第10話 吸血貴族は心の芽に水をやるのがお好き
「おぬしのせい……?」
「ああ。一年くらい前、ツグミが『趣味を見つけたい』っていうから、俺が最近流行ってるオンラインゲームでもやってみたらって言ったら、あいつ、俺が思っていた以上にドハマリして」
「おんらいんげーむ? なんじゃそれは」
「ゲームは分かるか?」
「うむ、それは分かるぞ。貴族の戯れじゃな。テーブルの上で道具を用いて仮想の勝負をし合うことじゃ」
「まあそんな感じだ。それがこの時代だと、機械を使って顔の見えない遠く離れた相手ともゲームができるんだ。ツグミはそれにハマってるってこと」
「機械? あやつの前にあったあの四角い箱状のもののことか。はっきりとは見えなかったが……。そのオンラインゲームとやらは、暗い状態でやるものなのか?」
「いや、別に暗くなくてもいいけど……ツグミがそうしたいから、そうしてるだけだろ」
「ふむ……。しかし、おぬしら人間は肉や野菜を摂取せねば、生きていられまい。あやつはユウトの用意した食事もとらず、どうして生きながらえておるのじゃ」
「部屋でポテチとか、インスタントラーメンとか……って言っても分かんねえか。要するに携帯食糧みたいなのを食べてる、と思う」
「携帯食糧……なるほど。非常事態なのじゃな」
「違うけど、まあそんなとこだ」
「しかし……納得がいかぬな」
腕を組むイオネラ。難しい顔をしている彼女の表情に、雄斗は気がついた。
「どうかしたか?」
「おぬしがゲームを薦めたからツグミはああなったと言ったが、それだけでは説明がつかぬじゃろう」
「……何が説明つかないんだ?」
「分からぬか? あやつの目には光が無かったし、背中から発するオーラも暗く湿っていた。生気が感じられぬのじゃ。それどころか、何か別の黒々とした想念すらみえる。人間、そう簡単にあのような状態になりはせぬ」
「なんだよ、目に光とか、背中からオーラとかって……。まあ、仮にそんなものがあったとして、それはずっと部屋にひきこもってたからだろ。何しろもう一年くらいあんな感じだからな」
「う~む、そうじゃろうか……やはりツグミは魔術師なのではないか? あの職業は自分の研究に没頭するあまり、不健康な状態に陥りがちなのじゃ」
「だから、他人の妹に勝手にファンタジー設定適用すんな」
そんなやりとりをしている間に、雄斗は夜の食事を終えた。
ごちそうさま、と手を合わせ、食器を台所へ運ぶ。蛇口を開け、水を出して次々に食器を洗っていく。
イオネラはまた台所の横に立つと、その様をまじまじと見つめる。
「す、すごいのう……水が出し放題とは、この国の水資源は一体どうなっておるのじゃ? 魔法でもここまで自由自在に水を出すことなどできぬぞ」
「そりゃどうも。日本人の先人の所業には俺も厚く感謝してる」
そうして雄斗は使った食器を洗い終える。
食卓にはまだブリ大根とほうれん草が残ったままだ。
「……あれはどうするつもりじゃ? あのままでは朽ち果てるぞ」
「その前に引っ込めるよ」
「ひとつ訊きたいのじゃが、どうしておぬし、来る見込みのない者のために食事を作っておるのじゃ?」
けげんそうに尋ねるイオネラに、雄斗は視線を合わせず答えた。
「どうしてって、妹だからに決まってるだろ。親が自分の子供に食事を作るのに、何でって訊くか? それと同じだ。この家で飯を作れるのは俺だけだし、ツグミは家にいるんだから、家族がいつでも飯を食べられるようにするのは当たり前だ」
「――ほう。なるほど」
イオネラが何かを理解したように口角を上げる。
その目には不思議なものを見たという大きな興味と、雄斗という人間に対する少しの関心が映り込んでいた。
彼女がそんな目で見ていることなど知らず、雄斗はタオルで手を拭くと、部屋のスイッチを押して台所の明かりを消した。
「おっ? おおおっ!? いま、どうやって明かりを消したのじゃ!?」
彼女の顔がまた一瞬で好奇に満ちる。雄斗は面倒くさそうに棒読みで答えた。
「電気だよ。電気」
「デンキ? 意味が分からぬぞ。もう少しうまく説明せよ」
「説明、っつってもなぁ……電気を知らないやつに説明するのは難しいんだよな」
「なぜ他人に説明できないものをおぬしは自由自在に使っておるのじゃ? それこそおかしいではないか」
「別に自由自在ってわけじゃ……まあ、何となくのイメージで言うと、雷ってとこかな」
「か……!」
またもイオネラが驚愕し、口が開きっぱなしになる。
「どうした。そんなにショックなことか?」
「か、雷などと……また見えすいたウソを……。雷は神の怒りをこの世に具現化したものじゃ。そんな大それたものを操ることができるのは、世界で数えるほどしかいない最高位の魔術師だけ。そんなものが使われているなど、到底信じられぬ!」
「だけど実際、それで光ってるんだから仕方ねえだろ。電線を伝ってその雷が来てるんだよ。各家庭に」
「じゃが、雷を常日頃から出し続けることなどできないはずじゃ。やはり口からでまかせを……」
「電気は、火力とか、水力とか、原子力とかから作ってるんだ」
「なんじゃと!?」イオネラがもう何度目か分からない驚きを見せる。
「火属性や水属性のものから、雷属性の力を作り出すということか……! 他属性の魔力を転用するとは、盲点であった。おぬしの国の魔術師は、類まれな創造力と技術を有しているのじゃな!」
「魔術師じゃねえけど、創造力と技術はすごいと思う。技術とかでいうなら、これなんかどうだ」
そう言って雄斗はおもむろにリモコンを手にすると、赤い電源のボタンを押した。
すると、居間にあった大きな薄型テレビから音が鳴り、ワンテンポ遅れて画面が映し出される。
スタジオでのバラエティ番組。真ん中に司会の男性アナが、周りに回答者とおぼしき芸人や女優が並んでいる。
「な……こ、これは!?」
もう口が開きっぱなしのイオネラ。
しまいにあごがはずれないかと雄斗はやや心配になった。
「テレビだ。イオネラを初めて見かけたのもこれだ」
「おおお、これがウワサの水晶球か……。しかしわらわの時代とはずいぶん形が違うな。これは本当に水晶でできているのか?」
「ひとことも水晶なんて言ってねえけどな。これは液晶テレビってんだ」
「液晶……? ほほう、液体の水晶ということじゃな。それでこのような四角い形にもなると」
……そうなのか?
と雄斗は彼女の解釈に是も非もできないまま、とりあえずそういうこととして何となくうなずくしかなかった。
「像だけでなく、きちんと声も出ておる。高性能な水晶じゃのう……。まったく、おぬしの国の文化にはつくづく驚かされ……む?」
そこで、イオネラはテレビの画面に何かを見つけた。
「こやつは……わらわが最初に転移しそこなった女ではないか?」
彼女の指差す先には、テレビ画面の中でフリップに書き込んだ回答を出すアイドル――ミナミナの姿が映し出されていた。
「はいーー!! ミナミナは、イチジクとカマンベールの生ハム巻きだと思いま~~す! これ、修太が戦艦のデッキで食べてたんですけど……
あ、修太っていうのは〈鋼鉄のフェルカーナ〉っていうアニメの主人公のことですよ~。戦闘機乗りで、もう見た瞬間卒倒しそうなくらいカッコいいんです!! 修太がディスティグラの谷に突撃するときの『OK。インベーダーゲームは得意な方だ』っていうセリフなんてもう……! あ、すいません。つい調子に乗っちゃいました~えへへ。
で、このお店のイチジクを使った絶品料理って絶対これのことだと思うんですよ。どうしてかっていうと……」
どうやら某飲食店の紹介VTRが流れた後、「このお店のイチジクを使った絶品料理とは?」という問題が出されたらしい。
あいかわらずミナミナはテンションMAXだな、と雄斗は感心した。
「なぜこの水晶球にはあの者が映し出されておるのじゃ? おぬし、あやつをずっと監視しておるのか?」
「人をストーカーみたいに言うな。あと、これは水晶球じゃなくて『テレビ』っつーの。あの子はアイドル……って言ってもわからねえよな。まあ、歌とか踊りとかやってて人気があるんだ。日本全国で。最近特によくみるようになったけど」
「人気? 人気があると、このテレビとかいう代物に映るのか?」
「まあ、映りやすくはなるよ。いつもじゃねえけど。テレビってそういうもんだから」
雄斗の説明でどれほどのことを理解したのか分からなかったが、イオネラはうんうんとうなずく。
「なるほど……これは興味深い。あのミナミナとかいう者は『アイドル』という身分で、この国では相当な権力者なのじゃな」
「権力者じゃねえけどな。人気者だ。ちょっとアニヲタ向けだけど」
アニヲタ、という単語は分からないだろうなと雄斗は思ったが、イオネラはそれをスルーして思うところがあるというふうにうなずいた。
「ふむ……よし。あの者には近いうちに直接会い、わらわのしもべとして仕えてもらう必要があるな」
「は?」
「それほどの名声、使わぬ手はないぞ。ぜひあやつをしもべとし、わらわの手足として存分に働いてもらいたいところじゃ」
「働いてもらうって……いやいや、んなの無理に決まってるだろ」
「なぜじゃ? わらわはあやつと面識があるのじゃぞ」
「あのなぁ……」
雄斗は思わず苦言を呈した。
「イオネラ。いくら面識があるからって、ミナミナは全国レベルのアイドル、イオネラはあやしげな姫君キャラの一般市民だ。少なくともこの国、この時代では、だ。
それにミナミナには熱狂的なヲタクファンが多くて、急に手を出したり強引に押しかけるやつが過去に何回かいたから、今じゃ外を歩くときは近くに護衛のスタッフが何人かついてるらしいし。俺たちみたいなのは握手会でもない限り近づくこともできねえよ。
だいたい、いくら面識があるっつったって、イオネラとそんなに仲良くなったわけじゃねえんだろ? なのにいきなり手足として働いてもらうとか、飛躍しすぎだって」
「なぜ無理なのじゃ?」
否定的な態度をとる雄斗に対し、イオネラは不思議だといわんばかりに首をかしげた。
「なぜって、いま言ったろ? 面識があるだけで、しもべになんてなるわけが――」
「面識がある。それだけで十分じゃろう。ささいなことでもよいのじゃ。あの者をふり向かせる小さな芽さえあれば」
「芽?」
雄斗の問いに、ごく自然な笑みを浮かべるイオネラ。
「人というものは、一度出会えばそこには縁という芽ができる。いかにそれが小さくとも、ささいなものでも、その芽に水を与えて育ててやれば徐々にその芽は育ち、葉が開き、やがて大輪の花が咲く。逆に水をやらねばいかに最初の芽が大きく丈夫だったとしても、いつかは枯れてしまう。
人間関係とは、いわば相手の中に芽生えた自分という存在へ水をやる行為なのじゃ」
視線を雄斗からテレビの中のミナミナに移すイオネラ。
「じゃから、あやつ――ミナミナという者の心にわらわという芽があるうちに、もう一度会わねばならぬ。たしかにあやつにとってはわらわなど、その辺りの市民と変わらぬ小さな存在じゃろう。じゃが水を与え続ければ、いつかはあの者の心の中でわらわの存在が大きく育ってくれるはずじゃ。
やり方を間違えれば逆にうとまれる可能性もあるが、水をやらねば結局枯れるのを待つだけ。ではどこにやらない理由があるのじゃ?」
一瞬――
イオネラのさりげない言葉に、雄斗はおもわず息をのんだ。
さも当然というふうなイオネラの表情。だが雄斗は心の底に何か響くものがあるのを感じた。
「イオネラ……」
「なんじゃ」
「お前、初めてまともなこと言ったな。感心したよ」
「初めて? わらわは常にまともなことしか口にせぬぞ。まったく、仮にも吸血貴族であるわらわにそのような無礼な発言……この上は即刻市中引き回しの上、死体は三日三晩火あぶりの刑じゃ!」
そういうところがまともじゃないんだって……。雄斗は小さくため息をつきながらも苦笑した。
そんなやりとりをしている間に、テレビ番組はいつの間にかクイズの時間が終了し、画面が切り替わっていた。
結局何が正解だったのか分からなかったな、と思いながら雄斗が何となくテレビに目を移すと、そこにはさきほどのバラエティーの明るい雰囲気から一転、背後にデスクと書類の並んだ緊張につつまれた空間があった。
画面にはセミロングの髪で清純そうな顔立ちの女性アナウンサーが、深刻そうな顔つきと声のトーンで原稿を読み上げる。
「ではここで、ニュースの時間です。……さきほど当局の番組の生放送中に逃げ出したバイオロイドについて、製作者である亜斗蘭逓州大学の会見がさきほど開かれました」
画面が再び切り替わると、そこには白髪で白衣を着た老齢の学者が焦った表情でたたずんでいた。
はげ上がった頭頂部をしきりに指でかきながら、たどたどしい口調で説明を始める。
『バイオロイドが逃げ出した件についてですが、我々も全く予想だにしなかったことといいますか、そもそもそのような機能などついていなかったはずでして、なぜ勝手にしゃべりだし、動き出したのか我々も皆目検討がつかない状態で……。
いや、本当なんです! 本当にあのバイオロイドには動力など存在しないはずで……我々としても、そこのところをなんとしてでも究明したいと……はい、考えております。
ですから、もしあのバイオロイドを見かけたというような情報があれば、ぜひ連絡をお願いしたいと……我々も必死に行方を追っております。なにしろあの体には何千万という研究費用が――』
画面を見つめていた雄斗の顔が、一気に青ざめた。
「……イオネラ」
「なんじゃ」
「これ、結構ヤバいことになってるよな」
「ん? どこがじゃ?」
「いや、だから、俺は半分指名手配犯みたいなやつを家にかくまっていることになっているわけで――」
「フッ、何を恐れることがある。わらわが顔を魔力で変えておれば、永遠につかまることはないじゃろう。心配するな」
「そうは言ってもなあ……」
ことは全国ニュースである。
雄斗は学者らが全力で追っている者を同居させている今の状態に、いまさらながらひどく不安になってきていた。
「本当に、その魔法が解けなければいいけどな……」
「ぬ? わらわのことを疑っておるのか? 失礼な。この吸血貴族の言葉を軽んじるとは、この上は即刻市中引き回しの上、死体は三日三晩火あぶりの刑じゃ!」
だから簡単に火あぶりとか使うなって。雄斗は引きつった顔でそう思った。




