第11話 回想 中学三年の春
静かに、左足を踏み出し、半身で立つ。
見つめる先には、白と黒が交互に広がる丸い的。
遠く離れた目標に、雄斗は白筒袖、黒袴の装いで向かう。
自分の身長より長い弓をやや上に打ちおこし、そこからゆっくりと右手につかんだ矢とともに弦を引く。
会の状態になり、雄斗の精神は的の中央ただ一点に絞られた。
射場の静寂と筋肉の緊張が、雄斗の意識を研ぎ澄ます。
先端まで感触を得た右の手指を、雄斗は離した。
弦に弾かれた矢は、ゆるやかな弧を描きながら二十八メートルの距離を瞬く間に翔け、その先にある的に突き刺さる。
自分の放った獲物の結果を見すえながら、雄斗は油断無く左手の弓を翻し、足を引いて直立する。
しばしおとずれる静寂。
「うわーーーー!! 雄斗、すごいよ~!!」
そんな厳かな雰囲気を粉々に破壊する高い声に、雄斗はうんざりした顔になった。
「小詩、集中してんだからいちいち横ヤリ入れんなって」
「でもすごいよすごいよ! これで二十回連続的中だよ? これはもう全国優勝間違い無しだよ?」
「んな大げさな……今日はたまたまだって」
腰に手を当てる雄斗に、小詩は興奮した様子で両手を握りしめていた。
「そんなことないよ! 雄斗はこの弱小弓道部を全国レベルまで引っ張っていく百年に一人の逸材だよ!」
「ほめ過ぎにもほどがあるだろ……。ってか、それをいうなら小詩だってそうだろ。なにげに大会じゃ、お前が一番安定して中てるし」
「でも、結局雄斗にはいつも負けてるから。雄斗に勝てるのは、うちじゃ部長の大翔くらいだし」
「たり前だ」
そう言ったのは、雄斗の隣の的に向かい、矢を弦にかけようとしていた男子。
雄斗のそれより早く打ちおこし力強く弦を引くと、的へしばし集中してから右手を放つ。
矢は雄斗と同じ軌跡を描き、白黒の無骨な的の中央付近に突き刺さる。
「大翔! すごいよ~!! 今日は一体どうしちゃったの?」
歓喜する小詩に、大翔と呼ばれた男子はさも当然だといわんばかりの表情を見せる。
「どうしたはねえだろ。弓道部の主将として、雄斗には負けらんねーからな」
「でも、雄斗が射ない日は成績がガクッと落ちるよね」
「た、たまたまだ! ってか小詩、そこまでチェックしてるのかよ!」
「もちろん。椥辻学園弓道部の命運を二人が握ってるんだから。毎日の的中成績を分析するのは当たり前だよ?」
「団体戦になりゃ小詩も重要な戦力だ。もっと自分の技術を磨くことに集中しろ」
大翔はそう言うと、今度は雄斗に厳しい視線を向ける。
「お前にだけはぜってえ負けねえからな、雄斗」
「……いや、そういう暑苦しいの俺、苦手だから」
「何が暑苦しいだ! そういうすましたところが前から気にいらねえんだよ……!」
「気にいらないって言われてもな……部長なら、もう少し寛容な性格でいたほうがいいんじゃねえか」
「うるせえ! お前みたいなのがいるから弓道部の地位がいつまでたっても向上しねえんだよ!!」
うまが合わない二人。いつもどおり、今日も大翔が雄斗につかみかかりそうな、一触即発の危機。
そこへ――
「…………」
だまったまま、いきなり水の入った紙コップを小柄な女子が持ってきた。
そして両手のコップを、ひとつは雄斗に、ひとつは大翔に手渡す。
「…………」
なにか話す彼女。だが声が小さすぎて聞こえない。
それを見てとってか、彼女は雄斗の方へてくてくと歩き、耳元に向かってささやいた。
「…………なかなおり」
「……仲直り?」
そのひどく控えめな意図が分かると、雄斗は彼女へ笑みを返した。
「仲直り、な。ありがとう。気が利くな」
「…………!」
雄斗の言葉に、彼女の顔が紅潮する。
それへ、大翔と小詩が抗議した。
「って、この水なんだよ! お前ら勝手ににやついてんじゃねえよ!」
「雄斗、なんで笑ってるの? まさか、彼女に……」
騒がしい。小さなことにいちいちむきになって反応する部員たち。
でも、この落ち着かないはじけた空気が、雄斗は好きだった。
そこには、生きている実感があった。
たわいのないケンカ、とるに足らないやりとり。
意味の無いように思えるそれら全てが、雄斗の中で大切な感覚を生み出していた。
なぜだろう。それは今思い返しても分からない。
自分がなぜ毎日、朝早くから部活動に顔を出していたのか。
弓道に熱中できたのか。部員のみんなと熱を共有できたのか。
その全てが――。




