プロローグ
「イオネラ。今日という今日は言わせてもらうぞ……!」
とある一軒家のリビングで、木製のテーブルを挟んで対峙する二人。
ひとりは高校に通う十六歳の男子。
短髪黒髪で、特にこれといって特徴的な顔立ちではないが、意志の強そうなまなざしをそなえた青年。
そしてもうひとりは、赤黒く長い髪に、同じく赤色の猫目をした強気な女の子。
歳は目の前にいる青年と同じだが、彼女は高校生ではない。それどころか、家族でも、日本人でも、そもそも人間でもない。
「なんじゃ、ユウト。主であるわらわに口答えする気か? 服従するだけの無力な平民が、威勢のいいことじゃのう」
腕を組み、古くさい言葉づかいで、イオネラと呼ばれた女の子は応じる。
それに向かって、ユウトと呼ばれた青年は押し殺すような声で告げた。
「ああ。もう我慢できねえ……。イオネラ。お前、どういうつもりでこんなものを作ったんだ?」
「もちろん、いつも夕食を作っているおぬしの労をねぎらおうと、今日はわざわざ自らの手をふるって夕食を作ってやったのじゃ。ありがたく思え」
「それで、出てきたのはこれか?」
テーブルの上には、異臭を放つ灰色のクリームシチューが置かれていた。
「うむ。世界一の味に仕上がっておるから、存分に食すがよいぞ。遠慮はするな」
「ああ、きっと世界でもまれにみる最低最悪な味に仕上がっているだろうな……!」
「な! きさま、下僕の分際で、最低最悪とはどういう言い草じゃ!!
「じゃあ、これは一体なんなんだよ……!?」
ユウトはシチューの中に箸を差し入れると、灰色の汁にまみれたハチをつまみあげた。
「なんでシチューに虫が入ってるのか、教えて頂けませんかイオネラ様……?」
「うむ。ハチは『ろーやるぜりぃ』を生み出す虫として人間の健康に一役買っているとテレビでやっておったからのう。わらわはそこからヒントを得て、庭に飛んでおったミツバチを少しばかり捕えてシチューの具として使用したのじゃ。
これで無気力なおぬしも血行が改善しやる気にみなぎることであろう。主の慈悲に感謝することじゃな」
「へえ……じゃあこれは?」
ユウトはシチューの中に箸を差し入れると、今度はヘビをつまみあげた。
「おお、よく気づいたな。それはマムシじゃ。滋養強壮に効果絶大だとインターネットに書かれていたのでな。わざわざ近くの酒屋からマムシ酒を入手し、中の液体ごと放り込んだのじゃ。
これでおぬしもあらゆることにやる気が沸き立つであろう。なにしろおぬしは何をするにも無気力な男じゃからのう」
「じゃあ、この灰色の液体は……?」
ユウトはスプーンでドロドロしたシチューの汁をすくう。
「それはもちろん、備長炭じゃ。ミツバチもマムシも、独特の臭いがあるからのう。臭みを吸着するものはないかとスーパーを探しておったら、ちょうどよい物が売っておったのでな。大量に購入しシチューへ投入したのじゃ。
なに、心配することはない。炭はとりのぞいておる。たかが下僕のためにここまで配慮するわらわの寛大な心に感謝するがよいぞ」
ハッハッハッハッハッ! と胸を張って笑うイオネラ。
ハチとヘビだけの具に灰色の汁。
これはもはやクリームシチューなどと呼べる代物ではないという自覚が皆無な彼女に、ユウトの堪忍袋の緒が切れた。
「イオネラ……お前、いい加減にしろよ……」
「なんじゃ、ユウト。体がふるえておるぞ。さては感動のあまり涙をこらえているのか? うむ。わらわもそれだけ喜んでもらえると作りがいがあったというものじゃ。なんならこれからは毎日わらわがつくってやっても」
「
こ
ん
な
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チ
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え
だ
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」
つんざくようなユウトの声が一軒家のリビングに響きわたる。
「な……! おぬし、主のつくった料理が食えないとは、どういう了見じゃ!!」
「あたりまえだろ!! こんな現代日本の一般家庭じゃ絶対にお目にかかれないグロテスクな食材ばっか入れたあげく、炭だらけになったゲテモノシチュー、罰ゲームでも食わねえよ!!」
「ば、罰ゲームじゃと!? これはわらわが現代社会の情報網からおぬしの体のことを的確に分析し考案した究極のクリームシチューなのじゃぞ! それを罰ゲーム呼ばわりするとは、しもべとしてあるまじき発言じゃ!!」
「しもべとしての発言より、俺は人間としての良心を優先するわ!! だれが好きこのんで虫と爬虫類が入った炭まみれの液体を食うか! まずハチの足とヘビの頭がシチューから飛び出てる時点でこれを食い物だと思う人間は百人中ゼロ人もいねえっつーの!!」
「何を言う! 物事の本質は見た目では判断できぬ。ひどい見た目に惑わされては、本当に大切な栄養は得られぬのじゃぞ!」
「見た目がひどいってことは認めるわけだな」
「う……そ、そんなことはない! ハチの足やヘビの頭が見えることで、生き物の命の大切さを強く実感することができるじゃろう! 食べ物への感謝を無くしたまま夕食をとることこそ、この時代の人間が失った大切な心なのじゃ」
「たしかにそうかもな……ってなるわけねえだろ!! 俺は普通の、どこにでもある、ノーマルなクリームシチューを食いたかったんだよ! レシピだって昨日お前にしっかり教えただろうが!」
「はっ! 普通のものなどと……これだから平民ふぜいの言うことは。おぬしは常に白とも黒ともつかぬ方法しかとろうとしない。じゃがそれでは大きなことは成し遂げられぬ。わらわのような尊き貴族のように、ときには大胆にならねば得られぬものもあるということを、そろそろユウトも理解するべきではないかな?」
「その前にイオネラは普通に食べられる料理を作ることを理解するべきだろうが……!」
「なんじゃと。下僕のくせに生意気な……!」
「お前こそ、その高慢な態度何とかしろよ……!」
灰色のシチューが置かれたテーブルの上で火花を散らす二人。
そんな彼らをみつめる、もうひとりの女の子の姿があった。
桃色のショートヘアに、オッドアイ――左目が蒼色、右目が紅色の小柄な彼女は、テーブルの真ん中にあるイスに座りながら、二人の対決を笑顔で眺めていた。
「なにがおかしいのじゃ、ツグミ」
イオネラが横目を向ける。するとツグミと呼ばれた女の子は、なぜかニヤニヤと微笑む。
「お兄ちゃんと姉さま、また痴話ゲンカしてるなって思って」
「ちわげんか……?」
イオネラは眉根を寄せる。
「ケンカというのは分かるが、『ちわ』というのはなんじゃ?」
彼女はツグミから、またユウトの方へ視線を向ける。
「え。いや、まあ、その……別に、たいした意味じゃねえよ」
「じゃが気になるぞ。どういう意味なのか説明せよ」
「だから、たいした意味じゃないって」
「たいした意味ではないなら、すぐに説明できるじゃろう?」
「そういうことじゃねんだけど……もういいだろ。俺はお前のつくった夕食についてだな――」
「『ちわ』とはなんじゃ。それを知るまでシチューの議論はおあずけじゃ。まずこちらを解決せねば、わらわは気になって夜も眠れぬ」
「だから、たいしたことじゃないって」
「それならいますぐ説明せよ」
「だからもういいだろ。それより今日の夕食どうすんだよ。イオネラに全部任せてたのに、これじゃ白飯だけになるじゃねえか!」
「『ちわ』を教えよといっておるのだ!」
「だから夕食どうすんだっていってんだよ!!」
また言い合いになる二人を、ツグミはそばで再びほほえましくながめていた。
イオネラ、ユウト、ツグミ。この三人がこのような場面を描くようになるまでには、様々な出来事があった。
普通の生活とは少し違う、ちょっと変わった出来事が。