボードをたたいている音が耳に入るだけだった。
おとずれる静寂。廊下にたたずむイオネラ。
何が起きたのか、イオネラは理解するのに少しの時間を要した。
彼女の胸に様々な感情――怒りや悲しさ、疑いや恥ずかしさが湧いては消え、交錯し、しだいに落ち着く。
そしてそこから最後に持ち上がってきたのは、巨大な憤慨だった。
「……ユウぅぅぅぅトぉぉぉぉ……!!」
首をもたげ、両手をぎゅぅぅぅっ、とにぎりしめるイオネラ。
憤りは天をも突き破らんばかりに伸び上がり、すぐさま爆発した。
「ユウト! 貴様、主人であるわらわにむかって『出てけ』とは何事じゃ!! おぬしなど、わらわの手にかかれば赤子の手をひねるように投げ飛ばすこともできるのじゃぞ! それだけではない。本来の魔力さえ戻ればおぬしなどコウモリに変えて、一生昆虫食生活を送らせることすらできるのじゃ!! それを『出てけ』などと……
聞いておるのかユウト! なんとか返事せい!! おぬしが深刻そうな顔をしているからわざわざ気をつかってやったというのに、なんたる不遜な態度じゃ! しもべとして恥じるがいい! だいたいおぬしには忠誠心というものが――」
ドアに向かって大声を上げ、ときに殴りつけ、蹴りつけ、文句を並べ立てるイオネラ。
しかし部屋の中にいるしもべからの返事はついぞなかった。
ベッドの上で、雄斗はまた大の字になって天井を見上げていた。
部屋の外ではイオネラが騒がしく叫んでいる。
それを聞き流しつつ、雄斗はゆっくりと目を閉じた。
――まただ。
あのことに触れられると、どうしてもむきになる。
雄斗はイオネラに投げつけられた言葉を思い返し、それに対し無言でしか答えを持てなかった自分への自己嫌悪にさいなまれた。
学校での小詩とのやりとりで、胸にずっとわだかまっていた記憶が再びかきたてられた。
いら立った感情がおさまらない。そのウサを、こともあろうに無関係のイオネラへぶつけてしまった。
また最低な人間になってたな、俺。
雄斗はふと目を開き、ベッドの下に視線をおろした。
そこにはイオネラがすくい上げ、雄斗につかまれてふり落としたカーボン製の近的矢が転がっていた。
七面鳥の羽が飾られたその矢をしばらく見つめた雄斗は、見てはいけないものを見たとでもいうように強く目をつむると、すぐさま背を向けた。




