第12話 吸血貴族は学校の制服がお好き
イオネラが雄斗の家に住み始めてから、五日が経った。
自称吸血鬼のイオネラは、雄斗が予想していた通り夜型の生活スタイルだった。
だれもが眠りにつく夜中もずっと、イオネラは部屋で様々なものを物色しているか、取り憑かれたようにテレビをながめて過ごしていた。
そしていつも雄斗が家を出る午前八時過ぎに、雄斗の母親の部屋で就寝する。起床は午後三時前後という一日だ。
雄斗が帰宅した後は家の中でみつけた色々なものにいちいち「おおっ?」や「こ、これは……?」などと驚きつつ、彼を質問攻めにした。
雄斗が自室にこもってからも、イオネラは長い夜の時間を、現代の文明が生みだした数々の物品が立ち並ぶ家の中で、はしゃぎながらずっと過ごしていたのだった。
その中でイオネラが最も興味を示していたのは、母親の部屋においてあったファッション雑誌だった。
いつも部屋にいるときは同じ雑誌に何度も目を通し、タンスの中にたたまれた母親の服をひとつひとつ取り出してはしげしげとながめる日々を送っていた。
雄斗の母親は夫と結婚するまで、十代から二十代向けの小さなカジュアルショップを経営しており、いまでもこうした雑誌を定期的に愛読していた。
着用する服はコンサバ系やフェミニン系を中心にどれもセンスが良く――雄斗にはセンスのあれこれは分からなかったが、いまでもまれに店主時代からつながりのある主婦向けのファッション雑誌から原稿を頼まれることもあったことから、世間的にもセンスの良さが認められているのだと雄斗は捉えていた――、ファッションに疎い父親や雄斗の服は全て母親に任せきりだった。
イオネラ自身もどうやら生前(生身の体があったころ)、服装には彼女なりのこだわりがあったらしく、現代日本の女性が着用する服装と自分が屋敷で着ていた服装の差に深い関心をもっているようだった。
特に彼女が興味をもったのは雄斗やツグミの着ている学校の制服で、他のものとシルエットを異にしていたらしく、
「やはり妙じゃのう……。 仕事用にしてはやや崩れておるし、かといって普段着とも思えぬ。このようなものを、学校では全員着ておるのか……?」
「まあな。決まりだから」
「ふむ……まるで軍隊じゃのう。このような一律の衣装を大人になってからも着せるとは……なかなかニホンの文化は奥が深い……」
軍隊はいいすぎだ。雄斗はそう思いながらも、セーラー服はもともと水兵の制服からきていることに気がつき、あながちイオネラの発言ははずれているわけでもないなとうなずいたりしていた。
その「制服」である落ち着いた茶色のブレザーに同じく茶色のスラックスの制服に身を包み、雄斗は玄関に置かれたスニーカーを履いた。
午前八時。雄斗は高校へ登校するために玄関のドアを開ける。
気持ちのよい外の日差しが家の中にさし込む。
だが雄斗にとっては、今日は暑くなりそうだとうんざりした気持ちにさせる鬱屈した天気でしかなかった。
「じゃあ、行ってくる。家の中ではおとなしくしてろよ」
「分かっておる……わ……」
見送るイオネラが眠そうにあくびを放つ。彼女にとっては朝日が出れば寝る時間だ。
おそらくまた夕方ごろまで寝つき、その後雄斗が帰ってくるまでリビングでテレビをみるか、部屋で服を物色するんだろう。
なんにしろ、現代社会での生活を学ぼうとする姿勢があるのはいいことだと雄斗は思っていた。
「……雄斗」
家を出ようとする雄斗を、イオネラがものすごく眠そうな目で呼び止める。
「何だ?」
「……今日、帰ってきたら、家の外を案内せよ。わらわも……そろそろ外の世界について学ばなければ……この国での生活がままならぬ……からな……。それに……」
話しながら、上体が右へ左へふらついている。いまにもひざから崩れ落ちそうだ。
「わかったから、さっさと寝ろって。まぶたが落ちかかってるぞ」
「うん……」
ふらふらとした足取りで廊下を戻っていくイオネラ。
こんなときだけは歳相応の言葉づかいになるんだなと、雄斗は玄関の扉を閉めながら思った。
椥辻学園第二高等学校。それが雄斗の通っている高校の名前だった。
全校生徒三百五十二名。このあたりではひときわ少人数の高校で有名な私立高校。
姉妹校の椥辻学園「第一」高等学校には普通科と特進科があり、在校生徒数も第二高校の四倍強というマンモス校である。
それに対し、第二高等学校は「イノベーション科」というひとつの科しかなく、かなりこじんまりとした規模だった。
しかし、第二高等学校はイノベーション=革新・新機軸をうたう学校として「技術立国日本の次世代を担う人材を育てるため、さまざまな科学分野の技術的な知識を学び、広く教養を育む授業を行う」ことを標榜しているだけあり、学内には様々な科学実験設備があった。
素粒子の衝突実験装置や地震災害のシミュレーション装置、放射能を扱う化学実験室から小型のプラネタリウム、動物実験棟まで、それらは生徒らのいる教室棟よりはるかに広大で、中には魔法の実験施設や超能力の検証装置まであるという学園伝説まであった。
そんな高校の二年B組の教室で、雄斗はいつもどおり机にほおをついたまま、無関心そうに板書をながめていた。
授業では積極的に発言することもなく、休み時間に席を立ち同級生と会話することもない。
たまに知り合い程度のつきあいのある生徒にはあいさつされるが、だれも彼へ積極的に話しかけてこようという者はいなかった。
それは無視しているというよりも、どこか彼に対し漠然とした「恐れ」を感じているからだということを雄斗自身も自覚していた。
だがそれに対し彼の方から釈明することもなければ、譲る姿勢を見せることもなかった。
結局、彼は一日中だれとも話すことなく、いつも平穏無事で無味乾燥な放課後を迎えるのだった。
ただ一人をのぞいては。
「雄斗。あの漫画、もう読んだ?」
六限目の授業だった世界史の教科書とノートを手提げカバンに入れ、立ち上がろうとする雄斗に、話しかけてきたクラスメートがいた。
鈴宮小詩。
やや小柄でおとなしい雄斗の同級生。顔立ちは幼く、まだ中学生かと思えるほどあどけない表情をしている。
前髪は眉の上で直線的にカットされており、後髪は首上まで伸ばしている。
ややたよりない体格と声変わりしていないように思える高い声、それに女の子っぽいしぐさから、学校外では女子に間違えられることもしばしばあると雄斗は聞いていた。
だが彼は、れっきとした男子だ。
そんな小詩に、雄斗は生返事で答える。
「え? ああ、あの漫画……まだ最後まで読んでねえからもう少し」
「もう、早く返してよ。もう一度読み返したいシーンがあるんだから」
小詩はかわいくほおをふくらませ、ぷんすかと怒る。
その姿がまたいとおし――くは断じてないと雄斗は心の中で強く首を振った。
「それと、このあいだの曲。ちゃんと聞いてくれた?『ステレケンブルグの白き恋物語』」
「――え? ああ……いや、まだだ」
「えー? すぐ聞くって言ったでしょ?」
「ああ、まあ……あんま手につかなかったっていうか、聞く機会を逸したっていうか」
「ほんとにいい曲なんだから、だまされたと思って聴いてみてよ。ボカロの世界じゃ結構評判なんだよ?」
「ボカロ?」
「ボーカロイド。知らないの? 人工音声でつくった曲で、初祢みくとか、廻祢きららとか」
「何となく聞いたことはあるけど……まあ、今日にでも聞いてみるよ」
「絶対だよ。明日また感想聞くからね」
小詩の言葉を聞きつつ、カバンを持ち上げ教室から出ようとする雄斗。
「待って」
「なんだよ」
「さっき出た世界史の宿題。答え分かった?」
「いや……農作物の輸入とか、かな」
「違うよ。人口増加政策だよ。多産を無理やり奨励したり離婚を禁止したりとか。ルーマニアでは結構有名な話なんだよ? 怖いよね」
「そうなのか……。ありがとう。おかげで宿題がひとつ減った」
小詩の言葉を聞きつつ、教室から出ようとする雄斗。
「待って」
「なんだよ」
「八月のコミケの話なんだけど」
「こみけ?」
「コミックマーケット。同人誌即売会だよ。ニュースでもやってるよ。知らないの?」
「そういえばそんなものがあったような気も……それがどうかしたのか?」
「いっしょに行ってみない? 気晴らしにさ。すっごく楽しいから。今年は『とある策士の超魔導砲』の二次作品がたくさん出てるし、『シュテルンズ・ゲート』と『Angel Boats!』関係の同人も多いんだ。あ、竜騎士団さんの待望の新作も出るってうわさだし、それに――」
「いいって。俺、そういうの興味ねえし。第一、人の多いところは苦手なんだよな」
「そう。じゃあチケット申し込んでおくね」
「ひとの話聞けよ! 俺がひとことでも行きたいって言ったか?」
「うん。『本当は前から気になってたんだけど、ひとりでいくのは気が引けたっていうか……誘ってくれてありがとな』って」
「そんな言葉は一文字も発してねえ!」
「え~、そっか……。でも気が変わったら声かけてよ。当日券もあるからさ」
小詩の言葉を聞きつつ、教室から出ようとする雄斗。
「待って」
「なんだよ」
「雄斗の誕生日っていつだっけ?」
「……十月十七日だけど?」
「そう。じゃあ、バースデイパーティしないとね!」
「いや、パーティとかいらねえし……。ってか、まだだいぶ先の話だろ」
「それもそうだね。でも、善は急げっていうし」
「急ぎ過ぎだっつーの」
小詩の言葉を聞きつつ、教室から出ようとする雄斗。
「待って」
「なんだよ」
「…………雄斗、今日はいい天気だね」
「は?」
「いや、今日は……いい天気だなぁって。ほら、雲ひとつ無いよ? なかなかこんな天気、お目にかかれるものじゃ――」
「小詩」
「……なに?」
「お前……俺を無理に引きとめようとしてないか?」
「えっ? いや、そんなことないよ? な、なに言ってるんだよ急に……変だなあ雄斗は。僕がそんな引き止めるとか……なんで僕がそんなことするっていうの?」
きょろきょろと視線をさまよわせる小詩。
ここまであからさまに態度がおかしいとむしろわざとじゃないかと、雄斗は純粋すぎる小詩の性格を逆に勘ぐりたい気持ちになっていた。
「何か言いたいことがあるんだったらさっさと言えよ。俺、もう帰りてえし」
「あ、うん……」
雄斗の言葉に、急にしおらしくなる小詩。
「今日は来る気、ない?」
そっと、小詩がつぶやくように口にした。だが雄斗はむべもなく首を振る。
「何度いわれてもいかねえよ。いけるわけねえだろ」
ひとりごとのように話す雄斗に、小詩はやや視線を下げた。
「そうだね……うん。じゃあ、また声かけるよ」
「だから」
「だって雄斗がいたほうが楽しいし。絶対。僕は、ずっと待ってるから」
そう言って笑顔を見せる小詩。そこには寂しさとわだかまりがにじみあう複雑な色が浮かんでいた。
雄斗は足早に教室を出て行こうとする。
後ろから小詩が「あっ……」と声を発するのが聞こえた。
きっとまた「待って」と言おうとしたのだろう。
だがあまりにしつこいと嫌われるという思いが言葉を押しとどめたのだろう。
小詩の挙動は雄斗にはいちいち分かりやす過ぎた。
だから雄斗は、教室の出入り口で足を止めてふり返った。
ふり返って、不安そうな小詩にはっきりと伝えた。
「小詩。俺、なに言われても戻る気はねえから。だから、もう俺のことなんて放っておいて自分の技術を磨くことに集中しろよ」
それだけ言って、雄斗は教室を出ると一直線に帰途についた。
小詩の顔はもう見なかった。




