第9話 吸血貴族は現代生活がお好き
食事とは何か。
食す、という行為は、他の生物が生み出したものを少し分けてもらう、あるいはその生物の命を絶ち、その残骸を食らう、ということだ。
食事とはすなわち、他の生物の恩恵にあずかり、自分の命に他の命を付け加える、利己的な行いなのである。
だからこそ、ひとつの命の灯が宿る食物に対し人は心から感謝しなければいけないし、その分け前をありがたく受け取り、日々生きられることへの謝意を申し伝えなくてはいけない。
それが毎日のことだとしても――いや、毎日のことだからこそ、人は食事というものに対し、常に弔いの念をささげなければならない。
たとえそれが、人間の血液であったとしても。
「いただきまーーーーーーふっ」
イオエラは幸せそうな顔で「謝意」を伝えると、雄斗の首筋に鋭くとがった犬歯を突き立てた。
あぐらをかいて座る雄斗の背後に回り、イオネラは彼の肩をがっちりつかみながら、食事――雄斗の血液を吸う行為にいそしむ。
時間にして二分弱。雄斗ははじめにチクッとした痛みを感じたものの、それからは吸われている間中ずっと、特に気持ち悪くも、気持ち良くもなかった。
気分としては、ベッドにあおむけになって行う献血の感覚と似ていた。
雄斗は短い時間をもてあますかのように折りたたみ式の携帯を開いて画面をながめ、イオネラは血を吸うことに必死で、互いに話しかけることもなく静かな時間だけが過ぎる。
やがてイオネラは歯を抜き、吸った後ににじみ出た血を舌先で小さくなめ取ると、満足そうにその場に居座った。
「ふう……やはりおぬしの血の味は格別じゃのう。よい馳走であった。ほめてつかわすぞ」
「全然うれしくないけど、まあ美味しくてよかったとは思うよ」
雄斗はイオネラが吸いやすいようにわざと下げていた右肩のTシャツを元に戻した。
イオネラはペロリと唇を舌をなめ回してから、充電完了とばかりにすっくと立ち上がる。
「そういえば、この国では食事の後には何と言うのじゃ? 『いただきます』に対する言葉があるのじゃろう?」
「ごちそうさま、だな。両手を合わせて頭を下げる」
「なるほど。では……ごちそうさま」
そう言って両手を合わせつつぺこっと頭を下げる。
ちなみに食事の前に「いただきます」と言うニホンの習慣を教えたのも雄斗だった。
一応、他国の文化を学ぼうという姿勢はあるんだなと彼は少しだけイオネラの殊勝な態度に感心していた。
「で……イオネラは血だけで腹が満たされるのか?」
「うむ。いまのところはな。わらわに食事は必要ないぞ。――しかし、ほんにおぬしの血は澄んでおるのう。他の者とは大違いじゃ」
「そうなのか? ってか、他の人の血はどんな味がするんだ?」
「雑味がひどいのじゃ。変な味がついておったり、臭みがあったり、妙に脂っぽかったりする。わらわのいた時代ではそのへんの者をつかまえて血を吸っても味が劣ることなどなかったのじゃが……どういう状況なのかわらわが聞きたいくらいじゃ」
イオネラの時代はそのへんの者をつかまえて血を吸っていたんだな。雄斗は若干顔が引きつった。
「まあ、俺の時代には油っぽいものとか、食品添加物とか多いからな……」
「しょくひんてんかぶつ? 何じゃそれは。詳しく説明せい」
「だからまあ、その辺に売ってるいまの食べ物は、より美味しくしたり、色鮮やかに見せたり、腐らなくさせようとして、食べ物にいろんなものを混ぜ込んでいるんだ。調味料とか、薬品とかな」
「薬品? ――なるほど。それで妙な味がしたのじゃな。それにしても、これだけの人間がおるというのに、だれしもが薬品のお世話になっているとは、この時代は少々病的じゃな」
それはいい過ぎだと思いながら、ある意味ではどこかそれもうなずけると思う雄斗。
「薬っていうと言葉がきついけど、体には害のないものだから、それほど気にすることはねえと思うけど」
「じゃが、明らかにおぬしと他の者とでは血の味に差があるぞ。逆におぬしはなぜ血がここまで澄んでおるのじゃ?」
雄斗は「う~ん」と、眉間にしわを寄せて考える。
「……分からねえけど、食品添加物無添加のものを食べてるからかな」
「しょくひんてんかぶつむて……ああ、薬品が入っていない食物、ということじゃな」
「母さんがそういうの絶対ダメで、わざわざ『無農薬』とか『有機農法』とか『オーガニック』とかついてる食材を買うためにわざわざ隣町にある自然食品の店に通ってたんだ。それを子供のころからずっと食べていたからかもしれない。俺がいま飯をつくるときも、同じ店の食材使ってるし」
イオネラは興味深そうに「ほほう」とうなずいた。
「おぬしの母親の影響か。それは興味深いのう。薬品に囲まれた生活の中、あえてその脅威から逃れようとし、子孫を守ったその平民女の功績は、まさに国宝ものじゃぞ」
「平民女いうな。俺の母さんだ。ってかそれって結局、お前にとって都合がいいだけだろ」
言われ、イオネラは腰に手を当て「フフン」と強がった。
「そのような稀有な存在とわらわがめぐり合ったことの奇跡に感動しておるのじゃ」
俺にとっては災難でしかないけどな、と雄斗は思った。
「もういいなら、自分の晩飯作りにいくけど、いいか?」
「うむ、よかろう」
その答えを聞いて、雄斗はすっくと立ち上がり、部屋を出て一階に下りていった。それにイオネラが続く。
「……おい」
「なんじゃ」
「なんでついてくる?」
「おぬしの食事っぷりを観察しようと思ってな。異国の地ではまず衣食住を学ぶのがその地の文化を理解するに最も効率がよいと、長年の外遊で学んだからのう」
「長年って、イオネラは俺と同じ歳だろ」
「同じ歳? おぬしがか? ということは、おぬしも十六歳か。……なるほど、そういわれてみればそうじゃな。そのように見えなくもない」
「なんだよそれ。イオネラには俺が何歳に見えてたんだよ」
「十二歳」
「若っ!? なんで? 俺、そんな童顔か?」
「童顔というより、わらわの国の男子は成人になればたいていヒゲを伸ばすからのう。おぬしのようにツルツルに地肌をさらす者はあまりおらぬよ」
「ヒゲか……日本じゃさすがにヒゲは伸ばさないよな。……ってかイオネラ、いま『成人になれば』って言ったけど」
「うむ。わが国では十五でみな成人じゃ。ニホンでは違うのか? ということは、結婚もまだなのじゃな」
「結婚どころか、たいていのやつは十七歳の段階じゃまだ世の中のことを勉強中だ」
「世の中のこと。ずいぶんとのんびりしておるのう。それともそれだけ学ぶことが多いということか? いったい十五を過ぎて何を学ぶというのかな。みな学者にでもなるつもりか」
「そんなことはねえけど、まあ覚えなきゃいけないことはイオネラのときより多いかもな」
そんなことを話しながら、雄斗は一階の台所に着くと、冷蔵庫からさっき切っておいたブリと大根を取り出した。
「ほほう。これがおぬしの国の食材か。魚と……野菜か。 肉は使わぬのか?」
「今日はな」
それだけ言って、雄斗はガスの火をつけた。
「おおお!? なんじゃそれは!? とつぜん小さな火が出おったぞ!? まさか火の魔力を込めた魔法石がこの中に!?」
「魔法じゃなくて、そういう機械なんだよ」
「機械? 機械とは、平民のくせに高度なものを所持しておるのじゃな。わらわの屋敷でもそのような便利なものはおいておらぬぞ」
「だいたいどこの家庭でもあるよ」
「おお、その野菜はなんというのじゃ? いや、それ以前にその火にかけている、取っ手のついた黒く丸いものはなんじゃ?」
「フライパンだ。野菜は大根」
「フライパン? ほほう、そのように美しい円形の器材は、まさに職人のなせる業じゃのう。おぬしの国には腕のいい職人がおるんじゃな。むっ? その魚は何じゃ?」
「ブリだ」
「ぶり? ほほう、銀光りするところを見ると、魚の中でも高貴な位に属するのじゃな」
「そんなに高くねえよ。一般家庭でよく使われてる魚だ」
「お、おおお!? 水、水が出ておるぞ!? それは一体なんじゃ!?」
「蛇口だよ」
「じゃぐち……もしや、そのレバーを上げればいくらでも水が出てくるのか……?」
「そうだよ」
「な、なんということじゃ。この国の文明レベルは、わらわの国をはるかに凌駕しておる。自由自在に水を出せるなどと……ということは、井戸からわざわざ水をくみ上げる必要も、川から水を運ぶ必要も無いということか……。
ぬ? 焼いたぶりとだいこんに水をかけるのか?」
「こうした方が余計な脂がとれるからな。ちなみに水じゃなくて湯だ」
「ゆ!? うおおお!? 水から湯気が……本当にお湯なのか? ――あつっ! 湯じゃ……ほ、本当に湯が出ておる……この屋敷には温泉もわいておるのか!?」
「温泉じゃねえよ。ガスで温めてるんだ」
「がす? がすとは何じゃ? 火のようなものか?」
ああ、こいつ面倒くせえ……。雄斗は心底うんざりした。
「一から説明していると時間がかかるから、とりあえず晩飯づくりに集中させてくれねえかな。今日は見学ってことで」
「ふむう……仕方あるまい。じゃがわらわは非常に感動しておるぞ。この遠く離れた島国でこれほどの文明がうんぬんかんぬん――」
それ以降のイオネラの言葉を無視して、雄斗はブリ大根づくりに集中した。
だし、酒、みりん、醤油、砂糖を合わせたものを鍋に入れ、ひと煮立ちさせてから大根を放り込みフタを閉める。
十分後にフタを開け、ブリを入れて落しブタでもう十分。その間にわかめと豆腐の味噌汁をこしらえる。
冷蔵庫から昨日余したほうれん草の胡麻和えを二皿取り出し、できたブリ大根を別の皿に盛り付ける。
二人分の皿を食卓へ運ぶ。茶碗をひとつ取り出し、炊飯器のご飯をよそう。
それを持ってイスに座り、雄斗は手を合わせた。
「いただきます」
その様子をずっと黙ったままながめていたイオネラは、ここでようやく口を開いた。
「おぬしの前にあるもう一人分の夕飯は……もしや、わらわの分か?」
「んなわけねーだろ。ツグミのだよ」
「ツグミ? おう、妹の分か。妹はもうすぐこれを食べにくるのじゃな? ではそのときにわらわが正式なあいさつを――」
「食べにこねえよ。たぶん」
食事をとりながら、雄斗はなかばあきらめたようにつぶやいた。イオネラがきょとんとする。
「食べにこぬのか? ではなぜおぬしは妹の分まで食事をつくっておるのじゃ?」
「それはまあ……食べにくるかもしれねえから」
「おぬし、言っておることが矛盾しておるぞ」イオネラが眉間にしわをよせる。
「ようするに、食べにくるかもしれぬが、その確率はとても低いと、そういうことか?」
こんなことに限ってイオネラは的確な返答をするよな。雄斗は隠していた傷口を突かれたような思いがした。
「ああ、そういうこと」雄斗は味噌汁をすすり、白米に箸を伸ばす。「悪いか?」
「いや、悪いかどうかというよりも、なぜそんなことをしているのかがわらわには分からぬ」
イオネラは腕を組みながら雄斗の向かいのイスに座り、ツグミのために置かれたブリ大根とほうれん草の胡麻和えを眺める。
「ツグミとかいう、あのオッドアイの魔術師。部屋で何か忙しそうにしていたが、あれが毎日のことなのか? わらわにはあの者が何をしておるのか皆目見当がつかなかったのじゃが」
「まあ、分からねえだろうよ。とりあえず、魔術師でないことだけは確かだ。……もういいだろ、ツグミのことは」
「おぬしは何かとツグミのことを隠そうとするのう。同居人として気になる。一体どういうことなのか、いい加減に説明せよ」
あいかわらずの命令口調で雄斗は辟易したが、さすがに隠していても仕方がないと思い、箸を止めてゆっくりと口を開いた。
「……俺のせいなんだ。ツグミがああなったのは」