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「理璃香!」
「新邑くん!」
翌日大の叔母がいない隙を狙って、花埜の病室を訪れる。運よくこちらの親もいなくて、二人は互いの本当の名を呼びあった。
「変な感じだね」
「そうだな」
ベッドから体を起こした理璃香、その傍に椅子に座る駿志。二人は笑い合う。
「八島さんのご両親、泣いて喜んでた。……新邑くんの方も?」
「ああ。泣きながら怒鳴られた」
「そうなんだ」
理璃香はクスクス笑う。しかし、その目は笑っていなかった。
「私達、生き返ってよかったのかな?」
「よかったに決まってるさ。あの二人は生き返るつもりはなかったんだから」
理璃香だけでなく、自分の罪悪感を消すように駿志は強く答える。
大として、花埜として生き返った二人には以前のような障害はなかった。両親が二人の間を裂くようなことはないはずだった。
二人で新しい人生を歩める。
自分たちの選択は正しかったんだと自分に言い聞かせる。
「そうよね」
恋人の強い言葉を聞き、理璃香は頷く。
新しい人生が始まる。窮屈な家ではなく見栄を張った両親ではなく、普通の家庭の、優しい両親の娘として……。
「新邑くん、八島さんの体、本当に華奢でうらやましいの。私ちょっと太っていたでしょ?」
理璃香は無駄な贅肉のない、真っ白なほっそりとした腕を駿志に見て笑う。暗い気持ちを捨てて、明るく振る舞う。
「そうか?」
少し目線が高いところから腕を見せられ、駿志は立ち上がる。
「あ、本当だ。理璃香はちょっとぷくっとしてたよなあ。あと色ももうちょっと黒かったし」
「黒い?そんなことないもん」
恋人から思わぬことを言われ、理璃香は頬を膨らませる。
「嘘だよ。理璃香は健康的で、とてもいいところのお嬢さんには見えない感じだったから」
「ひどいな。新邑くん。それって全然褒めてない」
「そうか」
「そうよ」
ぷんっと怒った理璃香は駿志から顔をそらせる。
窓の外が太陽の光で眩しいほどだった。病衣を来た患者達が目を細めながらも庭を散歩している様子が見える。
「怒るなよ。理璃香。八島さんは理璃香と違ってインドア派だったみたいだな。だから、理璃香はできるだけ、活発なところを見せないようにしないとな。俺の場合は逆だけど」
「逆?」
「そう、なんでも野球少年みたいだ」
「嘘?!うわあ。新邑くん、がんばってね。スポーツなんて新邑くんしたことあるの?」
「失礼だな。俺だって、高校生の時は……」
ふと自分の高校時代を思い出し、駿志は顔をしかめる。考えてみれば帰宅部で、スポーツなんで授業でしかしたことがなかった。
「はっはー。困ってる。これは弟くんに鍛えてもらうしかないんじゃないの」
「……そうかな」
「そうよ。弟くんはスポーツも万能なんでしょ?」
「確かに。新邑先輩に教わるかな」
駿志は茶目っ気たっぷりに弟のことをそう名指す。
「先輩……、そうよね。私たちのほうが年下だもんね」
それに答えて理璃香もくすっと笑った。
二人は懸命に明るく考えようとしていた。新しい人生は希望に満ちているはずだった。しかし、二人の心には罪悪感が重く圧し掛かり、生き返ったことを単純に喜べなかった。
「大、本当に大丈夫なの?」
「うん、おばあちゃんによろしく」
大とはほぼ面識がないに等しい、少年の口調を想像して、そう答える。が、叔母の顔は不思議そうだ。
(疑われてる?)
駿志が身構える。しかし叔母は次の瞬間笑った。
「大、あんたでもおばあちゃんって言うんだね。いつもばっちゃん、ばっちゃんって呼んでいたから、変な感じだよ。寝ている間に何かあったのかい?」
「……知らないよ。俺は覚えてないんだから」
「そうか。そうだよね。じゃ、私は帰るね。もう心配かけるんじゃないよ」
「わかってるよ。叔母さん」
心配そうになかなか寮を立ち去ろうとしない叔母に駿志は安心させるように笑う。
検査結果に異常がなかった駿志にはすぐに退院許可が出ていた。
カラスの大群に襲われ一時は封鎖されていた学校もすでに開校されており、寮にも寮生が戻ってきていた。
「大、一週間に一回は必ず電話するんだよ。母さんがいつも心配そうなんだから」
「わかってる」
駿志の返事を聞き、叔母はやっと重い腰を上げた。
寮の入り口まで彼女を送り、その背中が見えなくなるまでその場に立っていた。
大の中身が違う人間だということを気がつくものは誰一人もいなかった。魂の存在を信じているものは多いが、魂が入れ替わるなど空想の世界だと思われているからだ。駿志自身、自分が死亡するまで死の世界など信じていなかった。
「田倉、叔母さん帰ったのか?」
部屋に戻ると同室の中本が見ていた雑誌から顔をあげてそう聞く。寮は二人で一人部屋になっており、二段ベッドに、勉強机、ロッカーがそれぞれ二つずつあった。食堂と浴室は一階のみ、トイレは各階に数個設置されていた。
「ん、ああ」
答え方に迷いながらも曖昧な返事をした。
「無事でよかった。本当二回も病院に運ばれたって聞いて心配してたんだからな」
「……ありがとう」
彼の名前を知らない駿志はそうお礼をいうだけにした。そのうちどうにかして彼の名前を調べないと思いつつ、駿志はベッドに向かう。慣れない体のせいか、疲れていた。
「田倉、それ俺のベッド。疲れてるのか?」
「あ、まあな。悪かったな」
反射的に下の方だと判断したが、大のベッドは二階のほうだったらしい。駿志は笑うとベッドの梯子を登る。
「おやすみ」
「ああ、おやすみ」
就寝するには早い時間だった。しかし、駿志はすぐに眠りに落ちた。