『日常』のはじまり2
涙で少し目が赤い花埜と大は、あの始まりの旧校舎の屋上に来ていた。
柵が古くなり壊れた部分から旧校舎に入り、上まで登る。
空は晴天。あの時のように優しい風が吹いている。
「真下さん、私に書き置きを残してくれたの。だから頑張ろうと思って、お父さんに話したの。全部私の誤解だった。ずっと一人だと思ってた」
花埜は空を仰ぎながら話す。
生き返った彼女は、前と違っていた。大はそれに対して一抹の寂しさを覚える。自分が守ると決めていた。でも彼女は自分で自分の殻を壊そうとしているようだった。
「田倉くん、二人はどうなったと思う?」
「……天国に戻ったと思う」
「二人はそれでいいのかな?」
「わからない」
突然現れた浅葱、そして現世に戻された。茜はどうしたのだろう。自分の願いを受け、一時的に二人を生き返らせた。
「どうしたら確かめられるのかな……」
そう呟きながら花埜にはその方法が予想できた。大も同じで。彼女の視線を受け、少年は屋上の端まで歩く。
茜のことも、二人の顛末も知りたかった。
「確かめる?もう一度、」
その言葉の先が言えなかった。振り返って、花埜を見る。
「今度こそ、死んでしまうかもしれない」
大の言葉に少女は唇を噛む。
先ほど、両親に言われたばかりだ。死ぬことは考えられなかった。
「俺が試してみる。だから、君は俺の帰りを待ってて」
「そんな、一緒に」
「大丈夫」
好きな子にリスクを負わせることはできない。大はにっこりと微笑む。
「確かめてくる。みんながハッピーな方がいいから」
(ちょっとかっこつけすぎか)
自分のセリフに苦笑しながら、少年は屋上の空に足を踏み出す。
体が落下し始める。
「田倉くん!」
落ちた彼を心配して、屋上の端から顔をのぞかせる花埜の顔を見えた。
(やっぱり好きだな。八島のこと)
死ぬかも知れないというのに大はそんな甘いことを考える。
「大ちゃん、困るんだよね」
ふいに聞き覚えのある声がして、少年が目を見開く。落下は止まっていた。近くに見えるのは白馬の顔。
「また借りちゃったよ。この人」
「馬貴さん!」
「大ちゃん、これで三度目。さすがに今度は誰も助けないと思うよ。本当、来てよかった」
白馬――馬場の体を借りた馬貴は不思議な力で大を地面に下ろし、自分もすとんと着地する。
「ば、馬貴さん!?」
上から様子が見えていたのか、息を切らせて花埜も降りてきていた。
「この人が変なこと広めようとするから、記憶を消しにきたんだ。他の子たちはいいんだけどね」
久々の馬貴は二人に笑顔を振りまきながら、以前と同じように陽気に話す。
「大ちゃん、あなたは、いやあなた達は本当に困った人たちだ。他の人の様子を知るため、また死のうと思うなんて」
「死、いや死のうなんて思ってないよ。ただ、落ちたらまたあの世に行けるかなーと思って」
「甘い。そう簡単に何度も生き返ったりしないんだから。普通は。本当、僕が現世に来てよかった。ま、挨拶くらいはするつもりだったけど」
そう早口で話して、馬面の教師に乗り移った地獄の番人はふいに真面目な顔をする。こういう顔をすると、白馬ではないように思えた。
「いろいろあったみたいだね」
馬貴は心が読める。二人の心を読み、天国であったことがわかったのだろう。
「僕が確かめてきてあげるよ。悪いことにはなっていないと思うし」
「本当。ありがとう」
彼の言葉に感激し、お礼を先に言ったのは花埜だった。そのことに馬貴は嬉しそうに目を細める。
「花埜ちゃん、変わったね。よかった。気持ちを言うこと、伝えることは大事だから」
「え、うん。ありがとう」
少女は少し照れたように笑う。
「じゃあ、言ってくるね。わかったら戻ってくるから。しばらく待っていて」
「待つ?」
「ここで?」
戸惑う二人に構うこと無く、ぱたんと白馬の体が地面に倒れる。
「……待つしかないみたいだね」
「うん」
学校一人気のない教師が起きたらどうしようかと思いつつ、二人は旧校舎の下で待つことにした。
馬貴はすぐに戻ってきた。白馬が目覚めた時は、どうしようかと思ったが、それが馬貴であることがわかり、二人は安堵する。
「まずは飛天茜。彼女は現世に転生した」
「転生?!」
「うん。何に転生したかは教えられないんだって。でも、すぐ近くらしいよ」
(すぐ近く。転生っていうから、赤ちゃんからだよなー。あ、でも人間とか限らないか)
「あ、人間だって。それだけは教えてくれた」
大の心を読んで、すばやく馬貴が答える。
(心が読めるってことは便利なのか、どうなのか)
「じゃあ、いつか会えるってこと?」
「うん。記憶はないからわからないかもしれないけどね」
自分も記憶を失っていたせいで、長年兄のことを忘れていた。だから地獄の番人は、少し寂しげに笑う。
大の脳裏に茜の悲しそうな顔を浮かぶ。最後に覚えている顔は悲しそうな顔だった。もし今度会うことがあったら、笑顔にしたいと思う。
茜の気持ちに答えることはできなかった。でも、花埜への想いとは違うが、彼女に好意を持っていたのは確かだった。
「……新邑先輩のお兄さんと真下さんは?」
茜とはほとんど面識がなかった花埜は知りたい二人の消息を尋ねる。
「あ、まずは新邑駿志くんね。昨日、君たちが元の体に戻ったあと、霊体に戻ったけど、ご両親に会って気持ちを伝えたんだって。だからすごく本人満足してたよ」
「満足……」
「悲しまないの。だって、彼らは死んだ身。少しでも現世に戻れたよかったんじゃないかな。感謝してたよ」
馬貴はそう言うが、大達は複雑だった。自分たちは生き返らなければこのまま二人はずっと現世で暮せたのだから。
「それはないよ。飛天茜がしたことは間違ってることだから。あなた達は戻るべき存在だった。たとえあなた達が抵抗しても、これは行われていたはずだ」
二人の心の中の罪悪感を彼ははっきり否定する。
「だから、もうその可能性については考えない。あと、真下理璃香ちゃんね。こっちは大変だったみたい。霊体の理璃香ちゃんを彼女の両親がトリックだとか、信じなかったみたい。浅葱が介入して、やっと信じたみたいだけど。まったく、困った両親だね。それで半ば脅すような形で、誤解を解いたらしい」
(そういや、あの真下さんのお父さん、強烈だったよな。新邑先輩のお父さんを殴ってたし)
「これで報告終わり。もう僕の仕事は終わりだね」
「え、もう帰るの?」
「うん。当然。本当はあまり現世にきちゃいけないんだから」
「そうなんだ。でももう一度会えてよかった。しかも助けてもらったし」
「本当。もう落ちないでよね。今度落ちたら本当に死んじゃうよ。あなた達」
「わかってる」
「うん」
馬貴が茶目っ気たっぷりにそう言い、二人は笑いながら頷く。
「じゃ、この馬場さんの記憶を消して、僕は帰るね。もう会うこともないと思うけど。またね」
「うん、また」
「うん」
手を振った後、馬面教師は気を失う。
「……このまま、置いていたらまずいかな」
「うん、多分」
とりあえず二人は本校舎に行き、職員室を訪れる。そして旧校舎の下で白馬が倒れていることを伝えた。
気分が晴れやかだった。大は花埜の隣を歩く。こうして彼女を横を歩けることが嬉しく、それだけで幸せな気分になった。
もう心配ごとはない。
「……八島」
「何?」
二人は花埜の家に向かって歩いていた。
時間は正午をすぎており、気が付けばお腹もすいている。でもこのまま、花埜を家に送り届けるのが嫌で、大は呼びとめてしまった。
「……清吉みたいにはなれないけど、俺、ずっとそばにいるから」
「!」
少年の突然の告白に少女の頬が赤く染まる。それで大も照れてしまい同じように顔を真っ赤にした。
「えっと、八島。おなかすかない?なんか食べていかない。ハンバーガーとか?」
「……うん」
照れを誤魔化すように背を向けて、大は好きな彼女を誘う。花埜は頬の熱さがさめないまま、こくりと頷いた。
現世、地獄、天国を網羅した二人の非日常は終わりを迎えようとしていた。
代わり始まるのが新しい『日常』……。
「やべー。財布忘れてきた。ごめん。寮に一旦戻んなきゃ」
「……やっぱり田倉くんっていまいち頼りがいがない」
「?何か言った?」
「ううん、なんでも。じゃあ、戻ろう」
「うん」
青い空、太陽がサンサンと頭上に輝いている。
そんな空の下、花埜は大の後ろについて歩いていった。
明日の後日談で完結です。